↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【長編版】王子が生まれたので、もう我慢しなくてもよろしいのですよね?  作者: 塩野さち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/35

第19話 ゴーンさんの友達

【エリアナ視点】


 森の奥から、音楽が聞こえた。


 ぽろん、と弦を弾く音。

 少し間を置いて、また、ぽろろん。


 枝の間を通り抜けてくるその音に、私は顔を上げた。


「誰か、いるのかな」

「先客みてえだな」


 師匠が肩に担いだ酒樽を持ち直す。


 今日は、ゴーンさんのところへ遊びに行く日だった。


 師匠がお酒。

 リュカがパンと、私たちの木杯。

 私の籠には、ハンナさんが包んでくれたチーズと干し肉が入っている。


 木の根をまたぎ、低い枝をくぐる。

 進むにつれて、音楽がはっきり聞こえるようになった。


 軽やかなのに、急かされる感じはしない。

 歩く足が、自然とその音に合っていく。


 いつもの大きな木のところへ着くと、ゴーンさんがいた。


 太い幹に背を預け、足を投げ出して座っている。


 その隣に、知らない男の人がいた。


 日に焼けた顔に、少し長めの髪。

 くすんだ藍色の上着は、肘のところに違う色の布が当てられていた。


 灰色の帽子と荷袋が、足元に置いてある。


 膝の上には、丸い胴をした小さな弦楽器。

 四本の弦の上を、指がゆっくり動いていた。


 私たちに気づくと、その人は顔を上げた。


「こんにちは」


 まるで、通りで顔見知りに会ったみたいな挨拶だった。


「こんにちは。あの、私たちは……」

「来たか」


 ゴーンさんが大きな顔をこちらへ向けた。


 それから、隣の人を指さす。


「ラウル。おれの友達だ」


 ほんの少し、得意そうな声だった。


 ラウルさんは弦をひとつ鳴らし、笑った。


「旅をしながら、こういうものを弾いてるんだ。よろしく」

「エリアナです」

「リュカと申します」

「俺はセヴランだ」


 挨拶を終えると、ラウルさんの視線が、師匠の肩へ移った。


「ずいぶん、いいものを持ってきたね」

「飲めるか?」

「喜んで」


 返事は早かった。


 師匠が笑い、酒樽を下ろす。


 ゴーンさんはそれを受け取り、平たい石の真ん中に置いた。

 誰からでも手が届く場所だった。


◇◆◇


 パンを並べ、チーズを切り分けると、森の中が小さな食卓になった。


 ラウルさんは荷袋から、自分の杯を取り出した。

 縁の少し欠けた、小さな木杯だった。


 ゴーンさんの杯は、相変わらず大きい。


 隣に並ぶと、同じ飲み物を入れる道具には見えなかった。


「では、乾杯ですね」

「おう」

「乾杯」


 木杯を持ち上げる。


 ゴーンさんも、両手で抱えた杯を少し持ち上げた。


 飲んだお酒は、舌に少し酸味が残った。

 そこへパンをかじり、チーズを食べる。


 葉の間から落ちる日差しが、膝の上で揺れていた。


 おいしい。


 同じパンでも、外で食べると、少し違う味がする気がする。


「ラウルさんは、よくこちらに来るんですか?」


 私が尋ねると、ラウルさんはパンを飲み込んでから答えた。


「近くを通ったら、寄ることにしてる」

「こいつは、よく座っている」


 ゴーンさんが言った。


「居心地がいいからね」


 ラウルさんは気にした様子もなく笑った。


 座っている石は、ちょうど楽器を膝に置きやすい高さだった。

 その周りだけ、落ち葉がきれいに除けられている。


 いつも、そこに座っているのかもしれない。


 ラウルさんはゴーンさんにパンを渡し、自分ももうひとかけら取った。


 二人とも、しばらく何も言わなかった。


 それでも、話が途切れて困っているようには見えなかった。


 風で葉が鳴る。

 遠くで鳥が鳴く。


 ゴーンさんはゆっくりパンを食べ、ラウルさんは楽器の弦を指で確かめていた。


 私はその間に、チーズをもうひと切れ食べた。


「さて」


 やがてラウルさんが杯を置いた。


「もう少し、にぎやかな曲にしようか」


 指が弦を滑る。


 さっきまでの音楽よりも、少し速い。

 軽く跳ねるような音のあとに、低い音が続いた。


 思わず、足先が動いた。


 隣を見ると、リュカの靴先も同じように動いていた。


 目が合って、二人で笑う。


「なんだ。踊らねえのか」


 師匠が立ち上がった。


「踊るんですか?」

「そのための曲だろ」


 ラウルさんが、答える代わりに弦を弾いた。


 師匠は杯を石に置き、開けた場所へ出た。


 片足を踏み出し、もう片方を寄せる。

 肩を揺らしながら、くるりと向きを変えた。


 ずいぶん気楽な動きだった。


