第38話 ノエル救出作戦
【エリアナ視点】
「ノエルたちが、まだ戻ってないんだ」
ブリジットさんに言われ、私は運んでいたお盆を台に置いた。食堂では、お昼の賑わいが落ち着き始めていた。そういえば今日は、ノエルさんたちの顔を見ていない。
「依頼に出ているんですよね?」
「ああ。王都の北にある森で、ゴブリンの討伐だ。戻ると言っていた時刻は、もう過ぎてる」
ブリジットさんは、受付で確認してきた書類を見せてくれた。森の外れに出る数匹のゴブリンを追い払う依頼だった。ノエルさんのほかには、剣士のレミさんと、弓使いのアリスさん。二人とも、よく一緒に食事をしているので、私も顔を知っている。
「道に迷ったとか、少し手間取っているだけならいいんだけどね」
そう言いながらも、ブリジットさんの顔には、いつもの笑みがなかった。
「見に行ってくるよ」
「私も行きます」
返事は、すぐに出た。
ブリジットさんは私を見て、それから、短くうなずいた。
「頼めるかい」
「はい。支度をしてきます」
エプロンを外し、剣を取りに戻る。師匠に買ってもらった剣を腰に下げてギルドへ戻ると、ブリジットさんも支度を終えていた。
腕には大きな盾。腰には幅広の剣を下げている。いつも皿や酒樽を運んでいる人が、今日は、その手で武器を確かめていた。
「それじゃ、行こうか」
その声は落ち着いていた。私はうなずき、ブリジットさんと並んで歩き出した。
◇◆◇
森へ向かう道には、荷車の跡が残っていた。畑の間を抜け、木立が近づくにつれて、人の声は聞こえなくなる。葉の擦れる音と、私たちの足音だけが続いた。
依頼書にあった場所までは、それほど遠くない。けれど、近づいても、三人の姿は見つからなかった。
「このあたりのはずだけどね」
ブリジットさんが、地面に目を向けた。踏み荒らされた下草の間に、人の靴跡がある。その周りには、もっと小さな足跡がいくつも重なっていた。
折れた枝の先に、布が引っかかっていた。
私は、それを見て足を止めた。食堂で見かけた、アリスさんの上着に似た色だった。
「奥へ入ったみたいですね」
「ああ。急ごう」
少し進んだところで、遠くから金属のぶつかる音が聞こえた。そのあとに、甲高い鳴き声が続く。
ブリジットさんが盾を構えた。私も剣を抜き、木々の間を進む。
声が、近づいてきた。
「こっちへ来るな!」
ノエルさんの声だった。
◇◆◇
木立の切れた先に、崩れかけた小屋があった。
その壁を背に、三人が固まっていた。ノエルさんが小盾を構え、アリスさんが、その脇から弓を引いている。レミさんは壁際に座り込み、片足に布を巻いていた。
そして、その周りを、ゴブリンが囲んでいた。
数匹どころではない。
目に入るだけでも、何十という数がいる。錆びた刃物や棍棒を持ち、小屋の前をうろついていた。木々の陰にも、まだ動くものが見えた。
ノエルさんが、振り下ろされた棍棒を盾で受ける。押し返したところへ別の一匹が近づき、アリスさんが矢を放った。けれど、その手が次に矢筒へ伸びたとき、指先が一瞬、止まった。
矢が、もう少ないのだ。
「囲みを割るよ。あたしについておいで」
「はい」
ブリジットさんが前へ出た。
ゴブリンがこちらに気づき、声を上げる。その一匹を盾で押しのけ、ブリジットさんはためらわずに踏み込んだ。剣が走り、三人へ向かう道が開く。
私も、横から飛び込んできた一匹の刃を払い、そのまま斬り伏せた。止まらずに次へ足を運ぶ。小屋の前までは、あと少しだった。
「ノエルさん!」
呼ぶと、土に汚れた顔がこちらを向いた。
「エリアナさん……?」
「迎えに来ました!」
ノエルさんの肩が、少し下がりかけた。その目の前へ、またゴブリンが飛び出してくる。
「まだ、盾を下ろさないで!」
私が言うと、ノエルさんは慌てて構え直した。ぶつかってきた一撃を受け、その間に私が横へ入る。
ようやく、三人のそばへたどり着いた。
「レミさん、立てますか?」
「支えてもらえれば……」
顔色はよくなかったけれど、返事はしっかりしていた。アリスさんにも擦り傷があり、ノエルさんの盾は縁が欠けている。三人とも、ここでずっと耐えていたのだ。
ブリジットさんは小屋の前に立ち、近づくゴブリンを押し返していた。盾に棍棒が当たっても、足元は揺らがない。食堂で笑っていたときとは違う、短く鋭い声が飛んだ。
「ノエル、その子に肩を貸しな。ここを出るよ」
「は、はい!」
「アリスは二人のすぐ後ろ。エリアナ、後ろを頼む」
「わかりました」
ノエルさんがレミさんを立たせる。その動きに合わせて、ゴブリンたちが一斉に声を上げた。
◇◆◇
