第40話 私たちの戦い~パン作り~
【エリアナ視点】
王都の兵に、各地から集まった兵が加わった。今回、師匠が指揮する軍は、一万人になったという。
一万人。
その数を聞いて、私は紙とペンを取った。
一人の兵士さんが、一日に二個のパンを食べるとする。一万人が二個ずつ食べれば、必要なのは二万個。それも、一度用意すれば終わりではない。明日も、明後日も、毎日二万個ずつ必要なのだ。
私は書いた数字を、もう一度見た。
間違っていない。
間違っていないけれど、とても大変な数字だった。
軍に送るパンを用意するため、ギルドにも協力の話が来ていた。胸肉の煮込みや卵サンドを出すのとは、規模が違う。食堂のお客さんが少し増えた、という話ではなかった。
「ギルドだけでは作れません!」
思わず声を上げると、ブリジットさんが紙をのぞき込んだ。
「二万個か……」
「一日分です。これだけ焼いても、次の日には、また同じだけ必要です」
「よし。街のパン屋にも頼んでくる!」
言うが早いか、ブリジットさんは外へ出ていった。
私は、その背中を見送ってから、厨房へ向かった。ニコラさんにも、この数字を見てもらわなければならない。
◇◆◇
リュカも、すでに出陣していた。
見送ったとき、リュカはいつもと同じように、私へ頭を下げた。
「行ってまいります、エリアナ様」
「うん。気をつけてね」
「はい」
もっと何か言いたかったのだけれど、うまく言葉にならなかった。結局、ちゃんと食べてね、と、そんなことを付け足した。
リュカは少し笑って、わかりました、と答えた。
今、そのリュカも、一万人の中にいる。
師匠が王宮へ向かったときには、ただ見送ることしかできなかった。けれど、王都に残った私たちにも、できることはあった。出ていった人たちが、毎日食べられるようにすることだ。
私は厨房の台に紙を置き、ニコラさんと相談を始めた。
「うちで、どのくらい焼けそうですか?」
「窯を空けられる時間によるな。食堂の飯も作らないといけないし、パンを焼いてる間に、次の生地を用意する手もいる」
「では、こねる人と、焼く人を分けたほうがいいですね」
「ああ。焼き上がった分を、運んでくれる人も欲しい」
私は言われたことを書き留めた。
粉を量る。
生地をこねる。
形を作る。
焼く。
焼けたものをまとめる。
窯の前に全員で集まっていても、パンは増えない。それぞれの作業が止まらないようにしなければならなかった。
◇◆◇
その日から、ギルドの厨房には、いつもより多くの粉袋が運び込まれるようになった。
ニコラさんが生地の具合を確かめ、私たちは教わりながら手を動かした。食堂が忙しくなる前に仕込みを進め、注文が落ち着けば、また次の分を作る。
最初は、生地を丸めるのも、ずいぶん時間がかかった。同じくらいの大きさにしたつもりでも、並べてみると、少しずつ違う。
「エリアナ、そっちは小さいぞ」
「あ、本当ですね」
「こっちから少し分けてやればいい」
ニコラさんに直してもらいながら、次の一個を丸める。何度も繰り返すうちに、少しだけ手が慣れてきた。けれど、ひと通り終えたころには、腕が重くなっていた。
ノエルさんも、手伝ってくれた。
森から戻って休んだあと、ギルドでできることがないかと声をかけてくれたのだ。焼けたパンを載せた籠を運び、空いた籠を厨房へ戻してくれる。
「これで何個目ですか?」
「その籠までで、ここに書いた分です。次も運んだら、教えてくださいね」
「わかりました」
普段は剣や盾を持っている人たちが、今は粉袋やパンの籠を運んでいた。
ブリジットさんは、街のパン屋と話をつけて戻ってきた。何軒もの店が協力してくれるそうで、それぞれ、いつ、どのくらい焼けるかを確かめてきていた。
その中には、パン屋の店主、アンドレさんもいた。
「うちは朝の分を増やせる。別の店じゃ、夕方の窯を使うそうだ」
「ありがとうございます。では、受け取る時間を分けたほうがよさそうですね」
