第12話 リュカ、騎士に戻る
【エリアナ視点】
「リュカ。お前、俺の騎士にならねえか」
師匠がそう言ったのは、朝食の焼き魚から骨を抜いているときだった。
私はパンを口に運びかけたまま、手を止めた。
隣のリュカも、湯気の立つカップを持ったまま動かない。
「……僕が、ですか?」
「ほかにリュカがいるか」
「いえ。でも、騎士というのは」
「コエンナ伯に仕える騎士だ。ここの領兵をまとめてほしい。隊長としてな」
師匠は抜き取った骨を、皿の端に並べた。
話の大きさと、手元の細かさが合っていない。
「隊長まで……?」
「ああ。今は古株に任せっきりでな。そろそろ、きちんと役目を決めてやりてえ」
リュカはカップを置いた。
背筋が、すっと伸びる。
「どのような仕事をするのでしょうか」
「町と街道の見回り。港で揉め事がありゃ仲裁。魔物が出りゃ、人を集めて対処する。手に余るなら討伐依頼を出すなり、俺を呼ぶなりしろ」
「兵の訓練や、装備の管理もですか?」
「そういうことだ」
リュカはすぐには答えなかった。
膝に置いた両手を、一度だけ握る。
「なぜ、僕なのでしょう」
師匠はようやく魚から顔を上げた。
「お前、人の足元をよく見てるだろ」
「足元、ですか?」
「靴だけの話じゃねえぞ。子供が疲れりゃ気づくし、討伐から戻れば道具を調べる。誰かが遅れりゃ、そいつのところまで戻る」
その言葉に、私は岩場での討伐を思い出した。
滑りやすい場所を教えてくれた声。
倒れかけた男の人を支えた腕。
帰る前には、その人の靴まで直していた。
「隊長には、帰ってくる連中のことまで考えられるやつがいい」
リュカの指が、ゆっくりほどけた。
「……少し、考えてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ。靴屋の仕事もあるだろ。話を聞きたきゃ、兵のところへ連れてってやる」
そこで師匠は、また皿に目を落とした。
「それと、魚が冷めるぞ」
私たちは慌てて朝食に戻った。
けれどリュカは、いつもよりずっと静かだった。
◇◆◇
昼の仕事が一段落してから、私は裏庭へ出た。
リュカは木箱に腰掛け、革の帯を縫っていた。
針が革を抜けるたび、細い糸が陽に光る。
「隣、いい?」
「はい」
腰を下ろすと、彼は針を止めた。
「エリアナ様は、どう思われますか」
「師匠は、いい人を選んだと思う」
それは、迷わず言えた。
「でも、リュカはどうしたい?」
問い返すと、彼は手元の革に目を落とした。
「靴屋で働くのは、楽しいんです。直した靴を履いて、歩きやすくなったと言ってもらえると、うれしくて」
私はうなずいた。
初めて自分のお金で中古の剣を買った日。
リュカは何度も鞘を眺め、少し照れた顔をしていた。
その剣を持って、一緒に魔物を退治した。
靴を直し、路銀を数え、子供たちに剣を教えた。
王宮を出たあとの彼にも、積み重ねてきたものがある。
「この町で暮らしていると、守りたい人の顔が浮かぶんです。親方や、ハンナさんや、子供たちの」
リュカは言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「その人たちが、明日も普段どおりに暮らせるように働く。そういう騎士に、なりたいと思いました」
革の帯を握る手には、小さな傷があった。
剣を握った傷と、針を使った傷。
私はその手を見つめてから、彼の顔を見た。
「だったら、なったらいいよ」
「……はい」
リュカが笑った。
うれしい。
そう思うのに、胸の奥が少しだけ寂しかった。
私の隣にいた人が、自分の行きたい場所を見つけた。
その場所には、私の知らない仕事や、これから出会う人たちが待っている。
「エリアナ様?」
黙った私を、リュカがのぞき込んだ。
「ううん。似合うだろうなって思って」
「何がですか?」
「隊長って呼ばれるリュカ」
彼は困ったように笑った。
「まだ、まったく想像がつきません」
「私も。だから、楽しみ」
そう言うと、今度はちゃんと笑えた。
◇◆◇
リュカは師匠に、自分の言葉で返事をした。
コエンナの騎士として働きたい。
町の人たちを守る役目を、引き受けたいと。
ただし、靴屋で預かっている仕事を終えてから。
親方のモーリスさんは驚いたそうだけれど、最後には背中を叩いて送り出してくれたという。
「兵隊の靴も見てやれよ、と言われました」
「リュカなら、本当に全部見ちゃいそう」
「足が痛くては、見回りもできませんから」
まじめな顔で答えるので、私は笑ってしまった。
数日後。
潮風亭の裏庭で、リュカは師匠の前に片膝をついた。
大勢の参列者も、立派な楽隊もいない。
ハンナさんが洗った手を前掛けで拭きながら見守り、私はその隣に立っていた。
リュカの腰には、師匠に買ってもらった剣がある。
自分で稼いで買った中古の剣も、きちんと手入れをして部屋に残していた。
師匠が剣を抜いた。
刃が日差しを受けて光る。
その平たい面が、リュカの肩にそっと触れた。
「リュカ。お前を、コエンナ伯セヴランの騎士として迎える。この地で暮らす者たちを守れ」
「はい。この剣と、僕の力を尽くします」
