3、嫉妬
季節が少し進み、木枯らしが冷たく頬を撫でるある日のこと。
いつも通りの退屈な学校生活を終え、並んで下校する太奈都と優妃の姿があった。優妃は弓道部の主将として多忙な日々を送っているが、本日は偶然にも部活が休みだったらしく、帰宅部の太奈都と校門前で運命の糸に引き寄せられるように鉢合わせになり、一緒に帰路につくことになったのだ。
道すがら、夕暮れの空を見上げていた優妃が、ふと足を止めておねだりのような提案をした。
「ねぇ、せっかくの休みなのに真っ直ぐ帰るのももったいないし、どこかで甘いものでも食べていかない? 私、無性にクレープが食べたい気分なの!」
底抜けに明るく、太陽のように笑いかける優妃に、太奈都の心臓は激しく波打った。
「……まあ、特に急ぐ用事もないし、付き合ってあげるよ」
これ以上ないほど冷めたポーカーフェイスを無理やり貼り付けて答えるが、胸の内側はマグマのようにドロドロとした喜びで破裂しそうだった。
二つ年上の優妃。彼女に対する恋という名の猛毒に気づいたのは、中学一年生のころだった。当時、太奈都が二年生へ進級する際、優妃は華々しく、眩しい光をまとって中学を卒業していった。
卒業式の日、クラスメイトの女子たちと泣き笑いながら抱き合う彼女の姿。そのクシャッとした愛らしい笑顔や、堪えきれずにこぼれ落ちた宝石のような涙を見た瞬間、太奈都の魂は彼女という磁石に永遠に囚われてしまった。
もっと近くでその横顔を見ていたくて、同じ高校を目指して夜を徹して必死に勉強した。学年は違うけれど、無事に同じ門をくぐり、同じ高校に入学できたときは、天にも昇るような陶酔感に包まれたものだ。
だが、現実は冷酷だった。優妃はすでに弓道部の中心人物として青春の渦の中心にいて、接触の機会など砂漠で水を乞うようなものだった。
だからこそ、今日のこの偶然は、神様が気まぐれでくれた千載一遇のチャンスだった。放課後、校門の前で待ち構えていたところを偶然を装い、見事に彼女の口からお誘いの言葉を引き出せたのだ。
隣町のクレープ屋で甘い生地と生クリームを頬張り、他愛のない世間話をしながら商店街の夕闇を歩く。その道中、寂れた裏道の入り口で、怪しげな水晶玉を並べた胡散臭い占い師を見つけたのは、まさに運命の悪戯だった。
「わ、占いだ! 太奈都、せっかくだから見てもらおうよ!」
子供のようにワクワクした顔で腕を引かれ、太奈都は半ば強制的に占い師の前に用意されたパイプ椅子に座らされる。
まずは優妃が占ってもらい、学業のこと、そして何よりこれからの「恋愛」について見てもらったようだ。当たり障りのないありきたりな結果だったようだが、優妃は満足そうに花が咲いたようにニコニコしている。
――なんて、可愛いのだろう。
そう愛おしげに見つめていると、優妃が急に悪戯っぽくこちらを向いた。
「次は太奈都の番だよ!」
「いや、僕はこういうの興味ないし、いいよ」
「そんなこと言わないの、せっかくだから!」
有無を言わせぬ勢いで押し切られ、太奈都も渋々手相を見てもらうことになった。
最初は、どうせどこにでもあるようなお世辞を並べ立てるのだろうと高をくくっていたのだが、古びたローブをまとった老人風の占い師が、突然電撃でも受けたようにガクガクと大げさに震えだした。そして、底から響くようなかすれた声で、呪詛のように呟き始めたのだ。
「……お主、その内側に底知れぬ怪物を飼っているな……だがな、その怪物に己の心を委ねてしまえば、お主の大切な者たちが無残に引き裂かれ、この世界から永遠に消え去ってしまうかもしれん。……自分の歩むべき血塗られた道を、見過うなよ……」
あまりに真に迫った、しかしどこか名作アニメのおばば様を彷彿とさせる芝居がかった口調に、驚いていいのか、冷笑すべきなのか判断がつかず、太奈都は顔を引きつらせて乾いた笑いを漏らすしかなかった。
占い師はそれだけ不気味な予言を吐き捨てると、なぜか追われるように疲労困憊の様子でそそくさと店じまいをし、闇の中へと去っていってしまった。
少し後味の悪い、湿った幕引きに、二人は気まずそうに顔を見合わせる。
だが、そんなちっぽけな奇妙さよりも、太奈都の脳髄から片時も離れなかったのは、先ほど優妃が嬉しそうに言っていた「恋愛」の占い結果の方だった。
――運命の相手は、すぐ近くにいるかもしれない、と。
たかが占い、されど占い。あの時、その甘い言葉を聞いた優妃が浮かべた、少しだけ紅潮した頬と、少女のように柔らかい表情。誰にも言っていない、胸の奥に隠した思い人が、彼女にはいるのだろうか?
