第23話 蜂蜜酒だーいすき!
【エリアナ視点】
ルネ子爵から、パーティーへのお誘いが来た。
師匠の新居祝いに来ていた、隣の領地の子爵様だ。
今度は、こちらでおもてなしをしたいとのことだった。
その話を聞いた私は、思わず顔を上げた。
「ルネ子爵のところって、蜂蜜酒が有名ですよね?」
「ああ。今回は、そいつをご馳走してくれるらしい」
潮風亭で昼食を取っていた師匠が、手紙を畳んだ。
「お前とリュカも、よけりゃ連れてきてくれってよ。一緒に行くか?」
「行きたいです!」
すぐに返事をしてから、厨房を振り返る。
ハンナさんが、こちらを見て笑っていた。
「その日なら、休みにしていいよ。行っといで」
「ありがとうございます!」
「おいしいものを食べたら、あとで教えておくれ」
「はい!」
前にいただいた果実酒も、おいしかった。
けれど、今回は蜂蜜酒だ。
あの甘い香り。
口の中に残る、柔らかな味。
楽しみだなと思って隣を見ると、リュカが少しだけ嫌そうな顔をしていた。
本当に、ほんの少し。
口元が引きつったような顔だった。
「リュカ?」
「エリアナ様。蜂蜜酒は、ほどほどに……」
「えー、甘くておいしいじゃなーい!」
「それは、そうなのでしょうが」
なぜか、言葉を濁された。
そういえば、師匠の新居祝いでは、途中から記憶があいまいだ。
記憶があることはある。
お料理がおいしくて、お酒もおいしくて、リュカと楽しくお話をした。
ただ、何を話したのかは、よく覚えていない。
「この前も、楽しかったよね?」
「はい。楽しかったのですが」
リュカはそこで、師匠を見た。
師匠は魚の身をほぐしながら、肩を揺らしていた。
何がおかしいのだろう。
◇◆◇
当日は、セレナさんも一緒だった。
四人で馬車に乗り、コエンナを離れる。
街道沿いには畑が広がり、やがて、低い木々の間に白い巣箱が見えるようになった。
「ほら、あそこ」
私が指さすと、リュカも窓の外を見た。
「ずいぶん、たくさんありますね」
「あれが、お酒になるんだね」
そう言うと、また少し、心配そうな顔をされた。
ちゃんと覚えている。
ほどほどに、だ。
ルネ子爵の屋敷は、師匠の領主館より少し小ぶりだった。
明るい石壁に、蔓の絡む窓辺。
庭には花が植えられ、玄関へ続く道も、きれいに掃き清められている。
「ようこそ、お越しくださいました」
子爵が、自ら出迎えてくれた。
今回は大勢の貴族が集まる宴ではなく、師匠と、その関係者を招いたものだという。
案内された部屋には、私たちがゆったり座れる卓が用意されていた。
庭へ向いた窓が開いていて、気持ちのいい風が入ってくる。
これくらいの広さが、かえって落ち着く。
卓上には、焼いた肉や薄いパン、木の実を使った菓子が並んでいた。
そして、その真ん中に、琥珀色の液体が入った瓶。
蜂蜜酒だ。
「ささっ、セヴラン殿のお弟子様も、一杯どうぞ」
ルネ子爵が、私の杯へ注いでくれた。
「ありがとうございます」
杯を持ち上げると、ふわりと甘い香りがした。
ひと口。
おいしい。
舌の上に、まろやかな甘さが広がる。
飲み込んだあとには、喉の奥が少し温かくなった。
もう、ひと口。
「……おいしいです」
「それは何より。うちの自慢の品ですから」
子爵がうれしそうに笑った。
私も、うれしかった。
その一杯が、いけなかったのだと思う。
◇◆◇
ここから先の細かいことは、あとでリュカから聞いた。
私が覚えているのは、とにかく楽しかったということだ。
窓から風が入ってきて、料理がおいしくて。
みんなの話し声が、少し遠くで、柔らかく響いていた。
そして私は、隣にいるリュカの袖をつかんだらしい。
「リュカ」
「はい」
「遠い」
「隣におりますが」
「もうちょっと、こっち」
リュカが椅子を少し寄せる。
それでも、私は不満だったようだ。
「まだ遠い」
「エリアナ様。もう、肩が触れています」
そこで私は、リュカの腕に自分の腕を絡めた。
「これでいい」
「……そうですか」
リュカの返事には、少し間があったという。
当然だろう。
あとで聞いた私は、顔を覆いたくなった。
でも、そのときの私は、たいへん満足していたらしい。
「リュカの手、貸して」
「何か御用ですか?」
「見たいの」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
指を伸ばして、比べた。
「大きいね」
「エリアナ様よりは、そうですね」
「あったかい」
「……はい」
それから、ずっと握っていたそうだ。
「エリアナ様。少し、手を離していただけますか」
「どうして?」
「水差しを取ろうかと」
「私も取る」
私まで一緒に身を乗り出しかけて、止められた。
「僕が取りますから。座っていてください」
「じゃあ、戻ってきてね」
「席は立ちません」
師匠は、そこで笑ったらしい。
「リュカ。ずいぶん懐かれてんな」
「セヴラン様……」
助けを求めた声だった、とリュカは言っていた。
けれど師匠は、笑いながら蜂蜜酒を飲んだだけだったという。
セレナさんが、水の杯をこちらへ寄せてくれた。
「エリアナちゃん。こちらも飲んでね」
「はあい」
私は素直に水を飲んだ。
片方の手では、リュカの袖をつかんだまま。
どうして、そこまで離したくなかったのか。
それは、今の私にもわからない。
ただ、そのときは、リュカが隣にいるのが、とてもうれしかったのだと思う。
水を飲み終えると、今度は肩へ寄りかかった。
「リュカ」
「なんでしょう」
「呼んだだけ」
「……はい」
少しして、また呼んだ。
「リュカ」
「はい」
「ちゃんと返事してくれるね」
「お呼びですので」
私はそれを聞いて、笑っていたらしい。
そのあとも、何度か呼んだそうだ。
リュカは、そのたびに返事をしてくれたという。
◇◆◇
宴は、楽しかった。
師匠とルネ子爵が何かを話し、セレナさんが笑う。
私も笑って、隣のリュカへ、さらに体を寄せた。
杯の中で、蜂蜜酒がきらきらしていた。
そこへ、馬の蹄の音が聞こえた。
速い音だった。
屋敷の前で止まり、今度は足音が近づいてくる。
そのあとに聞いた声は、はっきりと覚えている。
「子爵閣下、大変です!」
戸口に現れたのは、埃のついた外套を着た青年だった。
手には折り畳んだ書面を握っている。
ルネ子爵が、杯を置いた。
「テオ。何があった」
「首都アルヴェにて、新たに副宰相へ就任された、セレスティア様より布告が……」
セレスティア。
その名前が、耳に引っかかった。
副宰相に、就任した?
私は顔を上げた。
「つづけなさい」
子爵の声が、先ほどまでと違っていた。
テオさんは息を整え、書面を開いた。
「はい。魔王との戦いによる復興資金を集めるため、追加の徴税を行うとのことです。ついては、至急、追加の税を納められたし、と」
私は、リュカに絡めていた腕をほどいた。
預けていた体を離し、背筋を伸ばす。
口の中に残っていた蜂蜜の甘さが、急に遠くなった。
酔いは、一瞬でさめていた。
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