落ち着いた声だった。
私は息をひそめて、その横顔を見ていた。
王宮を出るときも、彼は自分で私についてきてくれた。
そして今度は、この町で、自分のやりたい仕事を選んだのだ。
「立て。今日から隊長だ」
リュカが立ち上がる。
同じ服。同じ剣。同じ栗色の髪。
それなのに、背が少し高くなったように見えた。
「おめでとう、リュカ」
ようやく声をかけると、彼はこちらを向いた。
「ありがとうございます、エリアナ様」
その笑い方は、いつもと同じだった。
◇◆◇
その足で、私も二人と一緒に領兵の詰所へ向かった。
港から少し離れた、石造りの建物だった。
庭には槍が並び、壁際には手入れ中の盾が立て掛けられている。
ただ――。
広くない。
建物も、庭も。
それに、人の姿がずいぶん少なかった。
「お待ちしておりました、隊長」
迎えてくれたのは、日に焼けた顔に短い口ひげを生やした兵士だった。
「マルセルと申します。これまでは、私が見回りの割り振りをしておりました」
「リュカです。町のことも、皆さんのことも、教えてください。よろしくお願いします」
リュカが差し出した手を、マルセルさんが握る。
挨拶が済み、庭にいた兵士たちが集まった。
六人だった。
リュカは周囲を見回してから、尋ねた。
「ほかの皆さんは、見回りですか?」
「四人が出ています。二人は休みですな」
「では、残りの部隊は?」
「残り?」
「別の詰所にいる方々は……」
マルセルさんが、ぱちりと瞬きをした。
「これで全員ですが」
リュカが黙った。
私も黙った。
「隊長を入れれば、十三人になりますな」
マルセルさんは、うれしそうに付け加えた。
十三人。
私は思わず、師匠を見た。
師匠は壁に立て掛けられた槍を一本取り、穂先を確かめている。
「……この人数で、領内を守っているんですか?」
私が尋ねると、マルセルさんは笑った。
「大きな戦に備える兵は、ほとんど置いておりませんので。うちには、あの方がいらっしゃいますから」
顎で示された先には、師匠がいる。
「魔王を倒されたお話は、ご存じでしょう?」
「はい」
「その前に、魔王を守る一万の魔族を突破されたんです。セヴラン様お一人で」
一万。
頭の中で、その数を並べようとした。
人が十人立つだけでも、この庭は狭く感じる。
百人なら、通りまで埋まるだろう。
その百倍の魔族が、武器を持って待ち構えている。
そこを、師匠は通ったのだ。
「普通なら大軍を用意して、それでも勝てるかどうかという相手です。それを突破して、魔王まで倒してしまわれた。そんな方の領地に攻め込もうなんて者は、そうおりませんよ」
「昔の話だ」
師匠が槍を戻しながら言った。
「それより、こいつに見回りの道を教えてやってくれ」
「もちろんですとも」
マルセルさんは慣れた様子で笑い、建物の中へ案内してくれた。
私はその背中についていきながら、王宮で見た予算の書類を思い出していた。
兵士の給金。
食糧、武具、馬、その飼料。
兵が増えれば、それを運ぶ荷車も、保管する倉も必要になる。
国を守るためのお金は、剣の本数だけでは済まない。
けれど、この領地には師匠がいる。
師匠は、一万の兵より強いのだ。
大軍を養わずに済む。
だから、領民から多く取り立てる必要もない。
税を半分にできた理由のひとつが、ようやく見えた気がした。
ハンナさんが直せた屋根も。
港で見かける新しい帆も。
子供たちの足に合った靴も。
師匠の強さは、こんなところにもつながっていたのかもしれない。
「隊長。東の通りですが、夜は少し足元が悪くて」
机に広げられた地図を、マルセルさんが指さした。
リュカはすぐに身をかがめた。
「今日のうちに見せてください。雨が降ったときにどうなるかも、知っておきたいです」
「では、昼の見回りで」
「はい。それと、皆さんの装備も順番に確認させてください。靴に不具合がある方は、遠慮なく」
マルセルさんが自分の足元を見た。
「……実は、右の底が少し」
「あとで見ますね」
私は口元を押さえた。
もう、靴を直す約束をしている。
師匠も聞こえていたらしく、小さく笑っていた。
強い師匠がいても、夜の通りを見回る人は必要だ。
困っている人の話を聞き、擦り減った靴底に気づく人も。
リュカは地図を見つめながら、マルセルさんの説明を一つずつ聞いていた。
私は声をかけずに、少しだけ後ろへ下がった。
今日から彼が受け持つ仕事だ。
覚えたいことが、きっとたくさんある。
しばらくして、リュカが顔を上げた。
「エリアナ様。夕食までには戻ります」
「うん。ハンナさんに伝えておくね」
「お願いします」
私は扉のところで、もう一度振り返った。
「頑張ってね、隊長さん」
リュカは照れくさそうに笑い、それから、まっすぐにうなずいた。
「はい」
潮風亭へ戻る道で、私の足取りも少し軽くなっていた。
今夜は彼の好きなものを、一品増やしてもらおう。
新しい騎士の、新しい仕事の話を聞きながら。
きっと私は、いつもより長く食卓に座っている。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




