第14話 ブライ侯ロドニー、コエンナへ向かう
【ブライ侯ロドニー視点】
ユゴーを捜索に送り出したあと、私は宰相オスヴァルトと密かに会った。
場所は私の屋敷の、小さな応接室である。
人払いを済ませ、扉が閉まるのを待ってから、私は向かいの男に目を向けた。
宰相の目の下には、以前より濃い隈があった。
「状況は?」
「よくはない」
短い答えだった。
「軍と内閣の調整だけで日が暮れる。それでも、翌朝には別の問題が届く。誰に聞けばよいかさえ、わからぬ仕事もある」
「それを、あの方が引き受けておられた」
「……ああ」
オスヴァルトは、手をつけていない茶に視線を落とした。
誰かが済ませている仕事を、人は簡単に見落とす。
済んでいることに慣れれば、そこに人の手があったことすら忘れる。
我々が、そうだった。
「ロドニー。あの方を見つけたら、まず友好関係を築いてほしい」
「エリアナ殿下と、か」
「そうだ。こちらの話を聞いていただける関係を、もう一度」
国のために戻れ。
王家のために力を貸せ。
今の我々が口にしたところで、どれほど空々しく聞こえるだろう。
「ご本人の意思を確かめる。それが先だ」
「承知している」
「断られた場合も、私の口から都合のよい報告はできんぞ」
「それも承知している」
私はしばらく、宰相の顔を見ていた。
やがて、ゆっくりとうなずいた。
「では、私が会いに行く」
「頼む。この話は、まだ陛下のお耳には入れぬ」
「余計な手が伸びてこぬようにしてくれ」
「できる限りのことはする」
書面には残さなかった。
エリアナ殿下との友好を取り戻す。
そのために、私が動く。
それが、私と宰相の間で交わした密約だった。
◇◆◇
ところが、肝心の報告が来ない。
翌日も、その次の日も。
ユゴーは慎重な男だ。
人違いを確かめもせず、噂だけを持ち帰るようなことはしない。
わかっている。
わかっているのだが、机の上に届く王都の報せを見るたび、落ち着かなくなった。
今度は何が滞った。
誰と誰の指示が食い違った。
いつまでに判断を求める。
「私に聞けば、なんでもわかると思うなよ……」
独り言をこぼし、杯を傾ける。
酒は減る。
報告は来ない。
窓の外が暗くなり、燭台の蝋が垂れ始めたころ、ようやく廊下に足音がした。
「旦那様。ユゴー様がお戻りです」
「通せ」
扉が開くまでの数秒が、妙に長かった。
入ってきたユゴーの外套には、道の埃がついていた。
「ただいま戻りました」
「ご無事か」
挨拶より先に、それが口を出た。
ユゴーはすぐに答えた。
「はい。エリアナ様は、ご無事です」
杯を置いた。
思ったより大きな音がした。
「どちらに」
「港町コエンナに」
「……コエンナ?」
私は思わず聞き返した。
馬を使わずとも、歩いて数日。
そんな近くにおられたのか。
「潮風亭という宿で暮らしておいでです」
「宿暮らしか。手持ちは足りているのか」
「働いて、給金を受け取っておられます」
「働いて?」
ユゴーが一度、言葉を切った。
「食事を運んだり、店を手伝ったりと。用心棒も兼ねているそうです」
私は、机の上の書類を見た。
以前、軍の配備案に添えられていた、細やかな修正。
予算の数字の不整合を指摘する、迷いのない筆跡。
あの方が、酒場で皿を運んでいる。
「お困りなのではないのか」
「私がお見かけしたときは、子供たちに剣を教えておられました。皆、エリアナ様を慕っている様子でした」
ユゴーは静かに続けた。
「よく、笑っておいででした」
私は口を閉じた。
王宮で、あの方がどのように笑っていたか。
思い出そうとして、すぐには浮かばなかった。
「……そうか」
しばらくしてから、ようやく言えた。
「面会の件は」
「条件をお認めいただければ、お話を聞いてくださるとのことです」
私は椅子に座り直した。
ユゴーが伝えた条件は、明確だった。
会うことを、王宮へ戻る承諾と受け取らないこと。
かつての身分を、町の人々に明かさないこと。
大仰な供回りを連れず、周囲を探らせないこと。
会う場所はコエンナとすること。
「それから、昼の営業が終わってからにしてほしい、と」
「営業」
「お仕事がありますので」
私は額に手を当てた。
王宮では、あの方の時間を当然のように使っていた。
今は、会いに行くこちらが、都合を伺う立場なのだ。
「わかった。すべて受け入れる」
「では、そのように」
「ああ。約束する」
ユゴーが頭を下げた。
「なお、セヴラン様も潮風亭に滞在しておられます」
「勇者が?」
