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或る兄弟の絆  作者: KOYU
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21/23

21、拒絶の悪魔

 オーリの参戦によって作られたわずかな隙間。雪兎の背中を押しやりながら、園長は切迫した声音で告げた。


「雪兎、第一席の悪魔は私とグラシャに任せて、太奈都の方へ先に向かうんだよ!」


「っ! でも、天律の聖石を解放してもらうんじゃないのかよ……!」


 雪兎の焦燥を他所に、園長の瞳には妥協の色がない。


「第一席が現れてしまった以上、グラシャが聖石の封を解くまでの時間を作るしかない。私がその隙を作るから、それまで耐えておくれ! それとね……第四席の嫉妬の悪魔が宮殿の奥へ向かったのが、どうにも胸騒ぎがするさね。あいつの動きも、できれば止めておいておくれ。急ぐんだよ!」


 鬼気迫る大天使の気迫に押され、雪兎はぐっと歯を食いしばる。


「わかった……! どれだけ足止めできるかわからないけど、早く頼む!」


 雪兎は一瞥をくれてから宮殿の奥へ向けて疾走し、園長は入れ替わるように、戦禍の中心へと踏み出した。


 その刹那――。

 視界の端を、血を噴き出した黒い影が吹き抜けた。グラシャ=レジナだ。

 園長は咄嗟に空間の『緩急(スピードの重み)』を操る加護を放ち、グラシャの墜落軌道を微修正する。空中で美しく反転したグラシャは、そのまま大理石の床を滑るように着地した。


 だが、息つく暇もない。

 宙に浮いた第一席――オブスキュア=ゼノンが冷徹な双眸を細め、床に転がる無数の瓦礫へ向けて指先を這わせた。

 そこに浮かび上がったのは、禍々しく漆黒に光る無数の『紋章陣』。

 ガガガガガッ! と、砕けた石礫が魔弾の如き速度で園長たちへ降り注ぐ。弾丸が空気を切り裂き、視界を深い土煙が塗りつぶした。


 煙の向こう、純白の『紋章陣』が障壁となって弾丸の雨を飲み込む。

 煙を割って姿を現したグラシャが、隣に立つかつての友へ視線を向けた。


「ルミナ、戦場に隠居の身が来ているとは聞いていたが……まさか、また肩を並べることになろうとはな。その老骨、まだサビついちゃいまいだろうな」


「あいにく、今はただの孤児施設のしがない老いぼれさね。戦場なんて、もうお呼びじゃないんだがね」


 唇の端でふっと笑い合う、かつての戦友の挨拶。

 だが、追撃の死神は感傷の時間を一瞬たりとも許さない。


 再び爆ぜた土煙の隙間から、眩烈な光の砲撃がゼノンめがけて撃ち出される。と同時に、グラシャが右側の死角から疾風の如く飛び出し、抜身の剣尖を敵の喉元へと突き入れた。


 ――ガァンッ!


 ゼノンの目前に展開された黒い紋章陣が、光の砲撃をまるで紙屑のようにかき消す。さらに、グラシャの突撃の軌道上にも漆黒の陣が開き、凄まじい衝撃波でその一撃を弾き飛ばした。