ブリジットさんが、来た道へ向かって進んだ。正面に立ちはだかったゴブリンを盾で崩し、剣を振るって道を開ける。そのすぐ後ろを、ノエルさんとレミさんが、足を引きずるようにしてついていった。
私は最後尾についた。
こちらが下がり始めると、追ってくるゴブリンが増えた。右から伸びてきた刃を弾き、左へ回ろうとした一匹を止める。前へ出すぎれば、ノエルさんたちとの間が空いてしまう。私は三人の位置を確かめながら、少しずつ下がった。
「右、来ます!」
アリスさんの声に、顔を向ける。木の陰から、一匹が飛び出してきた。私は足を入れ替え、その腕を狙って剣を振るう。倒れた相手を追わずに、すぐ三人のそばへ戻った。
ゴブリンを倒すことだけを考えるなら、もっと前へ出られた。
けれど今は、三人を連れて帰らなければならない。
「すみません、僕の足が……」
「謝るのはあとだよ。今は歩きな!」
前から、ブリジットさんの声がした。
レミさんが歯を食いしばって足を動かす。ノエルさんも、肩を貸したまま、懸命についていく。私は二人の背中が遠ざかるのを待ち、近づいてきたゴブリンを退けてから、あとを追った。
枝に服を引かれ、土が靴の中へ入る。剣を合わせる音が、何度も耳元で響いた。
やがて、木々の間が明るくなった。
「もう少しだ。道へ出るよ!」
ブリジットさんが、森の外れで立ち止まった。三人が通り過ぎるのを待ち、それから、私と並んで追手に向き直る。
私は剣を構え直した。
何匹かは、まだこちらへ飛びかかってきた。けれど、それを二人で退けると、残ったゴブリンたちは、木立の手前から出てこなくなった。
甲高い声は、まだ聞こえる。
枝の向こうに、こちらを見ている顔もあった。
「追わないよ」
ブリジットさんが言った。
「三人を、先に帰す」
「はい」
私はゆっくり下がった。森から目を離さないまま、仲間たちとの距離を確かめる。やがて木立が遠くなって、ようやく、握っていた剣の柄から少しだけ力を抜くことができた。
◇◆◇
帰り道は、行きよりもずっと時間がかかった。
レミさんを支え、何度か休み、三人の様子を確かめながら歩いた。ノエルさんは、少し呼吸が落ち着いてから、森で何があったのかを話してくれた。
「最初は、本当に数匹だったんです。討伐して戻ろうとしたら、奥から、どんどん出てきて……」
逃げる途中でレミさんが足を負傷し、三人で小屋まで下がったのだという。ばらばらにならず、壁を背にして持ちこたえていたから、私たちが着くまで無事でいられたのだろう。
「よく、三人で踏ん張ったね」
ブリジットさんが言うと、アリスさんがうつむいた。その目元を袖で拭ってから、もう一度、顔を上げる。
私も、王都の門が見えたときには、ほっとした。
ギルドへ戻ると、受付の人たちがすぐに駆け寄ってきた。レミさんを横にさせ、手当てのできる人を呼んでもらう。ノエルさんとアリスさんも椅子に座らせると、二人はようやく、武器を手放した。
厨房から出てきたニコラさんが、水を運んでくれた。
ノエルさんは杯を両手で持ち、少しずつ飲んだ。それから、食堂の中を見回す。いつものテーブルや、壁の献立を確かめるような目だった。
「……戻って、こられた」
小さな声だった。
私はそのそばにしゃがみ、顔をのぞき込んだ。
「おかえりなさい、ノエルさん」
ノエルさんは、何度もうなずいた。
◇◆◇
三人を助けることはできた。
けれど、森のゴブリンたちを、殲滅できたわけではない。追ってきたものを退けただけで、奥にはまだ、かなりの数が残っているはずだった。
ブリジットさんも、同じことを考えていたらしい。受付へ、あの森に関わる依頼をいったん止めるよう伝えていた。事情を知らない冒険者が、また数匹の討伐だと思って向かえば、同じことになる。
「ずいぶん、数がいましたね」
「ああ。あれは、依頼書にあった話とは違う。ほかの場所へ出てくるかもしれないね」
私は、森の手前に残っていたゴブリンたちを思い出した。あの道は、私たちだけが使う道ではない。木を切りに行く人も、荷物を運ぶ人もいる。
食堂の奥では、ノエルさんたちが手当てを受けていた。今は、こちらで休ませてあげればいい。
私はブリジットさんへ向き直った。
「いちおう、王宮へ知らせてきます。あの数は、伝えておいたほうがいいと思います」
「そうだね。頼めるかい」
「はい」
剣を確かめ、もう一度、三人のいるほうを見た。ノエルさんがこちらに気づき、小さく頭を下げる。私は手を振ってから、ギルドを出た。
門の向こうには、まだ明るい王都の通りが続いていた。
今日は、弟の顔を見に行く日ではない。
私は歩調を速め、王宮へと向かった。
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