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【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


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第28話 一騎打ち【第一部 完 つづきます】

【エリアナ視点】


「いいぞ。ただし、チーズ食い放題が条件だ」


 ゴーンさんは、大きな指でチーズをつまみながら、そう言った。


 師匠と顔を見合わせる。


 もっと、いろいろ説明しなければならないと思っていた。なにしろ、軍がやってくるのだ。いつものように、お酒を飲みに来たわけではない。


 けれど、ゴーンさんが気にしたのは、チーズだった。


「その条件、乗ったぜ」

「ありがとうございます、ゴーンさん」


 深々と頭を下げると、頭の上で、のんびりした声がした。


「おまえたちの町だろう」

「はい」

「なら、困るな」


 それだけ言って、ゴーンさんは残りのチーズを口に入れた。


 なんだか、胸の奥が温かくなった。


「森を出ねえって約束も、今回は俺から頼むんだからな。気にしなくていい」

「わかった」


 ゴーンさんのようなトロールは、寿命以外では死なないのだそうだ。


 そんな頼もしい人が、チーズで力を貸してくれる。安いものだった。


 それにしても、チーズ食べ放題。


 なんともゴーンさんらしい条件に、私は少しだけ笑ってしまった。


◇◆◇


 その日から、コエンナの城門の前には、ゴーンさんがどんと座っていた。


 初めのうちは、なかなか大変だった。


 町へ入ろうとした荷馬車が、ずいぶん手前で止まってしまったり。門から出てきた人が、ゴーンさんを見上げたまま固まってしまったり。


 まあ、気持ちはわかる。


 座っていても、ものすごく大きいのだ。


 けれど、ゴーンさんは誰かを追いかけるわけでも、荷物を奪うわけでもない。


 道をふさいでしまえば、大きなお尻を少しずらす。


 挨拶をされれば、ゆっくりうなずく。


 そして、領主館から届いたチーズを食べる。


 そんなことを繰り返しているうちに、町の人たちも慣れてきた。


「ゴーンさん、ちょいと通るよ」

「うむ」


 今では、そんなやり取りまで聞こえる。


 できれば、このまま何事もなく帰ってもらいたかった。


 チーズをたくさん食べて、また森へ戻る。それで済めば、どんなによかっただろう。


 けれど、街道の向こうに土煙が上がった。


 王家の黒獅子旗が、風にはためいていた。


◇◆◇


 王家軍は、城門から距離を取った場所に布陣した。


 槍の穂先が、いくつも並んでいる。


 日差しを受けた金属の光は、きれいだと思うより先に、怖いと思った。


 あれを持っているのは、人間だ。


 こちらへ突きつけられれば、私も剣を振るわなければならない。


 木剣の柄を握り直した、そのときだった。


 兵の列が割れ、一人の男の人が歩いてきた。


 初老の人だった。


 背筋が伸びていて、歩き方に無駄がない。手にしているのは、一本の木剣だけだ。


 師匠が、低くうめいた。


「ありゃあ、まずいぞ」

「お知り合いですか?」

「俺の師匠だ。オルディス老」

「ええっ、師匠の師匠ですか!?」


 思わず、もう一度見た。


 あの師匠に、剣を教えた人。


 そう思うと、ただ歩いているだけの姿まで、急に恐ろしく見えてくる。


「オルディス・ヴァルケン。年を食ったぶん、体力は落ちてるだろうがな。技まで鈍っちゃいねえだろ。まずいな」

「でも、どうしてです? ゴーンさんなら、死なないのでしょう?」


 師匠は、隣に座っているゴーンさんをちらりと見た。


「師匠は、俺と似てるんだよ。まあ、当たり前だがな。火炎剣を使える」

「火炎剣……」

「トロールは火に弱い。火矢くらいなら、どうってことねえが、あれはまずい」

「ええええっ!?」

「死なねえことと、平気なことは別だ。火炎剣を浴びながら、門を守り続けられるかって話だよ」


 私はゴーンさんを見上げた。


 死なないから大丈夫。


 そう思っていた自分が、急に恥ずかしくなった。


 痛くないわけでは、ないのだ。


 そのとき、よく通る声が響いた。


「ふぉっふぉっふぉっ。まずは、戦の前に一騎打ちを所望したい」


 オルディス老は、私たちの前で足を止めた。


「聞けば、セヴラン坊やが弟子を取ったというではないか。ひとつ、ワシが稽古をつけてやろう」


 セヴラン坊や。


 こんな状況なのに、そこだけ妙に耳に残った。


 ちらりと見ると、師匠はなんとも言えない顔をしていた。


 オルディス老は、木剣を軽く持ち上げてみせた。


 殺しに来た、という雰囲気は感じられない。


 もちろん、木剣だから安全だなんて、私が言えたことではない。けれど、あの人はわざわざ、稽古と言った。


 一騎打ちをしている間は、軍も動かないだろう。