「ぐっ……!」


 弾き返され、宙を舞うグラシャの着地地点。その足元を狙いすましたように、黒い光を帯びた紋章陣が罠の如く開く。


「――『加速付与』!」


 園長の呪文が、グラシャの肉体に光の鞭を打つ。

 爆発寸前の死の罠が光り満ちるコンマ数秒前、グラシャの身体は弾丸のようにその場を脱出していた。一気にゼノンの背後へと回り込み、死角からの三連斬。

 それと同時に、園長はゼノンを取り囲むように無数の小さな光の紋章陣を展開。放たれた光弾の雨は、あろうことか味方であるグラシャの周囲をも巻き込んでいく。


 だが、これがかつての最強コンビの神髄。

 グラシャは園長の放った光弾を自らの剣や加護の軌道で巧みに『跳ね返し』、跳ね返された光弾がゼノンの防壁を削り、生まれた隙間へグラシャの致命の斬撃が叩き込まれる。

 乱反射する光と血の軌跡が、大講堂の空間を極彩色の地獄へと変えていく。


 数千の連撃の果て、ゼノンの足元へ降り立ったグラシャは、しかし息を荒げ、その表情を険しく歪めた。

 ――第一席の身体には、掠り傷ひとつついていない。


「……嫌になっちまうな。私たちのこの連携さえあれば、かつては敵なしだったんだがな!」


「本当、どうしたもんかね……一筋縄じゃいかないねえ」


 舌打ちする間もなく、ゼノンが両手を広げ、足元に巨大な漆黒の紋章陣を顕現させた。

 ――ズドンッ!!


 宮殿の分厚い外壁すら一撃で穿つ、絶望的な密度を持つ黒の光芒が放たれる。

 直撃の瞬間、園長とグラシャは左右へ分かれて紙一重で跳躍した。


 着地と同時に園長が再びゼノンの周囲へ無数の陣を展開するが、今度は弾丸を放つためではない。グラシャがその光の陣を足場にし、重力を無視した超加速で大気を踏み破り、先ほどよりもさらに鋭い無数の斬撃の嵐を浴びせたのだ。

 加速の加護に支えられ、グラシャの影が何重にも分裂して見えるほどの神速。ゼノンが放つ迎撃の砲撃は、すべて園長の展開する光の盾が相殺していく。


 幾千の刃が擦れ合う中、グラシャの持つ聖剣がだんだんと、溶鉱炉の底のように赤く光り輝き始める。


「我が熱よ、空気を切り裂き立ちはばかるすべての障壁を両断しろ――!」


 全霊を込めた会心の一撃。

 ゼノンの周囲に幾重にも重ねられた濃密な黒の紋章陣が、その熱量を阻む。だが、限界を超えた斬撃の圧力が、漆黒の壁をミシミシと悲鳴させ始めた。


「はあ……はあ……くそっ、これでも駄目か……!」


「さすがの……拒絶の力さね」


 冷徹に戦況を見つめていた園長が、ふと瞳を細める。


「だけどね、外から見ていて気付いたよ。……あの紋章陣が攻撃を受けて軋んだとき、あいつの肩から背中にかけて刻まれた模様が、黒く滲んでいった。もしかすると……あの無敵に見える力にも、許容量という『限り』があるのかもしれないね」


 その分析を聞いたグラシャは、血塗れの顔で不敵に笑ってみせた。


「……ハハッ! 相変わらず、敵をよく見て、知り、理解しようとするその性分は健在か!」


「では、さらに追撃と――」


 グラシャが再び踏み出そうとしたその瞬間。

 背後の破壊された壁から、何かが凄まじい勢いで外へ弾き飛ばされた。

 宮殿のテラスを突き破り、はるか下の深い崖底へと落下していく小さな影。


「雪兎――ッ!!」


 園長の絶叫が宮殿の天井を揺らす。

 だが、老いた大天使はすぐにその後を追おうとはせず、満身創痍のグラシャへ鋭く声を飛ばした。


「グラシャ! あたしにかまうな、あの子のところへ行きな!」


「……っ!」


 グラシャの足がピタリと止まる。今は誰が傷ついてもおかしくない死闘の最中。たかが一人の人間のために戦場を離れることの意味を、歴戦の猛者である彼女が一番よく理解していたからだ。