 でも、不思議と音に合っている。


「ほれ、お前らも」


 手招きされて、私はリュカを見た。


「どうする?」

「楽しそうですね」


 その返事で、十分だった。


◇◆◇


 森の地面は、踊るためにはできていない。


 小さな石がある。

 根っこも出ている。


 私は最初、足元ばかり見ていた。


 知っている踊りは、背筋の伸ばし方も、手の高さも、決まっていた。

 どちらへ進み、どこで向きを変えるかも。


 けれど、師匠はそんなことを少しも気にしていなかった。


「難しく考えんな。音に合ってりゃいい」


 それなら、と私も足を動かした。


 一歩、二歩。

 向きを変えて、また一歩。


 思ったより大きく踏み込んでしまい、リュカが笑った。


「エリアナ様。少し、剣の稽古みたいになっています」

「……癖かな」

「たぶん」


 歩幅を小さくすると、今度はうまく合った。


 リュカが差し出してくれた手を取り、半回転する。

 前掛けを外してきたおかげで、裾も軽かった。


 師匠が横を通り過ぎるとき、妙な足の動きを付け足した。


「師匠、それは何ですか?」

「今、思いついた」

「ずるいです」

「何がだよ」


 笑った拍子に、次の一歩が遅れた。


 ラウルさんが、ぽろん、と少し間の抜けた音を鳴らす。


 まるで、私の失敗に返事をしたみたいだった。


「今、合わせましたね?」

「うん。ちょうどよかったから」


 ラウルさんは楽しそうに笑い、すぐに曲へ戻った。


 つられて、私も笑ってしまう。


 間違えても、誰も顔をしかめない。

 もう一度、音に戻ればいい。


 そのうち、足元を見る回数が減った。


 リュカと手を離し、師匠の動きをまねてみる。

 師匠が大げさに首をかしげるので、わざと同じ顔を返した。


 ラウルさんの上半身も、音に合わせて揺れていた。

 弦を弾く指が速くなり、私たちの足取りも少し忙しくなる。


「ちょっと、速いです!」

「まだいけそうに見えたんだけど」

「師匠と一緒にしないでください」


 そう言いながら、私はまた笑った。


 ゴーンさんは、木の根元に座ったままだった。


 大きな杯を持ち、私たちを眺めている。


 黄色みを帯びた目が、細くなっていた。

 口元も、ほんの少し上がっている。


 私が手を振ると、杯を少しだけ持ち上げてくれた。


 それがうれしくて、私はまた曲に合わせて足を踏み出した。


◇◆◇


 何曲か続いたところで、さすがに息が上がった。


 私は元の場所へ戻り、腰を下ろした。

 頬が熱い。


 リュカも隣に座り、長く息を吐いた。


「いい運動ですね」

「うん。思ったより、ずっと」


 師匠は平気な顔で酒を飲んでいた。


 あの人は、やっぱりちょっと違う。


 ラウルさんの曲が、ゆっくりしたものに変わった。


 誰かが頼んだわけではない。

 私たちが座ったのを見て、そのまま音を変えてくれたらしかった。


 木漏れ日が、さっきより少し傾いている。


 私はパンをちぎり、干し肉を挟んだ。

 動いたあとの食べ物は、また格別だった。


「楽しいか」


 ゴーンさんに尋ねられ、私は顔を上げた。


「はい。とっても」


 ゴーンさんは、しばらく私を見た。


「そうか」


 それだけ言って、また音楽のほうへ目を向けた。


 ラウルさんは顔を上げずに、静かに弦を弾いている。


 私はパンを飲み込み、木の幹へ背中を預けた。


 お腹が満ちている。

 足は少し疲れている。

 耳には、気持ちのいい音が届いている。


 次に何をしようかと考える必要もなくて、しばらく、そのままでいた。


 やがて、師匠が空を見上げた。


「そろそろ戻るか」

「そうですね」


 私たちは杯を片づけ、残った食べ物を包み直した。


 ラウルさんは、もう少しゴーンさんのところにいるという。


「また、曲を聴かせてもらえますか?」

「もちろん。次に会うまでに、何か覚えておくよ」

「楽しみにしています」


 私が言うと、ラウルさんは短い、明るい音を鳴らした。


 それが返事らしかった。


「また来ますね、ゴーンさん」


 ゴーンさんがうなずく。


 私たちが歩きだすと、後ろから、軽やかな曲が聞こえてきた。


 木の根をまたぐ足が、また少し、その音に合ってしまう。

 隣でリュカも同じように歩いていて、目が合うと笑った。


 振り返ると、大きな木の下に、二人がいた。


 膝に楽器を載せたラウルさん。

 その隣で、杯を持って座っているゴーンさん。


 ゴーンさんは、私たちが木々の向こうへ隠れるまで、静かに見送ってくれた。


「とても面白い」★四つか五つを押してね!

「普通かなぁ?」★三つを押してね!

「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。