第35話 それを捨てるなんてもったいない!
【エリアナ視点】
その日も私は、いつものように厨房へ料理を取りに来ていた。お昼には少し早い時間だったけれど、食堂には、仕事を終えて戻ってきた冒険者たちが集まり始めている。焼いたお肉の匂いを嗅いでいると、こちらまでお腹が空いてしまいそうだった。
「エリアナ、こっちの二皿を頼む」
「はい!」
厨房を預かる料理人のニコラさんに呼ばれ、お盆に皿を載せる。今日の注文は、鳥のもも焼きだ。こんがり焼けた皮に脂が光っていて、とてもおいしそうだった。
その隣では、次に使う鳥をさばいていた。ニコラさんは慣れた手つきでももを切り分けると、残った部分を脇へよけた。まだ、胸のところに肉がたっぷりついている。
「胸肉は、別のお料理に使うんですか?」
「いや、使わないぞ」
「……えっ?」
私は、お盆を持ったまま止まった。
「そっちは、捨てる分だ」
「えっ、胸肉とか使わないんですか?」
「そりゃあ、鳥はももが一番うまいからな」
ニコラさんは、そう言って、切り分けたもも肉を並べた。
「焼けば皮もうまいし、脂もある。胸は、どうもぱさつくんだよ。うちじゃ、もものほうがよく出るからな」
なるほど。たしかに、ここのもも焼きは人気がある。私もまかないで食べたことがあるけれど、皮は香ばしく、中はしっとりしていて、おいしかった。
けれど、それはそれとして。
まだ食べられるお肉が、こんなにあるのだ。
「その胸肉、少し取っておいていただけませんか?」
「何にするんだ?」
「うーん。私、やってみますね」
まずは、お客さんに料理を届けなければならない。私は二皿を運び、追加の注文を伝えてから、もう一度、胸肉のところへ戻ってきた。
◇◆◇
前世でも、胸肉はよく食べていた。手頃な値段で買えたし、野菜と一緒に料理すれば、ちゃんと一食になった。立派なごちそうを作るつもりはないけれど、捨てるくらいなら、何かできると思ったのだ。
ブリジットさんに相談すると、すぐに許可が出た。
「いいじゃないか。食べられるものが増えるなら、助かるよ」
「少し、キャベツも使っていいですか?」
「ああ。ニコラに出してもらいな」
お昼の忙しい時間が落ち着いてから、私は厨房の隅を借りた。取っておいてもらった胸肉を食べやすい大きさに切り、キャベツも用意する。使うのは、その二つと、水と塩だけだった。
「それだけでいいのか?」
「はい。まずは、これでやってみます」
鍋に火が入り、やがて、ふつふつと小さな泡が上がってきた。最初は鍋からはみ出しそうだったキャベツが、熱が通るにつれて沈んでいく。肉にも火が通ったところで、私は汁を少しすくって味を確かめた。
薄いかな、と思って、塩を少し足す。もう一度味を見ると、今度は、キャベツの甘さと肉の味がわかりやすくなった。
うん。これなら、食べられる。
深い皿に盛りつけると、白い胸肉の間に、柔らかくなったキャベツが重なった。見た目はずいぶん地味だけれど、湯気はおいしそうだった。
「できました。味を見ていただけますか?」
ニコラさんが、匙を手に取った。まず汁をひと口、それから、キャベツと肉を食べる。私はその顔を見ながら、自分でももうひと口食べてみた。
もも焼きのような、脂のたっぷりした味ではない。けれど、肉と一緒に柔らかなキャベツを食べ、温かい汁を飲むと、ほっとする味だった。
「……ああ。悪くないな」
「本当ですか?」
「胸も、こうやって食うならいいな。汁ごと食べられるし」
ブリジットさんも、横から匙を伸ばした。ひと口食べてから、もうひと口。最後に鍋の中をのぞき込み、うなずいた。
「これ、たっぷり盛れるね」
「キャベツも入っていますから」
「安く出せるなら、喜ぶやつは多いよ」
そこで、ニコラさんと二人で値段の相談が始まった。今まで使わずに捨てていた胸肉を使うのだから、その分、ほかの肉料理より値段を抑えられる。キャベツをたっぷり入れて、大きな皿に盛っても、商売になるらしかった。
そうして、新しいメニューがひとつ増えた。
胸肉とキャベツの煮込み。
名前も、中身も、そのままだった。
◇◆◇