 だが、園長はその迷いをねじ伏せるように声を張り上げた。


「あの子はお前の子だ!……天律の聖石を解放しておくれ! それが、この戦況をひっくり返す唯一の糸口になるはずさね!」


 ふだんの慈愛に満ちた姿からは想像もつかない、鬼気迫る怒気と気迫。その想いを受け止め、グラシャは迷いを断ち切るように谷底へ身を躍らせた。


 ――逃がすまいと、ゼノンの背後から無数の黒い光弾がグラシャの背中を狙う。

 だが、その弾道へ割って入るように、園長の両手から純白の光の紋章陣が展開された。


「久々の親子の再会さね……邪魔するんじゃないよ!」


 普段の仏のような面持ちは消え失せ、底知れぬ怒りがその体を包んでいる。

 冷徹に迫るオブスキュア=ゼノンが、静かに声を落とした。


「……元大天使、ルミナ=ウリエラ。老いた者よ。おとなしく人間の世界の隅で朽ちていれば、これほど苦しまずに済んだものを」


「『現』第一席のオブスキュア=ゼノン。あんたには分からないだろうがね……未来のためさね!」


 瞬間、ゼノンの周囲の黒陣と、園長の白陣が同時に火を噴いた。

 互いの理(ことわり)が激突し、空間そのものが削り取られるような泥臭い打ち合い。

 だが、戦闘特化ではない園長に、単騎で第一席を相手取るだけの余力は残されていなかった。グラシャという支えを失った代償は大きく、ゼノンの放つ黒い砲撃が、徐々に園長の防衛網をこじ開けていく。


 ついに、一本の黒い光線が園長の右脇腹をかすめた。

 ――肉が焼け焦げる音すら置き去りにし、右脇腹をごっそりと抉り取られる。背後の壁が、鮮血の向こうに剥き出しになった。


「っ……がは……!」


 糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちる園長。

 息も絶え絶えとなった元大天使の前に、ゼノンが冷酷な足取りで歩み寄り、とどめの一撃を掲げたその時――。


 宮殿の入り口付近から、世界が割れるような凄まじい衝撃音と、何かが地に叩きつけられる重い地響きが響き渡った。

 ゼノンがふと視線をそちらに向けると、そこには第二席のアヴァリスク=レッジが敗北し、崩れ落ちる終幕の瞬間があった。


「……友よ」


 倒れ行くアヴァリスクを見つめ、ゼノンはその唇の隙間からかすかな呟きを零す。


ーー回想


 時は少し遡る――。

 大戦の火蓋が切って落とされる直前のこと。

 嫉妬の悪魔が人間界から太奈都を連れ去り、悪魔の世界の深部で不穏なうねりを上げていた時期。最高評議会が召集された五席会議の場は、異様な緊張感に包まれていた。


「おいおい! オブスキュア! この忙しい最中に五席会議を開いた理由をさっさと吐けよ!」


 モロク・ゼブブが怒気を孕んだ太い腕で卓を叩き、怒鳴り声を上げる。


「はぁ……相変わらず品のないことですね。領地での収穫祭の準備もあるというのに、早々に終わらせていただきたいものです」


 ベリアルが冷ややかな笑みを浮かべながら扇子で口元を隠す。


「今回の招集をかけたのは第四席、エンヴィア=ジラールだ。本人はまだ遅れているようだ」


 アヴァリスク=レッジが場をなだめるように静かに告げる。その上座で、第一席オブスキュア=ゼノンは、ただ静かに目を閉じ、沈黙を貫いていた。


 しばらくして、重々しい大扉が鈍い音を立てて開き、気だるげな足取りで一人の人物が入ってくる。


「はあ、ここの城の扉はどこも無駄に仰々しくて嫌いになるわね」


 開口一番に悪態を吐いたのは、第四席――エンヴィア=ジラールだった。


「おい! 呼び出しておいてこのざまだと、その首を根本からねじり切るぞ!」


「あら怖い……まあ、あなたにとっては喉から手が出るほど嬉しい話よ」


「ほう、聞かせろ」


「ええ。要するにね――この退屈な世界に、終末(カタストロフィ)を迎える準備が整ったのよ」


 その言葉に、会議室の空気が凍りついた。

 当時の悪魔界は深刻な貧困にあえいでいた。モロク、エンヴィア、ベリアル各領では重税によるスラム街の反乱が相次ぎ、アヴァリスクやゼノンの領地もまた、その救済支援のしわ寄せで崩壊寸前にあった。

