第39話 王宮、臨戦態勢となる
【エリアナ視点】
王宮の門をくぐったとき、いつもと様子が違うことに気づいた。
衛兵たちが、通りのほうまで注意を向けている。中へ入ると、廊下を急ぐ人と何度もすれ違った。書類を抱えた役人も、剣を腰に下げた騎士も、足を止めずにそれぞれの行き先へ向かっていた。
弟の顔を見に来た日とは、空気が違った。
私は案内された部屋へ入り、摂政のオスヴァルトさんに、北の森で見たことを報告した。ノエルさんたちがゴブリンに囲まれていたこと。三人は助けたけれど、群れはまだ森に残っていること。
話を聞き終えたオスヴァルトさんは、深くうなずいた。
「無事に連れ戻されたとのこと、何よりです。ですが、エリアナ殿下。こちらにも、知らせが届いております」
机の上から、一通の書状を取り上げる。その顔は、先日ここで会ったときとは違っていた。
「ゴブリン王を名乗る者から、宣戦布告が届きました」
「……宣戦布告?」
私は、差し出された書状を見た。
王都へ兵を進める。
そう書かれていた。
言葉を読み終えてからも、しばらく目が離せなかった。今日、森で刃を向けてきたゴブリンたちが、今度は、この王都へ来るというのだ。
「ゴブリン王、ですか」
「自ら、そう名乗っております」
オスヴァルトさんは、それ以上、敵の正体については断定しなかった。私も、森で見たゴブリンたちの中に、王らしい者がいたかどうかはわからない。あのときは、三人を連れ出すので精いっぱいだった。
部屋の扉が叩かれたのは、そのときだった。
◇◆◇
「失礼いたします」
入ってきたのは、ユゴーさんだった。私の姿を見て一度頭を下げると、すぐにオスヴァルトさんへ向き直った。
「北の森について、新たな報告がございます」
「うかがいましょう」
「森の奥に、数万単位のゴブリンが集まっているとのことです」
私は、思わずユゴーさんを見た。
「数万……?」
森で見た群れだけでも、多いと思った。木々の陰から次々に出てくる姿を思い出す。けれど、あれは、集まっているものの一部にすぎなかったらしい。
「はい。詳しい数は、まだ確認できておりません。しかし、通常の討伐依頼で対応できる規模ではないと」
「ロドニー侯は?」
「我が主は、兵を集めるため、領地へ戻りました。こちらでの準備も進めるよう、申しつかっております」
ブライ侯まで、兵を集めに戻った。
私は、ようやく、廊下を行き交う人たちの様子と、今聞いた話がつながった。王宮はすでに、戦うための準備を始めていたのだ。
机の上には、北の森と王都の位置を示す地図が広げられていた。私はノエルさんたちを見つけた場所と、帰ってきた道を伝えた。オスヴァルトさんは担当の人に書き留めさせ、その間も、次の報告を受け取っている。
以前のように、誰が何をするかで立ち止まってはいなかった。
それでも、相手の数が数だ。
「エリアナ殿下」
オスヴァルトさんが、私を見た。
「勇者殿のお力を、お借りできないでしょうか」
「師匠に、ですか」
「はい。殿下から、お話しいただければと」
師匠は、魔王を倒した人だ。万の魔族を突破したという話も聞いている。けれど、その人の力が必要になるほどの群れが、王都の近くに集まっている。
私は、書状から目を上げた。
「わかりました。話をしてきます」
◇◆◇
道場へ着いたころには、稽古の声がやんでいた。
木剣を片づける音が奥から聞こえ、何人かの弟子が帰り支度をしている。師匠を尋ねると、裏手にいると教えてもらった。
庭に面したところで、師匠は一人、酒を飲んでいた。
片手に杯を持ち、もう片方の手を膝に置いている。私が近づくと目だけをこちらへ向け、それから、また庭の先を見た。
「師匠」
「おう」
