第26話 師匠の師匠
【初老の魔法剣士、オルディス・ヴァルケン視点】
ワシはオルディス・ヴァルケン。
王都アルヴェの端で、道場を開いておる。
剣を振る者に、足の置き方を教える。
魔力を使いたがる者には、その前に剣をまっすぐ振れと言う。
派手な技を覚えたがる若者ほど、足元がおろそかになるものじゃ。
「ジル。そこで踵を浮かせるでない」
「はい、師範!」
若い弟子が、慌てて構えを直す。
ワシはその木剣を軽く受け、横へ流した。
空いた胸元に、こちらの剣先を止める。
「ほれ。足が残っておらん」
「もう一本、お願いします」
「よかろう」
今でも、若い連中の相手くらいはできる。
ただし、続けて何人も相手をすると、翌朝の足腰が少々うるさい。
昔は、こんなことはなかったのじゃが。
弟子の中には、セヴランという男もおった。
そう。魔王を倒した、あの勇者セヴランじゃ。
ほっほっほ。
立派になったものよ。
もっとも、道場にいたころから、じっとしておられん男だった。
稽古が終われば、すぐに外へ出ていく。
次はどこへ行く。
何を見に行く。
そんな話ばかりしておった。
その弟子と、あのような形で向き合うことになるとは。
このときのワシは、まだ思ってもおらなんだ。
◇◆◇
王宮から使いが来たのは、昼の稽古を終えたころだった。
道場の入口に、きちんとした身なりの男が立っておった。
「オルディス・ヴァルケン殿でいらっしゃいますか」
「そうじゃが」
「王宮より参りました。リオネルと申します」
男は深く頭を下げた。
その礼儀正しさに反して、顔色はあまりよくなかった。
ワシは弟子たちに稽古を続けるよう告げ、奥の小部屋へ案内した。
机を挟んで座ると、リオネルは書状を差し出した。
「軍の指揮を、お引き受けいただきたく」
「軍?」
道場の剣術指南ではないらしい。
書状へ目を落とす。
読み進めたところで、ワシは思わず顔を上げた。
「……セヴランを討て、と?」
「はい。セヴラン、および僭称者エリアナを討つ軍です」
もう一人の名には、心当たりがなかった。
王宮が誰を僭称者と呼んでおるのか、事情も知らん。
だが、それより先に確かめたいことがあった。
「なぜ、ワシなのじゃ」
リオネルの視線が、わずかに泳いだ。
「勇者セヴランの師であられる、オルディス殿であればと」
「それは、書状にも書いてあるのう」
ワシが見つめておると、男は口を閉じた。
しばらくして、道場のほうをちらりと見る。
誰も近くにいないことを確かめるような仕草だった。
「……ここだけの話として、お聞きいただけますか」
「内容にもよる」
「実は、誰も引き受けないのです」
そう言ったあと、リオネルはしまったという顔で唇を結んだ。
ワシは、長く息を吐いた。
それはそうじゃろう。
なんせ、魔王を倒した弟子じゃ。
武器を持たせた兵を並べれば、それで勝てる相手ではない。
セヴランが何をした男か知っておれば、指揮を引き受けるのをためらうのも当然だ。
師であるワシなら、少しは相手が務まるじゃろう。
だが、長期戦になれば不利だ。
剣を合わせる技量だけでは済まん。
動き続ける足も、魔力を保つ体も、昔のままとはいかぬ。
ワシが若いころなら、勝てたじゃろうが。
今のあやつを相手に、いつまでも戦い続ける自信はない。
「それで、最後にワシへ回ってきたわけか」
「……お力をお借りしたく」
リオネルは頭を下げた。
この男自身も、あまり引き受けたくない役目を押しつけられてきたらしい。
それでも、はいそうですかと応じる話ではない。
「断ったら、どうなる?」
ワシが尋ねると、リオネルの肩が固くなった。
答えは、すでに用意されている顔だった。
「王都で、道場を続けられなくする、と」
「……ほう」
「そのように、お伝えするよう申しつかっております」
外から、木剣の打ち合う音が聞こえた。
乾いた音が二つ。
誰かが踏み込み、別の誰かが声を上げる。
ワシは書状を机に置いた。
「ずいぶんと、熱心なお誘いじゃな」
リオネルは、何も答えなかった。
◇◆◇
ワシ一人なら、どうとでもなる。
剣を一本持って、王都を出ればよい。
寝る場所も、食うための仕事も、探せばなんとかなるじゃろう。
しかし、ここには弟子たちがおる。
この街で働きながら通う者。
家族を養い、合間に剣を習いに来る者。
全員が、身ひとつでどこへでも行けるわけではない。
王宮が本気で道場を潰しに来るなら、あの者たちまで巻き込まれぬ保証はなかった。
「師範!」
外からジルの声がした。
「今の踏み込み、あとで見ていただけますか!」
ワシは入口のほうを見た。
若い声だった。
少しできるようになったことを、早く確かめてもらいたい声。
「ああ。続けておれ」
そう返してから、リオネルへ向き直った。
「ワシが引き受ければ、道場には構わぬのじゃな」
「はい。そのように承っております」
頼りない返事ではあった。
じゃが、ここでこの男を追い返しても、弟子たちの安全が増すわけではない。
ワシは目を閉じ、ひとつ息を吐いた。
「……わかった。引き受けよう」
リオネルが、目に見えて安堵した。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほど、気持ちよく引き受けたわけではないぞ」
「……承知しております」
弟子を守るために、別の弟子を討つ軍を率いる。
まったく。
長く生きておると、ろくでもない話も回ってくるものじゃ。
◇◆◇
そして、出立の日。
ワシは使い慣れた剣を帯び、集まった軍の前に立っておった。
旗が風にはためく。
荷車の車輪が鳴り、馬が土を踏む。
兵たちは支度を整えながら、ときおり、こちらへ目を向けた。
勇者を討つ軍。
その言葉を思い返すたび、頭の奥が重くなる。
これから顔を合わせることになる弟子を思い、ワシはひげをなでた。
セヴランよ。
お前も、ずいぶん厄介な相手に目をつけられたものじゃのう。
そんなことを考えていたとき、列の後ろが騒がしくなった。
華美な馬車が一台、近づいてくる。
磨かれた金具が、朝の日差しを反射していた。
「……なんじゃ、あれは」
馬車が止まり、窓が開く。
そこから顔を見せたのは、副宰相セレスティア殿下だった。
「あのエリアナを今度こそ幽閉するわ!」
よく通る声だった。
近くにいた兵たちが、慌てて姿勢を正す。
ワシは一度、目を閉じた。
開けても、馬車は消えておらんかった。
「殿下も、ご同行なさるので?」
「もちろんよ。私が命じた討伐なのですもの。最後まで見届けるわ」
聞いておらん。
少なくとも、ワシは聞いておらんかった。
セレスティア殿下は、並んだ兵と荷車を見渡した。
「出発はまだなの? いつまで支度をしているの。早く進みなさい」
声をかけられた兵が、ワシを見た。
それから、馬車を見る。
ワシは軽く手を上げ、まだ持ち場を離れぬように示した。
兵はうなずいたが、その顔には困惑が残っておった。
始まる前から、これか。
軍に指揮官は二人いらん。
ワシに指揮を取れと命じておいて、その横から別の命令を飛ばされては、兵もどうしてよいかわからなくなる。
セヴランを相手にするだけでも、十分すぎるほど厄介なのじゃ。
そこへ、副宰相までついてくるとは。
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