最初に目を留めたのは、新米冒険者のノエルさんだった。最近、食堂で顔を覚えたばかりの人で、いつも値段を見てから、少し考えて注文をする。
「エリアナさん。この値段、間違ってない?」
「はい。そのお値段です」
「小さい皿だったりする?」
「ちゃんと、一人前ありますよ」
それなら、と注文をもらったので、さっそく厨房へ伝えた。鍋の用意は、もうニコラさんに任せてある。私はできあがった皿を受け取り、ノエルさんの席へ運んだ。
「お待たせしました」
皿を置くと、ノエルさんが少し身を乗り出した。キャベツの間から見える肉を確かめ、それから匙を取る。
「……肉、こんなに入ってるんだ」
「胸肉ですけどね」
「いや、入ってるだけで、うれしいよ」
そう言って、食べ始めた。
次の料理を運ぶために席を離れたけれど、少しして戻ってみると、もう皿の底が見えていた。ノエルさんは最後の汁まで飲み、満足そうに息を吐いた。
「これ、いいなあ」
「お口に合いましたか?」
「うん。あったかいし、腹もいっぱいになった。この値段なら、また食べられる」
その言葉が、うれしかった。
新米のうちは、道具をそろえるのにもお金がかかるのだという。仕事で少し稼いでも、靴を直したり、足りないものを買ったりすると、食事に使える分は限られてしまうらしい。
その日は、お皿を下げるまでに、もう一度「うまかったよ」と言ってもらえた。
◇◆◇
翌日、ノエルさんは仲間を連れてきた。
「これだよ。昨日言ってたやつ」
「本当にこの値段か」
「お腹いっぱいになるよ。頼んでみなって」
そのやり取りが聞こえて、私は思わず笑ってしまった。勧めたノエルさん自身も、同じものを注文している。
数日もすると、駆け出しの冒険者たちの間では、すっかり知られるようになった。
「胸肉のやつ、まだある?」
「はい、ございます」
「じゃあ、それを二つ!」
長い名前を最後まで言う人は、あまりいなかった。「キャベツの煮込み」だったり、「安くて腹いっぱいになるやつ」だったりする。どれでも、何を頼みたいのかはわかった。
お客さんが増えてきたので、鍋も少し大きくなった。ニコラさんは、鳥をさばくと、ももと胸をそれぞれ別の器に取り分けるようになっていた。
「今日は、ずいぶん出ますね」
「昨日も最後にはなくなったからな。少し多めに仕込んでおいた」
以前なら捨てられていた部分が、今は、鍋の中から次々とお客さんのところへ運ばれていく。それを見るたびに、声をかけてよかったと思った。
やがて、冒険者以外のお客さんも来るようになった。
「ここで、安い煮込みを出してるって聞いたんだけど」
「はい。胸肉とキャベツの煮込みですね」
市場の店で働いているという人だった。いつも食べに来る冒険者から聞いたらしい。その人が次には仕事仲間を連れてきて、別の日には、近くの工房で働く人たちが並んで座っていた。
忙しいお昼に、手頃な値段で、温かいものをお腹いっぱい食べる。それだけの料理なのだけれど、それを喜んでくれる人は、思っていたよりも多かった。
◇◆◇
「エリアナ、胸肉の煮込みを三つ!」
「はい!」
厨房から呼ばれ、お盆を持っていく。並んだ皿には、今日も肉とキャベツがたっぷり入っていた。ニコラさんが最後に汁を注ぐと、ふわっと湯気が上がった。
「すっかり定番になりましたね」
「ああ。こいつを取っておくようになって、片づけるときの捨てる分も減ったよ」
そう言われて、私は笑った。
特別な材料を見つけたわけではない。珍しい調味料を使ったわけでもない。胸肉とキャベツを煮て、塩で味をつけただけだ。
それでも、今日もこれを食べに来てくれる人がいる。
「お待たせしました。煮込みです」
皿を置くと、お客さんがうれしそうに匙を取った。隣の席からは、同じものを追加で頼む声がする。私は注文を受け、空いたお皿を持って、また厨房へ戻った。
とにかく、安く、お腹いっぱいになりたい日には、ギルドの食堂へ。
そんなふうに言ってもらえる一皿として、胸肉とキャベツの煮込みは、近所でちょっとしたブームになったのだった。
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