私は、どこから説明しようかと、一度息を整えた。
その前に、師匠が杯を置いた。
「北からクセェ臭いがしやがるぜ……」
低い声だった。
庭には、いつもの風が通っている。葉が揺れ、乾いた土の匂いがした。師匠はその向こうを見たまま、私の話を待っていた。
「北の森に、ゴブリンが集まっています」
私は、今日のことを最初から話した。ブリジットさんとノエルさんたちを助けに行ったこと。森に残った群れを、全部倒すことはできなかったこと。
そして、王宮へ行くと、ゴブリン王を名乗る者から宣戦布告が届いていたこと。
数万のゴブリンがいるという情報も、そのまま伝えた。
師匠は、途中で口を挟まなかった。肘を膝に置き、私を見ながら、最後まで聞いていた。
「摂政のオスヴァルトさんから、師匠に出ていただけないかと頼まれました」
話し終えると、師匠は、短く息を吐いた。
「そうか」
それから立ち上がり、私の前で足を止めた。
「エリアナ」
「はい」
「お前は残った大事な王族だ。王都で待っていてくれ」
私は、師匠の顔を見上げた。
一緒に行きます、と言いかけた。今日だって、ブリジットさんと森へ行き、ノエルさんたちを連れ戻すことはできたのだ。
けれど、師匠は、私の返事をまっすぐに待っていた。
王宮で眠る、レオンの顔が浮かんだ。あの子は、まだ自分で歩くこともできない。王都で何かあったとき、そばにいてやれる大人が必要なのだ。
私は、ゆっくりうなずいた。
「……わかりました。王都にいます」
「おう」
師匠は、それを聞いてから、奥の部屋へ入っていった。
◇◆◇
戻ってきた師匠は、長い鞘を手にしていた。
稽古に使う木剣ではなかった。旅の荷物をまとめるときにも、普段の食事へ出かけるときにも、見かけない剣だった。
「それは……」
「聖剣だ」
師匠は、短く答えた。
鞘に収まっていても、きちんと手入れされていることがわかった。師匠は柄に手を添え、腰へ下げる位置を確かめた。その動きは、いつもの稽古のときと同じように、無駄がなかった。
私は、何か言おうとして、少し迷った。
師匠は強い。
私が心配するより、ずっと強い人だ。
それでも、言わずにはいられなかった。
「お気をつけて」
「ああ」
師匠は私の頭へ手を置いた。軽く一度撫で、それから離す。
「行ってくる」
そのまま庭を出て、道場の門へ向かった。誰かを急かすことも、大きな声で指示することもない。ただ、剣を下げ、いつもの歩き方で進んでいく。
私は門のところまでついていった。
「王宮へ?」
「まずは、話を聞いてくる」
そう答えた師匠は、王宮へ続く通りへ出た。すれ違った人が道を譲り、師匠はその横を歩いていく。聖剣の鞘が、歩くたびにわずかに揺れた。
角を曲がるまで、私はその背中を見送っていた。
◇◆◇
師匠が見えなくなってから、私は冒険者ギルドのほうへ足を向けた。
通りには、まだ人がいた。店先の品物を片づける人も、荷物を抱えて帰る人もいる。あの北の森で何が起きているか、まだ知らない人も多いのだろう。
今日は、ノエルさんたちを助けに行っただけのつもりだった。
けれど、森には数万のゴブリンが集まり、その中には、王を名乗って王都へ攻め込もうとする者がいる。私が見たものは、その端の、ほんの一部分だった。
師匠は、聖剣を持って王宮へ向かった。
私は、王都で待つ。
ギルドが見えてきた。扉の向こうから、人の声が聞こえる。ノエルさんたちは、まだ休んでいるだろうか。ブリジットさんにも、王宮で聞いたことを伝えなければならない。
私は入口で一度足を止め、息を整えた。
それから、冒険者ギルドの扉を開けた。
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