 エンヴィアが持ち出したのは、魔王を現世に降臨させ、現体制を根底からリセットするための「強制的な強硬打開策」。

 そのためには、魔王への接見に必要な「奈落の左鍵」と、天使の世界に厳重に保管された「天律の右鍵」の双方が不可欠であり、右鍵を強奪するためには、天界との大戦を引き起こす大義名分が不可欠だったのだ。


「ですが、魔王様をこちらの世界にお招きするには、強大な『依り代』が要るのではなくて?」


 ベリアルが冷ややかに問いかける。


「その件なら、先ほど完璧な依り代の確保が完了したわ」


 不敵に笑うエンヴィアの言葉に、一瞬の沈黙のあと、モロクが狂ったように哄笑した。


「ふはははは! いいとも、久方ぶりの殺し合いだぁ!」


「ふふ、ようやく退屈が紛れそうですね……!」


 賛同の声を上げる他の者たちを尻目に、アヴァリスク=レッジだけが眉をひそめた。


「オブスキュア! 本当にまた大戦を起こすつもりか!? あの過去の惨劇を忘れたわけではあるまい!」


 異を唱えるアヴァリスクに対し、ゼノンは相変わらず微動だにしない。


「――それでは決をとるわ。賛成の者は挙手を」


 エンヴィアの号令に、モロク、ベリアル、そしてエンヴィア自身が迷いなく手を上げる。さらに――静かに目を開けたオブスキュア=ゼノンもまた、白い手帖の上へ静かに手を挙げた。


「……っ!」


 絶句するアヴァリスクを置き去りにし、他の面々は早々に部屋を去っていく。二人きりになった静寂の中、アヴァリスクが詰め寄った。


「オブスキュア……本当に、このままでいいのか……?」


「……ああ。この世界を変えようと、私なりに足掻いてみたさ。だが、この世界は無常なほどに怠惰だった。私は、無慈悲に大切なものを奪い続けるこの世界を……すべて拒絶する。……友よ、もしまた新しく生まれ変わることができたなら、その時も私と友でいてくれるか?」


「……!……もちろんだとも!」


「……ありがとう……」


 それが、友と交わした最後の言葉だった。


ーー回想終わり


 現実の回想の余韻から引き戻されるように、ゼノンの冷たい視線が、瀕死の園長から離れ、ふらりと立ち上がろうとするオーリへと向けられた。

 ゼノンの手元に、再び巨大な黒の紋章陣が展開され、禍々しい光が収束していく。


「おいおい……おれはもう、一歩も動く気力もねえってのに……」


 ボロボロの肉体を晒し、オーリが自嘲気味に笑ったその刹那。

 ゼノンの掲げた腕を、一条の閃光が凄まじい勢いで薙ぎ払った。


「ルミナ待たせたな! お前はしばらく、その傷の治癒に集中していろ!」


 鮮血を纏いながら戻ってきたグラシャ=レジナが、ゼノンの懐へ真っ向から割って入る。


「グラシャ……! 雪兎は……!」


 息も絶え絶えに問う園長に、グラシャは振り返りもせず、力強く言い放った。


「我が子はな……大切な者を迎えに行ったよ!」


 その瞬間、宮殿の奥深く――天を穿つような眩い光の奔流が迸った。

 轟音とともに外壁が内側から粉砕され、煙る瓦礫の向こうから、エンヴィア=ジラールと対峙する太奈都の元へ駆けつけた少年の叫びが響き渡る。


「太奈都! 俺が必ず目を覚まさせる……ここから帰るぞ!!」


 すべての運命を塗り替える、雪兎の本当の反撃の狼煙が、今、鳴り響いた。

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