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【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


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第42話 ゴブリン王

【ゴブリン王ゴード視点】


 俺は、ゴブリン王ゴード。


 正直なところ、勇者との戦いで疲弊しきっていた。


 魔王の剣を受け継いだ俺は、勇者と刃を合わせても、一方的に倒されることはなかった。あの聖剣を受け止め、押し返し、また受ける。何度戦っても、勝負はつかなかった。


 だが、俺と勇者の勝負がつかないことと、部族の者が無事でいることは、別だった。


 あいつには、厄介なものがある。


 大地断裂とかいう、あれだ。


 技なのか魔法なのかは知らん。だが、発せられれば地面が割れ、その上にいた者が飲み込まれる。剣を構えていようが、盾を持っていようが、足元がなくなればどうにもならない。


 戦いのあと、集まってくる者の数は、毎回減っていた。敗走した群れに別の群れを加え、態勢を整えて押し返す。その繰り返しで、どうにか戦線は保っていたが、生き残った者まで、目に見えて疲れていた。


 俺自身も、魔王の剣を握る腕が重い。眠っても、体の奥に残った疲れが抜けなくなっていた。


 それでも、俺ただ一人の目的は、すでに達成されていた。


 口減らしだ。


 部族には、食わせなければならない口が多すぎた。戦に出せば、それが減る。ついでに人間の国を征服できれば、得るものも増える。その程度に考えていたのだ。


 この目的は、誰にも話していない。


 人間の国を奪うと言えば、ついてくる者は多かった。勝てばいい暮らしができると信じた者も、ただ暴れたかった者もいた。俺には、その区別はどうでもよかった。


 だが、減り方が激しすぎた。


 これ以上続ければ、俺が治める部族そのものが危なくなる。食う口が減っても、部族がなくなってしまえば、王である俺も困る。


 そんなとき、人間側から使者が来た。


◇◆◇


 白い布を掲げた人間の男が、書状を持ってきた。


 停戦のための交渉を申し入れたい。


 そう書かれていた。


 俺は書状を読み、男の顔を見た。男は、こちらの返事を静かに待っていた。


 人間と俺たちゴブリンは、話し言葉が通じない。何か言われても、意味はわからん。だが、文字ならば読める。俺は紙に返答を書き、男へ渡した。


 交渉には応じる。


 三日後に会う。


 男は書いたものを確かめ、頭を下げて帰っていった。俺は、それを見送ってから、椅子に腰を下ろした。


 戦いをやめる話が向こうから来たのは、都合がよかった。


 俺から弱ったところを見せて頼みに行く必要もない。何を要求されるのかは知らんが、話くらいは聞いてやろうと思った。


◇◆◇


 三日後、交渉の場へ来たのは、若い娘だった。


 先に来た使者の男もいる。娘の後ろには、勇者の姿があった。聖剣を腰に下げ、こちらを見ている。俺も魔王の剣をそばに置いたが、互いに手をかけることはなかった。


 娘は、俺の前で軽く頭を下げた。


 何か言った。


 わからん。


 俺が返事をしないのを見て、娘はすぐに筆を取った。


『人間側の王族、エリアナです。本日は、停戦についてお話しするために来ました』


 俺はその文字を読み、娘の顔を見直した。


 王族か。


 ずいぶん若いが、こちらを見ている目は落ち着いていた。書いた紙を俺が読み終えるまで、余計な動きをせずに待っている。


 俺も筆を取った。


『ゴブリン王ゴードだ。条件を聞こう』


 娘はうなずき、次の紙に書き始めた。


◇◆◇


『双方の軍が退き、戦闘をやめることを提案します』


 最初に書かれたのは、それだった。


 俺は紙を引き寄せ、その下へ返答を書いた。


『人間の軍は、どこまで退く』


『人間の領地へ戻ります。そちらの軍にも、自分たちの領地へ戻っていただきたいのです』


 娘の返事を読み、俺は少し考えた。軍を退くこと自体に不満はない。だが、北の森を人間だけのものにされれば、あとで厄介なことになる。


『北の森を、人間だけの領地にはしない』


 そう書いて渡すと、娘は地図を広げた。