 少しでも時間を稼げるなら。


「私、行きます」


 師匠が私を見た。


 ほんの少しの間、目が合った。


「そうか……」


 それ以上は、何も言わなかった。


 止められなかったことが、少し怖くて、少しうれしかった。


 私は木剣を持ち、城門の前へ歩き出した。


◇◆◇


 近くで見るオルディス老は、穏やかそうなおじいさんだった。


 ただし、どこへ打ち込めばよいのか、まるでわからない。


 何気なく立っているだけなのに、こちらが動こうとするたび、その先に木剣がある気がする。


「エリアナと申します。よろしくお願いいたします」

「うむ。ワシは見ての通り年じゃ。三十分一本勝負でどうかの?」

「いいでしょう」


 年だから、三十分。


 その時点で、何かおかしい気もする。


 私なら、もっと短くしてほしい。


「おーい、そこの騎士。悪いが、審判をしてくれんかの?」

「ぼ、僕ですか!?」


 呼び止められたリュカが、自分を指さした。


「ほかに誰がおる」

「はっ、はい!」


 リュカは門番から砂時計を借りると、私たちの間へ駆けてきた。


 私を見て、わずかに眉を寄せる。


「エリアナ様……」

「大丈夫。お願いね」


 大丈夫かどうかは、わからない。


 けれど、今さら引き返すつもりもなかった。


 木剣を構える。


 向こうも、すっと剣先を上げた。


 先ほどまで穏やかだった目が、こちらをまっすぐに捉えた。


「では、はじめっ!」


 リュカの声と同時に、私は踏み込んだ。


 正面から振り下ろした木剣が、乾いた音を立てる。


 受け止められた。


 そう思った瞬間、剣先が横へ流れた。


「っ!」


 体が前へ泳ぐ。


 視界の端から、木剣が伸びてきた。


 慌てて足を引き、顔の前へ剣を戻す。ぶつかった衝撃が、手首まで響いた。


「踏み込むのはよい。じゃが、上半身だけ先に行っておるぞ」


 穏やかな声だった。


 声に反して、剣はまったく穏やかではなかった。


 右から来たと思えば、次は左。


 受けようとすると、その手前で軌道が変わる。


 私は後退しながら、どうにか剣を合わせた。


「下がるときも、足をそろえぬことじゃ」


 はい、と返事をする余裕もない。


 木剣が、私の肩すれすれを通り過ぎた。


 近い。


 ものすごく、近い。


 それなのに、オルディス老の呼吸は静かだった。


 私は魔力を巡らせ、足に力を込めた。


 一気に横へ動き、低い位置から切り上げる。


 今度こそ。


 そう思った一撃も、木剣の腹で受け流された。


「ほう」


 オルディス老の目が、少し細くなった。


「よい速さじゃ。じゃが、当てたいところを先に見すぎる」


 言われた直後、その木剣が私の胴へ向かってきた。


 剣を戻して受ける。


 止まらない。


 ここで安心してはいけない。


 師匠との稽古で、何度も叩き込まれたことだ。


 私は受けた勢いを使って体をずらし、次の一撃を避けた。


「うむ。それでよい」


 褒められた。


 褒められながら、さらに追い込まれた。


 これ、本当に稽古だ。


 とても厳しい、稽古だ。


◇◆◇


 何度、剣を合わせただろう。


 手のひらが熱い。


 汗が顎から落ち、踏み固めた土に小さな染みを作った。


 オルディス老は、私ほど大きく動かない。


 半歩ずれる。


 手首を返す。


 ほんの少し剣の角度を変える。


 それだけで、私の攻撃は当たらなくなる。


 追いかけようとすれば、その分だけ私の足が疲れる。


「腕で全部、どうにかしようとするでない。腰も使うんじゃ」

「は、はいっ!」


 どうにか返事をして、踏み込む。


 今度は、一度受けられても止まらなかった。


 剣を返し、もう一度。


 さらに、足を入れ替えて横から。


 三度目の打ち込みで、オルディス老が一歩下がった。


「おお。今のはよいぞ」


 うれしい。


 でも、うれしがっている余裕がない。


 下がったはずの相手が、もう間合いの中へ戻ってきていた。


「いけー! そこよー! 倒しておしまい!」


 甲高い声が、兵の列から飛んできた。


 お姉様だった。


「何をしているの! もっと強く打ちなさい!」


 うるさい。


 はっきり言って、ものすごくうるさい。


 こっちは、少しでも気を抜けば打たれそうなのに。


 そちらを見そうになった瞬間、木剣が目の前を走った。


「よそが気になっても、目は離さぬことじゃ」

「はいっ!」


 身を沈めてかわし、横へ抜ける。


 危なかった。


 お姉様に文句を言うのは、あとにしよう。


 今は、この目の前のおじいさんだ。


 息を吸う。


 吐く。


 肩の力を、少しだけ抜く。


 すぐに勝とうとしなくていい。


 足を止めず、剣を見失わず、次へつなげる。


 師匠の言葉を、ひとつずつ思い出した。


 城門のほうが、一瞬だけ視界に入った。


 師匠が、腕を組んで立っている。


