19、破壊の悪魔
ガルが凄絶な死闘を繰り広げていたころ、戦場はさらにその熱を帯び、凄まじい様相を呈していた。雪兎たち一行は、死屍累々の路地裏を潜り抜け、いまだ遠くにそびえる宮殿を目指してひた走る。
途中、幾度か敵の残党や遊撃隊に足止めを食らうが、雪兎たちがその牙を向ける前に、道中で次々と遭遇する天使軍の兵士たちが迅速に敵を薙ぎ払い、道を開けていく。かつて慈愛を振りまいた「大天使」の再来にひれ伏し、その背中を涙を流して見送る者たち。彼らの心からの援護を受け、雪兎たちの猛進を止める者は誰もいなかった。
その道中、一団を率いる拠点兵長の中級天使が、焦燥を帯びた表情で駆け寄ってくる。
「ルミナ=ウリエラ様……! お噂には聞いておりましたが、まさか、このような地獄と化した最前線にお越しになられるとは……っ!」
片膝をつき、心底案じるように声を絞り出す兵長に、園長は穏やかな、しかしどこか冷徹な光を宿した瞳を向けた。
「私はもう大天使でも何でもない、ただのしがない老いぼれさね。堅苦しい挨拶なんて抜きにしてくれ。それより、グラシャ=レジナは今どこにいる?」
兵長はハッとしたように立ち上がり、迷うことなく前方を指し示した。
「グラシャ=レジナ様は、宮殿手前のあそこにそびえる高台……『作戦参謀本部』にて、全軍の戦略統括を執り行っておられます!」
示された高台を見据え、園長は「助かったよ」と短く礼を告げると、雪兎とルミエールを振り返った。
「目的地を変えるよ。私たちはあの高台へ向かう!」
その突然の進路変更に、雪兎は怪訝な顔をしかめ、声を荒げて詰め寄った。
「なんでだっ!? あそこへ行ったら宮殿から遠回りになるだろう! なんでまっすぐ太奈都のところへ向かわないんだよ!」
苛立ちを隠せない雪兎に対し、園長は一歩も引かず、重く据わった声で言い放つ。
「行けばわかる。それに、これほどまでに戦況が膠着した今、太奈都を無事に連れ戻すためにも……グラシャ=レジナに会うことは、どうしても必要なんだよ」
老いた大天使の纏う、圧倒的な気魄と揺るぎない意志の前に、雪兎は思わず気圧されて言葉を呑み込んだ。
そのやり取りを固唾を呑んで見守っていた拠点兵長が、深く頷いて進み出る。
「事情は承知いたしました! でしたら我が部隊から、高台までの案内役を特務として出させます!」
兵長が部下の一人に目配せをし、案内を命じたその刹那――。
――ヒュオオオッ……!! ドゴォッ!! ドゴォンッ!!
「……っ!?」
空間を切り裂くような異常な風切り音の直後、遥か遠方の石造りの厚い壁を紙細工のように粉砕し、容赦のない爆撃が飛来した。一帯を呑み込む猛烈な爆風と衝撃波が、雪兎たち一行を容赦なく吹き飛ばす。
「ぐっ……あ……っ!?」
硬い壁に叩きつけられ、雪兎が慌てて頭を振って砂塵の中から顔を上げた。
その視線の先にあった光景に、血の気が一気に引いた。
――先ほどまで言葉を交わしていた拠点兵長の姿は、どこにもなかった。ただ、その足元にあった「膝から下の両足」だけが、無残に地面に置き去りにされていた。
直撃を受けたであろう彼の上半身は、跡形もなく消滅していたのだ。
「……チッ」
冷ややかな舌打ちが聞こえた方へ目を向けると、300メートルは離れているであろう高層の建物の屋上に、微動だにせず佇む一人の悪魔の姿があった。
園長はその異形のシルエットを認めるなり、険しく眉間を寄せた。
「あいつは……第三席、『破壊の悪魔』ベリアル……。知性と冷徹な秩序で動く厄介な男さね。まさか、こんなところで出くわしてしまうとは……っ!」
警戒の色を強める園長の傍らで、ルミエールは一歩前に踏み出し、静かに、しかし絶対的な意志を込めて告げた。
「ルミナ様……。ここは私が残り、あのベリアルを足止めします。雪兎を連れて、先にお進みください」
「バカなことを言わないでおくれ! 相手は五席の上位、お前一人では――」
苦渋に顔を歪める園長を遮るように、ルミエールは微塵の揺らぎもない真摯な瞳で見据えた。
