第22話 姉の嫉妬
【ブライ侯ロドニー視点】
「副宰相の補充、か」
ユゴーから報告を受け、私は机の上の紙を見下ろした。
エリアナ殿からの提案は、簡潔だった。
各部局の相談を整理すること。
優先順位を調整すること。
必要な判断を、資料をそろえたうえで宰相へ上げること。
そして、その役目を受け持つ者を、空席となっている副宰相に置くこと。
「王都で毎日相談できる相手がいたほうが、早いはずだとおっしゃっていました」
「……まったくだな」
私は椅子の背に身を預けた。
あの方がいなくなって困った。
あの方の力を借りなければならない。
そのことばかり考えていた。
いなくなった人の働きを嘆きながら、その人が座っていた席を空けたままにしていたのだ。
「私の補助だけでは、どうしても日々の調整には手が回りません」
「お前は王都とコエンナを往復している。別の者が必要だ」
ユゴーがうなずく。
私は提案書を読み直し、立ち上がった。
「宰相と話そう。いつまでも空席のままにはしておけん」
◇◆◇
宰相オスヴァルトの執務室には、相変わらず書類が積まれていた。
机の端だけでは足りず、脇の小卓にも束が置かれている。
その横の茶は、すっかり冷めているようだった。
「たしかに、そのとおりだ」
私の話を聞いたオスヴァルトは、眉間を押さえた。
「今朝も、二つの部署から同じ人間を寄こせと言われた。どちらも自分たちの用件を先にしろと言う」
「大臣同士では、まとまらぬか」
「自分の部局の仕事を進めることが、各大臣の役目でもあるからな。間に入る者がいなければ、引き下がりにくい」
私は、持参した職務の一覧を机に広げた。
ユゴーの報告をもとに、副宰相へ任せるべき仕事をまとめたものだ。
「このあたりを引き受ける者がいれば、貴殿も、本来判断すべき案件に時間を使える」
「ああ。それは助かる」
オスヴァルトは紙に目を通した。
だが、その表情は明るくならなかった。
「問題は、誰に任せるかだ」
「すぐに名前の浮かぶ者はいないか」
「自分の部局の実務に詳しい者ならいる。書類を正確に読む者も、人と話すのがうまい者もいる」
指先が、紙の上を動いた。
「だが、部署をまたいで事情を確かめ、順番を決め、その順番に不満を持つ相手へ説明する。そこまで任せられる者となると……」
宰相は言葉を切った。
なるほど。
計算ができるだけでは、足りない。
顔が広いだけでも、足りない。
ときには有力者の頼みを待たせなければならず、そのための理由を、自分の言葉で説明できなければならない。
「適任がいない、ということか」
「少なくとも、今すぐ安心して任せられる者は思い当たらん」
私は、エリアナ殿の字を思い出した。
何を先にするか。
誰に任せるか。
紙の上では、わかりやすく整理されていた。
しかし、その紙を書くまでに何を確かめ、何を比べていたのかを、我々は十分に見ていなかった。
「とはいえ、あの方とまったく同じ人間を探す必要もあるまい」
「それは、そうだな」
「副宰相一人で足りぬ部分は、補佐を置く。まずは、仕事を任せられる範囲から考えてはどうだ」
「候補者の経験を、もう一度洗い直すか……」
オスヴァルトが、新しい紙を引き寄せた。
ようやく、人選を具体的に進めようとしたときだった。
扉が叩かれた。
返事をするより先に、外から声が聞こえる。
「副宰相をお探しなのでしょう?」
私は顔を上げた。
◇◆◇
入ってきたのは、王女セレスティア殿下だった。
艶のある衣装の裾が、床を滑る。
胸元の宝石が、窓の光を受けて小さくきらめいた。
私と宰相は席を立った。
「これは、王女殿下」
「堅苦しい挨拶はいいわ。人選で困っていると聞いたものだから」
セレスティア殿下は机のそばへ来ると、広げられた紙を見下ろした。
視線が最初に止まったのは、職務の説明ではなかった。
上部に書かれた、副宰相という役職の名だった。
「ずっと空いているのよね。あの子がいなくなってから」
「はい。適切な後任を置くため、検討しているところでございます」
オスヴァルトが答える。
殿下は軽く首をかしげた。
「それほど難しいことかしら」
「各部局の事情を把握し、調整する役目ですので。前任者は、細かな案件までよく確認しておりました」
その言葉に、殿下の口元がわずかに固まった。
「また、あの子の話なのね」
私と宰相は黙った。
セレスティア殿下は、机から視線を離した。
「最近は、どこへ行ってもそう。あの子がいれば、あの子ならわかる、あの子がいなくなって困った、と」
声は静かだった。
だが、最後の言葉だけ、少し強かった。
「ずいぶん買いかぶっているのではなくて?」
私は職務一覧へ目を落とした。
そこに書かれているのは、誰かの評判ではない。
今、実際に滞っている仕事だった。
「殿下。必要なのは、日々の判断を引き受けられる方です。書類に目を通すだけでなく、関係者の話を聞き、時には待つように説得することもございます」
私が説明すると、殿下はうなずいた。
あまりにも、あっさりと。
「つまり、話を聞いて、指示を出せばいいのでしょう?」
「それぞれの事情を確かめたうえで、ですが」
「王女の私が言えば、皆も聞くでしょう」
オスヴァルトの手が、机の縁で止まった。
私も、すぐには言葉を返せなかった。
命令に従わせることと、仕事が進む順番を決めることは、同じではない。
だが、殿下はすでに、ご自分の中で答えを出しておられるようだった。
「王宮を出ていったあの子のために、いつまでも困っていることはないわ。姉の私が引き受けてあげる」
そう言って、顎を上げた。
「フン、あの子にできていたなら、私にもできるでしょう?」
部屋の中が、静まり返った。
私は、宰相と目を合わせた。
机の上には、まだ候補者の名前が一つも書かれていない紙。
その隣には、殿下がほとんど読んでいない職務の一覧があった。
今思えば、あの一言こそが、混乱の始まりだった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