「はい。エリアナ様とご一緒でした」
私は背もたれに身を預けた。
コエンナ。
セヴラン。
その地名と人名を、改めて頭の中で結びつける。
「……なるほど。あの方の領地だったな」
◇◆◇
「湯を用意してくれ」
報告を聞き終え、私は立ち上がった。
これ以上、酒を飲んでいる場合ではない。
湯につかり、顔を洗った。
額に触れる濡れた手を、そのまましばらく当てていた。
あの方は、ご無事だった。
食事を取り、働き、子供に剣を教えている。
リュカという騎士もそばにいる。
そして、勇者セヴラン伯まで。
探し出したら、まず保護しなければならない。
どこかで、そう考えていた自分に気づいた。
湯をすくった指の間から、水が落ちる。
あの方はすでに、ご自分の居場所を作っておられるのだ。
翌朝、酒気の抜けた頭で、私は蔵を開けさせた。
金細工の小箱。
真珠の首飾り。
宝石を飾った腕輪。
上等な絹と、金銀の貨幣。
私の持つ品の中から、手土産にふさわしいものを選んでいく。
「……どのような品を、お好みなのだろうな」
隣に立つユゴーに尋ねると、少し困った顔をされた。
「そこまでは、伺っておりません」
「そうだろうな」
長く同じ王宮に出入りしていた。
能力も、仕事ぶりも知っているつもりだった。
それなのに、贈って喜ばれるものひとつ、思いつかない。
結局、いくつもの品をそれぞれ布に包み、小さな箱へ収めさせた。
受け取っていただけるかどうかは、会ってからの話だ。
「馬車の支度を」
そう命じながら、私は窓の外を見た。
いっそ単騎で駆けようか。
早く会って、顔を見て、言葉を交わしたかった。
しかし、足元には手土産の箱が並んでいる。
これらを抱えて馬に乗る侯爵など、道中で何事かと思われるだろう。
「……やはり、馬車だな」
「そのほうがよろしいかと」
ユゴーの返事には、わずかに安堵が混じっていた。
◇◆◇
馬車には私とユゴーが乗り、最小限の供だけを連れた。
車輪が石畳を離れ、街道の土を踏む。
窓の向こうを、王都の建物が少しずつ遠ざかっていった。
コエンナまでは数日。
向かいの席の脇には、手土産の箱が積まれている。
「万の軍勢に匹敵する、勇者の領地か……」
独り言に、ユゴーが顔を上げた。
魔王を守る一万の魔族を突破し、その魔王さえ討ち取った男。
今やエリアナ殿下は、その男とともに暮らしておられる。
私の私兵を差し向けたところで、返り討ちになる。
王の直属の兵でも、結果は変わるまい。
兵を並べ、命令書を突きつければ従わせられる。
そんな考えは、あの町では通用しない。
脅しは、無意味だ。
誠心誠意、語りかけるしかない。
私は膝の上で、両手を組んだ。
いっそのこと、王を幽閉してしまえばよかったのかもしれない。
王室典範を書き換え、女子にも継承を認める。
エリアス殿下として国を支えてきたあの方を、エリアナ女王として玉座へ迎える。
少なくとも、今の陛下よりは――。
そこまで考え、窓の外へ目を向けた。
これは、宰相と交わした約束ではない。
私個人の覚悟だ。
あの方に求められたなら、それぐらいのことをするつもりはあった。
爵位を守り、王の機嫌を損ねぬことばかり考えて、国そのものを失っては意味がない。
ただ。
『昼の営業が終わってからにしてほしい』
ユゴーから聞いた言葉が、頭に浮かんだ。
あの方が今、望んでいるものを、私はまだ知らない。
玉座を用意すれば喜ばれる。
財宝を積めば心が動く。
そう決めつけて向かえば、また間違える。
「旦那様?」
「いや」
私は首を振った。
「会って、聞かねばならんな」
「はい」
ユゴーはそれ以上、何も言わなかった。
馬車は進む。
だが、こちらの気が急いたところで、街道が短くなるわけではない。
やがて畑の影が長くなり、空の端が赤く染まり始めた。
容赦なく、日は暮れる。
「今夜は、次の宿場でお泊まりになりますか」
「ああ。そうしよう」
馬も、御者も、休ませる必要があった。
宿場町へ入るころには、家々の窓に明かりがともっていた。
馬車を降りると、夕食を煮炊きする匂いがした。
ユゴーが宿の手配に向かう。
私は伸びきらぬ膝をさすり、遠く、街道の続く方角を見た。
エリアナ殿下も、今ごろは食事を運んでおられるのだろうか。
その姿を、まだうまく思い描けない。
明日も馬車を走らせよう。
今夜は、この宿場町で休む。
私は宿の主人に案内され、旅の一夜を過ごす部屋へ入った。
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