第46話 ゴーンさん、昔を想う
【ゴーン視点】
俺は最近、腹が減ると、コエンナの城門の前に座っていた。道をふさがぬよう、少し脇へ寄る。そうして膝に手を置いて待っていると、人間たちが食い物を置いていくのだ。
「今日は、こっちの魚も食べておくれ」
女が焼き魚を置いた。俺はうなずき、まだ温かな包みを開く。香ばしい皮をかじると、塩と脂の味が口に広がった。
チーズを持ってくる者もいる。パンを置く者もいる。初めのころは遠くで立ち止まっていた連中が、今は俺の膝の前まで来て、今日の魚はうまいぞと言う。
面白いものだ。
時折、ラウルのやつもやってきた。俺の隣へ座り、丸い胴の楽器を膝に載せる。四本の弦を弾くと、町へ入ろうとしていた者たちの足が止まった。
食い物ではなく、小銭を置いていく。
今日も、やつは何曲か弾いていた。灰色の帽子へ銅貨が落ちるたび、音がする。やがてラウルは帽子を持ち上げ、俺に向かって笑った。
「これで、夕飯にしようかな」
「俺には、魚がある」
「うん。君はもう、夕飯まで足りそうだね」
そう言って、やつは町の中へ入っていった。足元にはチーズとパンが残り、風に乗って、さっきの曲を口ずさむ声が聞こえてくる。
俺はチーズをつまみ、門をくぐる荷車を眺めた。御者が手を上げたので、俺も空いたほうの手を上げる。
「面白いな」
「何が面白いのでしょうか?」
顔を下げると、セヴランの弟子だという女がいた。横には、いつもの騎士もいる。騎士は俺と目が合うと、軽く頭を下げた。
「久しぶりだな」
「はい。昨日、コエンナに着いたんです」
女弟子は俺の足元を見て、それから、少し笑った。
「今日は、ずいぶんたくさんありますね」
「みんなが、置いていく」
「すっかり、町の人たちと仲良しですね」
仲良し。
俺は、今しがた魚を置いていった女の背中を探した。もう人の間へ隠れ、見えなくなっている。
「ふっふっふ。なに、俺は魔王の四天王だった男だ。そんな俺に食い物をくれるのだからな」
女弟子の目が、大きくなった。
「その話、詳しく聞かせてちょうだい!」
「お願いします!」
おっと。女弟子だけではなく、騎士のほうまで食いついてきたか。二人とも俺の顔を見上げ、まだ何か聞きたそうにしている。
「長い話だぞ」
「聞きたいわ」
俺は食い物の包みを少し寄せ、二人が座る場所を空けた。
「俺は、魔王の転移魔法で、この大陸へ送られた」
目の前の景色が、丸ごと変わった。見知らぬ土地で鼻を鳴らし、辺りを見回したことを覚えている。
そこで、勇者たちと戦うことになった。
「セヴランも、いた。今と同じように、よく剣を振るやつだった」
「師匠らしいわね」
女弟子がうなずく。あの剣を知っているのだろう。俺はチーズを口へ入れ、続きを話した。
「だが、あいつらは何度やっても、俺を殺せなかった」
斬られれば、傷が閉じた。殴り倒されれば、起き上がった。向こうが構え直すころには、俺もまた腕を振れた。
俺のほうも、あいつらを倒しきれなかった。ひとりを追えば、ほかのやつが来る。振り返れば、剣が迫る。何度戦っても、終わらん。
「俺というか、トロールは、寿命以外では死なん」
「それは、前に師匠から聞いたわ。傷が治るところも見たけれど……」
「あいつらも、いろいろ試した」
斬る場所を変え、打ち方を変えた。今でも、いくつかは覚えている。セヴランの弟子に剣を教えられるほどではないが、食らった俺には、よくわかる。
しまいには、俺の体は肉塊にされた。
そのうえ、焼き尽くされた。
焦げる臭いと、熱さを思い出す。俺は手の甲を見た。今は何の傷もないが、あの火は、もう食らいたくない。
「だが、頭蓋骨の破片が残った。俺は、そこから再生した」
騎士が息を止めた。女弟子は俺の頭を見て、それから、膝に置いた手へ視線を移す。
「……そこから、全部?」
「全部だ」
「死なないとは聞いていたけれど、そこまで……」
俺は指を曲げ、また開いた。この手も、腕も、腹も、元どおりになった。だから、今こうしてチーズをつまめる。
「でも、痛かったでしょう?」
女弟子の声が、少し小さくなった。
「痛いぞ。死ななくても、火は嫌いだ」
二人は黙ってうなずいた。俺は残りのチーズを飲み込み、門の脇に伸びた影を眺める。
あれで終わっていれば、セヴランとは、ずっと戦った相手のままだったのだろう。
「それから、また勇者たちに会った」
「また、戦ったんですか?」
騎士が尋ねたので、俺は首を横に振った。
「いや。あいつらも、もう戦わなかった」
セヴランは俺を見た。俺も、あいつを見た。あれだけ斬って焼いても、俺はまた立っている。今から始めれば、また同じことになる。
あいつは剣を抜かなかった。
俺も、殴らなかった。
「俺は森で暮らす。あいつらも、俺と戦わん。それで、話がまとまった」
それからは、ときどき顔を合わせるようになった。剣を持ってこられるより、酒を持ってこられるほうがいい。話をしながら食えば、食い物もうまい。
今では、弟子まで来る。
「やっぱり、ゴーンさんってすごいんですね!」
「そうですね、エリアナ様!」
二人が顔を見合わせた。俺が話すたび、こいつらの顔はよく動いた。どうやら、退屈ではなかったらしい。
俺はパンをひとつ持ち上げた。
「おまえたちも、食うか」
「ありがとう。でも、ゴーンさんがもらったものだから、食べて」
女弟子はそう言って、立ち上がった。騎士も服についた土を払い、町の外へ続く道を見る。
「これからも、こちらにいらっしゃいますか?」
「腹が減ったら、来る」
「私たち、今度こそ海を渡って、向こうの大陸へ行くの。その前に会えて、よかったわ」
海の向こうか。
俺は、まだ若い二人を見た。セヴランの弟子と、その横にいる騎士。これから、あの大陸へ行くという。
「おまえたちの渡る大陸には、まだほかの四天王がいるはずだ。せいぜい気をつけるんだな。どいつもこいつも、何かやっかいな力を持っている」
女弟子が、ゴクリとつばを飲み込んだ。騎士の顔も、少し引き締まる。
「……わかったわ。気をつける」
それでいい。わざわざ探しに行くような顔ではなかったので、俺もそれ以上は言わなかった。
日が傾き、城壁の影が道へ長く伸びていた。俺は残った食い物を包み、立ち上がる。膝についていた土を払うと、女弟子が少し後ろへ下がった。
「森へ帰る」
「ええ。またね、ゴーンさん」
「お話、ありがとうございました」
俺はうなずき、森へ続く道を歩き始めた。振り返ると、二人はまだそこにいて、女弟子が手を振った。俺も片手を上げてから、木々の間へ入る。
葉の擦れる音が、頭の上で鳴った。抱え直した包みから、焼き魚の匂いがする。俺はいつもの木の下へ向かいながら、話を聞いていた二人の顔を、もう一度思い出した。
昔話をするのは、久しぶりだった。
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