(――もし、そんな野郎がいるなら……誰であろうと、僕の手でこの首をねじ切って、泥の底に引きずり下してやる……!)
気づけば、太奈都のポケットの中の拳は、爪が手のひらに食い込むほど固く握りしめられていた。先ほどの占い師が告げた不吉な予言など、嫉妬の炎のなかで跡形もなく焼き尽くされていた。
その日の夜、家族全員で和やかに囲んだ夕食の席で、呑気な父が唐突に地雷原へ飛び込むような爆弾を投下した。
「そういえば今日、駅前で久しぶりに中村さんちの旦那さんとばったり会ってな! 昔話で盛り上がって、今度両家族で大々的にキャンプに行こうって話になったんだ。お前たちも中村の娘さんと昔は仲良かったろ?」
中村の娘――つまり、優妃のことだ。幼い頃は家族ぐるみで毎年のように旅行に行ったものだが、子供たちがそれぞれの世界を持ち始めるにつれて、いつしか疎遠になっていた。
それが、父親同士の奇跡的な再会を導火線にして、再び合同で大自然へ繰り出すというのだ。
恋心が狂おしく再燃している真っただ中の太奈都にとって、それは神様が慈悲を垂れてくれたかのような、またとないビッグチャンスだった。
(ナイスすぎるぞ、父さん……! 神様なんていなかった、ここにいたよ……!)
心の中で狂喜乱舞し、歓喜のあまり叫び出しそうになるのを必死に抑え込む太奈都。
そして数日後、心臓の鼓動を高鳴らせながら、待ちに待ったキャンプ当日がやってきた。
緑深い山間のキャンプ場で、少し遅れて到着した優妃の一家が合流する。久しぶりに見た優妃のラフな私服姿は、緑の木漏れ日の中でも一段と眩しく、太奈都の胸は激しく、痛いくらいに高鳴った。
日中は澄み切った川での水遊びや散策で賑やかに過ごし、夕暮れからは待ちに待ったバーベキューが始まった。何とかして二人きりの甘い時間を作ろうと、隙あらばとチャンスを窺っていたのだが、気がつけば周囲の山々はすっかり夜の帳に飲み込まれていた。
大人の男たちはビールサーバーの虜になってすっかり出来上がり、すでに呂律の回らない言葉でいつまでも終わらない謎の政治論戦を繰り広げている。母親たちは呆れたような、しかし温かい目をしながら手際よく肉を網の上で返していた。
そんな賑やかな喧騒の中、ふと――太奈都の視線が、ある一点で凍りついたように釘付けになった。
狂おしいほど恋慕う相手だからこそ、どんな小さな変化や距離感にも、誰よりも敏感に気づいてしまう。
少し離れた木製のベンチの端で、肩が触れ合うほどにぴったりと隣り合って座る、雪兎と優妃。楽しげに、まるで世界に二人しかいないかのように内緒話に花を咲かせる二人の間には、周囲を寄せ付けない甘い空気がとろけるように漂っていた。
優妃の白い頬が、夜風とは違う理由で、わずかに、しかし確実に紅潮している。そして、雪兎に向けるその潤んだ瞳は――恋をする少女のそれ以外の何物でもなかった。
(まさか……そんなはず、ない……)
理解したくない、認めたくないと脳髄が拒絶反応を起こすのに、冷酷な現実が勝手に真実をピースのようにはめ込んでいく。
あの占い師の不吉な予言を聞いたとき、優妃の頭に浮かんでいた「身近な運命の相手」とは――。
他でもない、血を分けた自分の兄・雪兎だったのか。
残酷すぎる直感が、容赦のない事実としてそれを証明していた。
その瞬間、太奈都の胸の奥底で、ドス黒く濁った感情が津波のように激しく逆巻いた。――実の兄である雪兎に対する、一生消えないほどの、狂おしいまでの激しい嫉妬心が、醜い産声を上げて音を立てて芽吹いていた。