 王都と、その北にある森が描かれていた。俺たちが集まっていた場所も、人間の軍が陣を置いた場所も、わかるようになっている。


 娘は森を指し、紙に書いた。


『では、王都の北の森を、中立地帯にしましょう』


 俺は、その文字を見た。


『中立地帯では、何をしてよい』


『人間とゴブリンが、互いに殺し合わない場所にします。傷つけることも禁じます』


 それならば、悪くない。


 俺たちの軍は、森より北にある本来の領地へ戻れる。森で人間と出会うたびに、戦いを始める必要もなくなる。


 だが、殺さず、傷つけなければ、それで済むとは限らん。


 俺が返事を書く前に、娘は一行を書き足した。


『罵声を浴びせることも、禁じます』


 俺は顔を上げた。


 娘は俺を見て、さらに書いた。


『互いに、争いを仕掛けない場所にしたいのです』


 言葉の意味が通じなくても、敵意のある叫びくらいはわかる。嘲って追い立てれば、追い立てられた者は武器を持つだろう。


 俺は筆先を紙へつけた。


『破った者は、どうする』


 娘は少し紙を見つめ、それから、はっきりと書いた。


『規則を破った者は、殺してよいものとします』


 俺は、すぐに返した。


『人間でもか』


『人間でも、ゴブリンでも、同じです』


 その返事を読み、俺はうなずいた。


 人間だけが守られる規則なら、受け入れるつもりはなかった。だが、破った者がどちらであろうと同じならば、話は通る。


 俺は紙の端を指で押さえた。


『中立地帯の外では、どうなる』


 娘は地図を見て、森の南側を指した。


『人間の領地へ入ったゴブリンは、これまでどおり、殺されます』


 俺は、その下に書いた。


『ゴブリンの領地へ入った人間も、命の保証はしない』


 娘は読み終えると、俺を見た。


 そして、うなずいた。


『その条件で、合意します』


◇◆◇


 書いた紙が、卓の上に何枚も並んでいた。


 使者の男が、それを一つずつ確かめ、まとまった文書に書き直した。俺は渡されたものを読み、抜けた条件がないかを確かめる。


 王都の北の森は、中立地帯とする。


 中立地帯では、人間とゴブリンは殺し合わない。互いを傷つけない。罵声も浴びせない。


 規則を破った者は、殺してよい。


 中立地帯の外では、これまでどおりだ。人間の領地へ入ったゴブリンは殺される。ゴブリンの領地へ入った人間も、命の保証はない。


 俺はもう一度、地図の境界を確かめた。娘も同じように文書と地図を見比べ、確認が終わると、こちらへ紙を差し出した。


 俺が名前を書く。


 娘も、エリアナと署名する。


 それで、話はまとまった。


 俺は満足した。


 これ以上、勇者のあの技で部族を減らされずに済む。人間の軍も退く。森は人間だけのものにはならず、俺たちの領地も残る。


 何より、食わせる口は、戦を始める前より減っていた。


 俺の目的は、達成されている。


◇◆◇


 側近たちの反応は、様々だった。


 俺と文書を交互に見て、羨望のまなざしを向ける者がいた。勇者を前にして話をまとめた王として、俺を見ているのだろう。


 口元をゆがめ、不満そうに立っている者もいた。人間の国を奪えると思っていたのなら、この結末は面白くないのかもしれん。


 だが、最も多かったのは、疲れ切った顔だった。


 文書の内容を聞き、肩から力が抜ける。握っていた武器を下ろす。もう戦わなくてよいと確かめるように、隣の者と顔を見合わせる。


 俺は、その様子を見ていた。


 口減らしが目的だったことを知っている者は、いない。今さら話すつもりもなかった。


「軍を戻すぞ」


 俺が言うと、側近たちは動き始めた。命令が群れへ伝わり、旗が下ろされ、荷物がまとめられる。人間側でも、兵が陣を片づけ始めていた。


 娘は、勇者やほかの人間たちとともに、王都のほうへ戻っていった。その背中を見送ってから、俺も魔王の剣を持ち上げた。


 もう、今日あの聖剣と打ち合う必要はない。


 俺たちは北へ戻る。


 人間の軍は、南へ退く。


 両軍の足音と荷車の音が、少しずつ遠ざかっていった。間に残った森では、久しぶりに、風で葉の擦れる音が聞こえていた。

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