「ああ。いっぺんに取りに来られても、まだ焼けてない分があるからな」
私たちは店ごとの数と時間を書き出した。兵糧を集める担当の人にも伝え、粉や薪の用意、焼けたパンの受け取りについて、相談してもらう。
王都のあちこちで、窯に火が入った。
朝だけでなく、昼も夕方も、パンの焼ける匂いが通りに流れた。粉を運ぶ荷車と、焼き上がったものを集める荷車が行き交う。どの店へ行っても、誰かが生地をこね、誰かが窯を見ていた。
王都は、巨大なパン工場になりつつあった。
◇◆◇
それでも、毎日二万個をそろえるのは簡単ではなかった。
今日は足りても、明日は同じだけ焼けるとは限らない。店で売る分も、食堂で出す分も必要だ。窯には、一度に入れられる数がある。
そんな話をしていたとき、パンを買いに来た女の人が、アンドレさんへ声をかけたのだという。
「家で焼くときに、ひとつ余計に作って持ってきてもいいのかい?」
その話を聞いて、私は顔を上げた。
「各ご家庭でも、焼いていただけるんですか?」
「ああ。ひとつならできるって、言ってくれたんだ」
毎日、何十個も作ってほしいわけではない。
いつも家で焼くパンを、一個だけ多く焼く。その一個を、近くのパン屋や集める場所へ持ってきてもらう。
協力できる家にお願いして、必要な粉を受け取れるようにした。持ってきてもらう時間や場所も決め、そこでまとめて数えることになった。
すると、少しずつ、パンが届き始めた。
「今日は、うちで二つできたよ」
「明日は、隣の家も持ってくるって」
「形が少し悪いけど、大丈夫かね?」
籠を抱えた人が来るたび、受け取る人が礼を言い、数を書き足していく。
丸いものもあれば、少し細長いものもあった。表面に切れ目を入れたものや、ころんとした形のものもある。見た目はそろっていないけれど、どれも、食べる人のために焼かれたパンだった。
ひとつずつの協力が、籠いっぱいになった。
籠がいくつも集まり、荷車に載せられていった。
◇◆◇
「エリアナ、今日の分は?」
「今、最後を確かめています」
私は紙に書かれた数を、順に足していった。パン屋から届いた分。各家庭から集まった分。ギルドで焼いた分。受け取った場所からの報告も合わせ、最後の数字を書き込む。
二万個。
そろった。
私は、ほっと息を吐いた。
「今日の分、そろいました」
「よし!」
ブリジットさんが、荷車へ向かって声をかけた。パンを載せた籠が積まれ、数を確かめた担当の人が出発の支度をする。
私は、その横で空いた籠を重ねた。
一個を焼く手間は小さくても、二万個になれば、たくさんの人の手が必要だった。生地をこねた人、窯を見た人、運んだ人、数えた人。その誰かが止まれば、ほかの仕事も止まってしまう。
荷車が動き出す。
この中に、リュカが食べるパンもあるかもしれない。師匠が手に取るものも、私が顔を知らない兵士さんの食事になるものもあるのだろう。
ちゃんと届いて、お腹を満たしてくれればいい。
私は、荷車が通りを曲がるまで見送った。
◇◆◇
「さて。明日の分だね」
ブリジットさんが言った。
そうだった。
今日の二万個を送り出しても、明日の二万個が残っている。
厨房へ戻ると、ニコラさんが、次に使う粉を確かめていた。私も袖をまくり直し、台の前に立つ。手をついてみると、腕にまだ疲れが残っていた。
「大丈夫か?」
「はい。少し休んだら、またやります」
ニコラさんに答え、私は水をひと口飲んだ。
食堂の向こうでは、ノエルさんが空の籠を並べている。外では、明日もパンを持ってくると言って、帰っていく人たちの声がした。
師匠も、リュカも、今はここにいない。
私たちは、ここでパンを焼く。
私は次の粉袋を開けた。明日、食べる人たちの分を、またひとつずつ作っていく。こうして、後方に残った私たちの戦いも続いていた。
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