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【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


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20/22

第20話 エリアナ、飲む

【リュカ視点】


「今日は仕事じゃねえからな。しっかり食ってけ」


 セヴラン様は、僕たちを出迎えるなり、そうおっしゃった。


 領主館で暮らし始められてから、しばらく。

 今日は、その新しい暮らしを祝う宴が開かれていた。


 館そのものが新しくなったわけではない。

 けれど、窓辺に花が置かれ、開かれた扉の向こうから人の声が聞こえると、建物まで明るくなったように見えた。


「お招きいただき、ありがとうございます」

「ありがとうございます、師匠」


 隣で、エリアナ様も頭を下げる。


 今日は前掛けをしていない。

 淡い青色の服に、銀色の髪を留める小さな髪飾り。


 僕が少し見すぎてしまったのか、エリアナ様がこちらを向いた。


「何か変?」

「いえ。よくお似合いです」

「……ありがとう」


 少し照れたように笑われて、今度は僕が目をそらした。


「さあ、入って」


 セレナ様に促され、広間へ進む。


 卓には白い布が掛けられ、磨かれた杯が並んでいた。

 焼いた魚に、香草を添えた肉。小さな海老の料理や、甘い菓子もある。


 近隣の領地から来た貴族たちも、すでに集まっていた。


 セヴラン様は、エリアナ様を弟子として、僕を領兵の隊長として紹介してくださった。


「どうぞ、今夜は気楽に」


 そう声をかけてくださったのは、隣の領地から来たルネ子爵だった。


 挨拶を終えて席につくと、エリアナ様は卓上の料理を眺めた。


「……本当に、何もしなくていいんだね」

「はい。今日は僕たちも、お客ですから」


 セレナ様が、それを聞いて笑った。


「お皿が空いても、運ばなくていいのよ」

「わかってます」


 エリアナ様は、少しだけ口をとがらせた。


 ただ、その直前まで、空いた皿を重ねようとしていたことを、僕は見ていた。


◇◆◇


 乾杯の声が広間に響いた。


 エリアナ様が杯を持ち上げる。

 口をつけると、その目が少し丸くなった。


「これ、甘いですね」

「私の領地で作らせている果実酒です。お気に召しましたか」


 ルネ子爵が尋ねると、エリアナ様はうなずいた。


「はい。とても飲みやすいです」


 そのあとは、料理を食べるたびに、表情が変わった。


 魚を食べて、うれしそうに目を細める。

 肉を食べて、小さくうなずく。

 海老を口にすると、僕の袖を引いた。


「リュカ、これ。おいしいよ」

「いただいてみます」

「パンも合うと思う」


 勧められるままに食べると、たしかにおいしかった。


「どう?」

「おいしいです」

「でしょう?」


 なぜか、エリアナ様が得意そうだった。


 潮風亭で料理を運んでいるときとは、少し違う。

 次のお客を気にせず、ゆっくり食事を楽しんでおられる。


 僕も肩の力を抜き、料理に手を伸ばした。


 ……つもりだったのだけれど。


 空いた水差しに気づいて、近くの給仕へ声をかけた。

 落ちかけた布を直し、卓の端に寄りすぎていた皿を少し動かした。


 すると、隣から袖を引かれた。


「リュカ」

「はい」

「今日は、何の日?」


 エリアナ様の頬が、少し赤かった。


「セヴラン様とセレナ様の、新居祝いです」

「そうじゃなくて」

「……そうではなくて?」


 エリアナ様は、僕をじっと見た。


「今日は、お客さんの日です」

「はい」

「なのに、働いてる」

「水差しが空いていたので」

「そういうの」


 人差し指が、僕の手元を指した。


「そういうのを、今日はしなくていいんです」


 口調だけは、ずいぶんしっかりしていた。


 ただ、さっきよりも、言葉の間が少し長い。


「承知しました」

「本当に?」

「はい」

「じゃあ、食べて」


 僕の皿に、肉が一切れ載せられた。


 食べる。


「どう?」

「おいしいです」

「さっきも、それだった」

「ですが、おいしいので」

「もっと、ちゃんと」


 困った。


 どう答えれば、納得していただけるのだろう。


「香草の香りがよくて、肉も柔らかいです」

「うん」


 エリアナ様は満足そうにうなずいた。


 これでよかったらしい。


 ほっとしていると、今度はパンが載せられた。


「エリアナ様も、僕の世話をしていらっしゃるのでは?」

「これは、仕事じゃないよ」

「そうなのですか」

「そうなの」


 そこには、はっきりとした区別があるらしかった。


◇◆◇


 しばらくすると、広間はさらににぎやかになった。


 向こうの卓では、セヴラン様が旅先での話をしている。

 セレナ様がときどき口を挟み、そのたびに周りから笑い声が上がった。


 僕がそちらへ顔を向けると、また袖が引かれた。


「リュカ」

「なんでしょう、エリアナ様」

