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【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


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第29話 断罪から始まる私の新生活

【エリアナ視点】


 目が覚めたら、体のあちこちが痛かった。


 腕を上げると痛い。

 階段を下りても痛い。


 師匠の師匠というのは、寝て起きてからも強いらしい。


 それでも、おかみさんの温かい食事を食べ、ゆっくり休んでいるうちに、体は元に戻っていった。


 そして私は、師匠とリュカとともに、王都アルヴェへ向かった。


 王家の処分を、決めるために。


◇◆◇


 久しぶりに見る王宮は、何も変わっていないように見えた。


 高い天井。

 磨かれた床。

 窓辺に並ぶ、手入れの行き届いた花。


 けれど、廊下ですれ違う人たちの顔は、以前とは違っていた。


 私を見て足を止める人。

 何か言いかけて、頭を下げる人。


 その間を、私は歩いた。


 隣にはリュカがいた。


 少し後ろからは、師匠の足音が聞こえる。


 その音を聞きながらなら、この廊下も歩けた。


 案内された部屋では、宰相オスヴァルトと、ブライ侯ロドニーが待っていた。


 机には、何冊もの帳簿が積まれている。


「お越しいただき、ありがとうございます。エリアナ殿下」


 ロドニー侯が頭を下げた。


「まずは、確認していただきたいものがございます」


 私は椅子に座り、差し出された書類に目を通した。


 復興のために集められた追加の税。


 その使い道が、数字とともに記されていた。


 宝飾品。

 調度品。

 新しい衣装。

 王宮で開かれた宴の費用。


 支出を認める欄には、父の署名があった。


 私は、一枚ずつ紙をめくった。


 潮風亭のお客さんたちが、何を頼むか迷っていた顔を思い出す。


 おかみさんが、仕込む肉の量を減らしていた手元も。


 あの人たちが出したお金が、ここへ来ていたのだ。


「復興には、どれくらい回ったのですか」


 答えたのは、財務大臣のマティアスだった。


 その説明は、私が期待したものではなかった。


 私は最後まで聞き、帳簿を閉じた。


 続いて示されたのは、軍を動かすための命令書だった。


 僭称者エリアナを討つ。


 紙の上に書かれていると、あらためて妙な気分になる。


 私はコエンナで働いていただけなのに。


 料理を運んで、子供たちに剣を教えて、ときどき魔物を討伐して。


 そんな暮らしのところへ、軍がやってきたのだ。


「オルディス殿も、道場の存続を盾に、指揮を引き受けるよう迫られたとのことです」


 宰相の言葉に、私は顔を上げた。


 あのおじいさんにも、事情があったのだ。


 稽古の途中で何度もかけてくれた助言を、思い出した。


 私は小さく息を吐いた。


「……わかりました」


 父と母と姉にも、話を聞かなければならない。


 そのうえで、決めよう。


◇◆◇


 三人が連れてこられたとき、最初に目が合ったのは父だった。


 王冠はなかった。


 母も、帳簿にあったような華やかな宝石は身につけていない。


 姉だけは、以前と同じように、強い目で私を見ていた。


 宰相が、確認された事実を読み上げた。


 復興資金の王家への流用。


 そして、私を僭称者と呼び、コエンナへ軍を向かわせたこと。


 姉は、途中から何度も口を挟んだ。


「私は、王家のために――」

「その支出は、復興のために必要だったのですか」


 私が尋ねると、姉は言葉を詰まらせた。


 机の上には、品物の名も、金額も、受け取った者の名もある。


 声を大きくしたところで、消えるものではなかった。


「エリアス」


 父が、私を呼んだ。


 昔から聞き慣れた声だった。


「お前は、我々をどうするつもりだ」


 私は父を見た。


「エリアナです」


 父の眉が、わずかに動いた。


「今は、エリアナと名乗っています」


 それだけは、先に言っておきたかった。


 少しの間、部屋が静かになった。


 私は膝の上で重ねていた手をほどいた。


「父上、母上、そしてお姉様。三人には、サルデー島へ移っていただきます」

「サルデー島……?」


 母が、かすれた声を出した。


 王国の南にある島だ。


 海に隔てられたその場所で、三人には暮らしてもらう。


「島流し、ということです」


 自分の口から出た言葉を、私ははっきり聞いた。


「住まいと、暮らすために必要なものは用意します。ただし、島から出ることも、国政に関わることも認めません」


 姉が椅子から腰を浮かせた。


「私を、そんなところへ追いやるつもり!?」


 そばにいた兵が、一歩動いた。


 私は姉から目をそらさなかった。


「私は、潮風亭で働いていたかっただけです」


 お昼の注文を聞いて、料理を運んで。


 忙しい時間が終わったら、まかないを食べる。


 それでよかった。


「そこへ軍を向けたのは、お姉様です」


 姉は何かを言おうとした。


 けれど、その声を待つ者は、もういなかった。


 宰相が処分の内容を確認し、ロドニー侯がうなずく。


 私の決定は、正式な裁きとして記録された。


 そのとき、母が顔を上げた。


「レオンは……あの子は、どうなるの」