 その隣には、ゴーンさんが座っていた。


 大きな手に、食べかけのチーズを持ったまま。


 いつもの森なら、なんでもない景色だった。


 私は唇を結び、もう一度、木剣を握り直した。


◇◆◇


「残り、わずかです!」


 リュカの声が聞こえた。


 ようやく。


 ようやくなのか。


 私の腕は、すっかり重くなっていた。


 剣を持ち上げるだけでも、肩が抗議する。


 けれど、オルディス老は待ってくれない。


「疲れたときほど、構えを小さくするんじゃ。大振りでは戻せんぞ」


 木剣が迫る。


 言われた通り、肘を引いて受ける。


 先ほどよりも、少しだけ楽だった。


 なるほど、と思う。


 思ったところへ、次が来る。


 なんて親切で、なんて容赦のない人なのだろう。


「そこよ! 早く、その子を――」

「な、なにするの、ふごごごご!」


 お姉様の声が、変なふうに途切れた。


 オルディス老の剣が止まった。


 私も、動きを止める。


 兵の列の間で、何人かが振り返っていた。


 その向こうに、お姉様の姿が見えた。


 片腕を押さえられ、口をふさがれている。


 そして、その背後にいたのは。


「ユゴーさん……?」


 いつの間に、あんなところへ。


 そばにいた兵がお姉様の身柄を引き受けると、ユゴーさんが一歩前へ出た。


 その手には、書面が握られていた。


「皆、聞け!」


 大きな声が、門前に響く。


「王都は、我が主、ブライ侯ロドニーが占拠した! 国王陛下をはじめ、王宮におられた王族方は全員、生きて身柄を確保している!」


 生きて。


 私は、その言葉に息をついた。


「セレスティア殿下の身柄も、ただいま確保した! 内閣は停戦を希望する!」


 兵たちの間に、ざわめきが広がった。


 槍を持ち直す人。


 隣の人を見る人。


 どうすればよいのかわからないまま、立ち尽くす人。


 その前で、オルディス老が木剣を下ろした。


「ふむ。よくわからんが、終わりのようじゃの」


 まるで、雨がやんだことを確かめるような口調だった。


 私は、剣を下ろすことさえ忘れていた。


「それにしても、セヴランのやつ、よくお前さんを仕込んだの」


 オルディス老が、私の顔をのぞき込む。


「今なら、魔王軍の四天王くらいとは、よい勝負をするかもしれん」

「し、四天王……?」


 そんなものと、勝負をする予定はない。


 できれば、今後もないままでいてほしい。


「まだまだ、強くなるぞ」


 にこりと笑われた。


 私は何か返そうとして、結局、これしか出てこなかった。


「つ、疲れた……」


 膝に手をつく。


 呼吸が、なかなか整わない。


 オルディス老は、涼しい顔で木剣を肩に担ぐと、兵たちのほうへ戻っていった。


「皆、武器を置くんじゃ。槍も弓もな。これ以上、戦うことはない」


 しばらくの沈黙。


 それから、一人が剣を置いた。


 隣の兵が槍を下ろした。


 金属の触れ合う音が、次々と続いた。


 誰も、斬りかかってこなかった。


 武器を手放した兵の一人が、大きく息を吐くのが見えた。


 その顔を見て、思った。


 誰も、望んでいない戦だったのだ。


◇◆◇


「エリアナ様、お水です」


 差し出された水を受け取ると、ようやく、自分がひどく喉を渇かせていたことに気づいた。


「ありがとう、リュカ……」

「お疲れさまでした」


 本当に、疲れた。


 立っているだけなのに、足が小さく震えている。


 師匠が近づいてきて、私の顔を見た。


「帰って休め。あとはこっちでやる」

「はい……」


 今は、その言葉がとてもありがたかった。


「セヴラン」


 ゴーンさんが、空になった手を見せる。


「チーズ」

「おう。まだまだ食っていいぞ。約束だからな」


 私は、少しだけ笑った。


 ゴーンさんにも、あとでちゃんとお礼を言おう。


 もっとおいしいチーズを、持っていこう。


 けれど、今は。


 今だけは、寝かせてほしかった。


 潮風亭へ戻ると、おかみさんが私の顔を見て、すぐに道をあけてくれた。


「おかえり。ご飯は取っておくからね」

「ただいま、です……」


 階段を上がるのが、こんなに大変だったとは。


 自分の部屋へ入り、木剣をいつもの場所に置く。


 靴を脱いで、ベッドに倒れ込んだ。


 窓から、潮の匂いが入ってくる。


 遠くで、誰かが荷車を引いている音がした。


 いつもの、コエンナの音だった。


 戦争になるかもしれないと、ずっと身構えていた。


 その間、師匠に稽古をつけてもらって。


 最後には、師匠の師匠にまで、稽古をつけてもらった。


 ……私、ここしばらく、稽古ばかりしていたなぁ。


 そんなことを考えているうちに、まぶたが落ちた。


 そのまま私は、深い眠りに沈んでいった。


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