「今日は、仕事禁止だからね」

「はい。先ほども、うかがいました」

「だったら、そんなに姿勢よく座らないで」

「姿勢までですか」


 思わず聞き返してしまった。


 エリアナ様は、真剣な顔でうなずいた。


「いつでも立てます、っていう座り方をしてる」

「……癖だと思います」

「今日は、お休み」


 言われて、僕は少し背もたれに寄りかかった。


「これでよろしいでしょうか」

「うん。それでいい」


 よくはなかった。


 すぐに、また顔をのぞき込まれた。


「楽しい?」

「はい」

「ほんとに?」

「本当に、楽しいです」

「ちゃんと笑って」

「笑っているつもりなのですが」


 エリアナ様は僕の顔を見つめ、少し首をかしげた。


 その仕草がおかしくて、今度は自然に笑ってしまった。


「あ。今の」

「今の?」

「今のほうが、いい」


 そう言って、エリアナ様も笑った。


 どうやら今夜の僕は、食べ方だけでなく、座り方と笑い方まで見てもらうことになったらしい。


 ちょうど近くを通りかかったセレナ様が、僕たちを見た。


「あら。楽しそうね」

「……はい」


 助けを求めるような顔になってしまったのだろうか。


 セレナ様は小さく笑い、水の入った杯を置いてくださった。


「少し、こちらも飲んでね」

「ありがとうございます」


 エリアナ様は素直に受け取り、両手で持って飲んだ。


 それから、ふう、と息をつく。


「リュカも」

「僕もいただきます」

「うん」


 僕が水を飲むところまで確かめてから、ようやく前を向かれた。


 頬は赤い。

 目元も、普段よりずっと柔らかい。


 機嫌はいいのだと思う。


 ただ、僕の行動が、ことごとく気になるらしかった。


「いつもね」

「はい」

「私のこと、見てるでしょう」

「……そうですね」

「今日は、リュカも楽しくしていいんだからね」


 僕は返事をしかけて、少しだけ黙った。


 それから、うなずく。


「はい。ありがとうございます」


 エリアナ様は、満足そうに笑った。


 そのまま、しばらく静かになった。


 珍しく僕の袖が引かれないので、横を見る。


 まぶたが、ゆっくり下がっていた。


「エリアナ様?」

「……ん」


 短い返事があった。


 次の瞬間、肩に、こつんと重みが乗った。


 動けなくなった。


 そっと顔を向けると、エリアナ様は僕の肩に頭を預け、目を閉じていた。


 さっきまで、あんなに僕を見張っていたのに。


「おい。寝ちまったか」


 セヴラン様の声に、僕は小さくうなずいた。


「はい」


 聞こえるのは、静かな寝息だった。


◇◆◇


 お礼を伝えて、先に失礼することにした。


 セレナ様が、柔らかな肩掛けを持ってきてくださった。


「夜は少し冷えるから。これを使って」

「ありがとうございます」


 エリアナ様の肩を包み、セヴラン様に支えていただきながら、僕は背中へおぶった。


 体が傾かないように、ゆっくり立ち上がる。


 エリアナ様は一度だけ小さく身じろぎしたけれど、目を覚まさなかった。


「気をつけてな」

「はい。本日は、ありがとうございました」


 館の外へ出ると、夜風が頬に触れた。


 後ろには、明るい窓。

 人々の話し声と、食器の触れ合う音が残っている。


 少し歩くと、それも遠くなった。


 街道から町の通りへ。

 石畳を踏む自分の足音が、いつもよりはっきり聞こえた。


 背中からは、規則正しい寝息。


 さっきまで、何度も袖を引かれた。

 食べろと言われ、休めと言われ、姿勢まで直された。


 あれだけにぎやかだった人が、今はすっかり静かだ。


「……僕も、楽しかったですよ」


 小さく言ってみた。


 返事はなかった。


 それでよかった。


 肩掛けがずれないように直し、段差の小さいところを選んで歩く。


 遠くの港で、船の金具が風に鳴っていた。

 潮の匂いがする。


 潮風亭の明かりが見えたとき、僕は少しほっとした。


 扉を開けてくれたハンナさんは、僕の背中を見て目を丸くした。


「あらまあ。よく眠ってるねえ」

「少し、お酒が進んだようで」

「楽しかったんだろうね。お帰り」


 その言葉に、ようやく肩の力が抜けた。


「ただいま戻りました」


 ハンナさんが先に立ち、部屋の扉を開けてくれる。


 僕はエリアナ様を寝台へ下ろした。

 背中から重みが離れると、急に身軽になった気がした。


 ハンナさんが毛布を掛ける。

 エリアナ様は枕に頬を寄せ、そのまま眠り続けていた。


「おやすみなさい、エリアナ様」


 明日は、今夜のことを覚えていらっしゃるだろうか。


 もし覚えていなくても、姿勢まで注意された話くらいはしてみたい。


 困った顔をされるか、笑われるか。


 少し楽しみに思いながら、僕は静かに部屋を出た。


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エリアナ様、絡み酒は良くないよ?w
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