 私は、すぐに答えた。


「レオンには、罪はありません」


 生まれたばかりの弟だ。


 税を集めたわけでも、軍を動かしたわけでもない。


 父や母や姉に、思うところはある。


 けれど、生まれてきたことまで、弟の罪にするつもりはなかった。


「あの子は、ここで育ちます」


 母は唇を震わせた。


 私は、それ以上の言葉を見つけられなかった。


◇◆◇


 弟のレオンが、王位につくことになった。


 もちろん、まだ国の仕事などできるはずもない。


 摂政には、宰相オスヴァルトが就いた。


 その話がまとまったあと、私は弟に会いに行った。


 乳母に抱かれた弟は、小さな手を動かしていた。


 私が指を差し出すと、きゅっと握る。


 温かかった。


 この手には、剣も、王笏も、まだ大きすぎる。


「……あなたも、大変なことになったわね」


 話しかけると、弟は私の顔を見た。


 何を言われているのか、わからないだろう。


 それでも、しばらく指を離さなかった。


 私は、その小さな手を見つめた。


 この子が大きくなるころには、王宮がもう少し暮らしやすい場所になっているといい。


 少なくとも、自分の名前で呼んでもらえる場所であってほしかった。


 やがて、国民への発表が行われた。


 国王の交代と、摂政の就任。


 それから、かつて王太子エリアスと呼ばれていた私が、実はエリアナという女性だったことも。


 王家の方針によって、王子として育てられていた。


 その事実が、正式に公表されたのだ。


 発表された文面を読んだとき、私は同じところに何度も目を戻した。


 エリアナ。


 そこには、ちゃんと私の名前があった。


 姉が課した追加の税も撤回され、税は以前の水準へ戻された。


 復興の仕事は残っている。


 そのための予算と仕事の進め方は、内閣であらためて見直されることになった。


 今度こそ、必要なところへ届いてほしかった。


 潮風亭のお客さんたちも、少しは気楽に注文できるようになるだろうか。


 おかみさんの煮込みに、もう一品。


 そんな楽しみが、戻ってくればいいと思った。


◇◆◇


 ひと通りのことが終わった日、私たちは王宮の外へ出た。


 門を抜けると、焼きたてのパンの匂いがした。


 通りの向こうでは、店先に野菜を並べている人がいる。


 荷車が通り、誰かが道を譲った。


 王都にも、普通の暮らしがあった。


 以前は馬車の窓から眺めるばかりだった、その景色の中に、今は自分の足で立っている。


「エリアナ様」


 リュカが、隣から尋ねた。


「これから、どうされます?」


 私は少し考えた。


 大きなことを、いくつか決めてきた。


 けれど、自分の明日については、まだ何も決めていなかった。


「そうだなぁ。王都でも、雇ってくれる料理屋を探そうかな」

「料理屋、ですか」

「うん。潮風亭のお仕事、楽しかったもの」


 料理を運ぶのも、お客さんと話すのも好きだった。


 たまに困った酔っ払いさんを、お外へ案内することも含めて。


 リュカは、少し笑った。


「エリアナ様でしたら、きっと見つかります」

「そうだといいな。師匠は?」


 振り返ると、師匠は伸びをしていた。


「ああ。俺は、オルディス師匠の道場でも手伝うぜ」

「道場を?」

「跡継ぎを探してたらしいからな。手伝いながら、見込みのあるやつを育てりゃいい。俺も弟子を増やすぜ」


 師匠が教える道場。


 あの稽古を受ける人が、これから増えるのか。


 私は、まだ見ぬ弟子たちへ、心の中でそっと声援を送った。


「セレナさんには、お話ししてあるんですか?」

「してるわ。コエンナの留守を任せる話もな。向こうにも戻りながらになるが、まあ、なんとかなるだろ」


 今度は、黙って逃げ出すつもりではないらしい。


 それなら、安心だ。


 リュカも、師匠の騎士として、王都での仕事をすることになる。


 コエンナの領兵たちとの引き継ぎや、相談も必要だそうだ。


 みんな、それぞれに準備があった。


 私も、おかみさんに話をしなくては。


◇◆◇


 新生活の支度のため、一度コエンナへ戻った。


 潮風亭でこれからのことを話すと、おかみさんは、少し寂しそうな顔をした。


 けれど、すぐにいつもの調子で笑った。


「そうかい。王都の料理屋も、いい働き手が来て喜ぶだろうよ」

「まだ、雇ってもらえるかはわからないんですけど」

「あんたなら大丈夫さ。うちで働いてたんだからね」


 その言い方がうれしくて、私も笑った。


「今まで、ありがとうございました」

「また顔を見せな。まかないくらい、食べさせてあげるよ」

「はい。必ず」


 荷物をまとめながら、部屋を見回した。


 ここで、私はエリアナとして暮らし始めた。


 窓から入る潮風も、階下から聞こえる食器の音も、きっと忘れない。


 木剣を手に取り、荷物と一緒に持ち上げる。


 さあ、次の仕事を探そう。


 今の私には、王宮の仕事に加えて、料理屋で働いた経験もある。


 履歴書に書くなら、ずいぶん妙な経歴になりそうだった。


 王家を裁いたあと、料理屋へ職探しに行く。


 我ながら、忙しい。


 でも、これからどんなお店で働けるのかと思うと、少し楽しみだった。


 こうして、私たちの新しい生活が始まった。

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