「ここで全員が足止めを食らえば、本来の目的そのものが水泡に帰します。……どうか、先へ」
その冷静沈着で理路整然とした言葉に、園長は喉まで出かかった反対の言葉を飲み込んだ。彼女の覚悟の重さを悟り、歯噛みしながらも頷く。
「……わかった。必ず、追いついてきなさいよ!」
「雪兎、急ぐよ!」
園長はルミエールに背中を向け、迷いなく走り出す。雪兎は駆け出す足を一瞬だけためらい、振り返って叫んだ。
「ルミエールさん! 先で待ってますからね、絶対に追いついてください!」
「……ええ。必ず、その手で弟を連れ戻しなさい……」
背中越しに飛んできた少年の声に小さく応えると、ルミエールはスッと視線を正面の敵へと戻した。
その刹那、再び空間を切り裂いて、雪兎たちの背中を狙った超高速の砲弾が放たれる。
「――させません!」
ルミエールの指先が光り、寸分の狂いもない精度の連撃が放たれた。無数の矢が飛来する砲弾の尖端を的確に捉え、空中で連鎖的な大爆発を引き起こす。
土煙の奥から、不敵な笑みを浮かべたベリアルが冷ややかに見下ろしていた。
「ほう……私の砲弾を空中で撃ち落とすとは。なかなかの腕前ですね、天使の残党さん」
無言のまま矢を番え、ルミエールは三本の矢を同時に放つ。しかし、ベリアルの身体に届く寸前、硬質な障壁に弾かれるようにすべての矢がパラパラと足元へ落ちた。
――強固なエネルギー障壁。
「無駄ですよ。私の絶対防壁を破るなど、――あぁいや、せいぜい悪あがきを楽しませてください」
ベリアルは左手を重厚な砲筒へと変形させ、容赦なく砲撃を放つ。炸裂する爆風を紙一重でかわしながら、ルミエールは建物の陰へと身を滑り込ませた。
息を潜め、わずかな隙を突いて矢を放つ。だが、どれほど精密に狙いを定めても、ベリアルの周囲を覆うエネルギー障壁は一切の傷を負わない。
(硬い……。だが、どこかに『発生源』があるはずだ)
ルミエールは卓越した観察眼と戦闘センスをフル稼働させ、ベリアルの動きを、そして周囲の空間を観察し続けた。路地裏を縦横無尽に駆け抜けながら、壁や瓦礫を巧みに利用した『跳弾』の妙技で、四方八方から矢を浴びせかける。放たれた無数の矢は、地面や壁に次々と散らばっていく。
(――今だ)
無数の跳弾の軌道を計算し尽くし、一点へと集中させた矢の雨。そのわずかな隙間を縫い、一本の矢がベリアルのエネルギー障壁の隙間をかすめ、その頬に浅い傷を刻んだ。
「……おや?」
ベリアルの表情にわずかに険しさが走る。ルミエールは見逃さなかった。あの障壁を発生させている小型の機械装置は、ベリアルの「左斜め後方」の空間に浮遊している。そして、跳弾の角度を利用すれば、その一点のみをピンポイントで打ち抜くことが可能だ。
だが、ベリアルもただの的ではない。
「ちょこまかと鬱陶しい虫ですね。……兵たちよ、あの女の足を止めなさい」
ベリアルの命令に従い、瓦礫の陰から無数の悪魔軍兵士が一斉に飛び出してきた。挟み撃ちにするように襲い来る雑兵たちを、ルミエールは流れるような弓術で次々と射抜いていく。しかし、包囲網を突破しようとしたその瞬間、背後から再びあの悪夢のような風切り音が迫った。
「――っ!」
直撃を察知し、ルミエールは反射的に跳躍して爆風の直撃を免れたが、吹き飛んだ兵士の折れた刀身が、無慈悲にも彼女の左脇腹を深く穿った。
「ぐっ……ぅ……っ!」
鮮血がほとばしる。悪魔軍の兵士たちは、味方ごと砲撃に巻き込まれて全滅していた。
ルミエールは激痛に顔を歪めながらも、気合で声を飲み込む。ベリアルに致命傷の位置を悟られてはならない。彼女は自身の着ていた上着を引き裂くと思い切って腹部をきつく縛り上げ、強烈な圧迫止血を施すと、血の足跡を路上に残しながら、再び過酷な疾走を再開した。
(――いま砲撃を放ったばかり。あの重厚な砲筒は、連続して撃てるような代物じゃない……!)
敵の攻撃の「間」を冷静に見極め、ルミエールは痛む脇腹を堪えながら死角へと身を滑り込ませた。
敵の生死を確かめようとベリアルが視線を巡らせているその隙を突き、ルミエールは再び背後へと回り込み、神速の跳弾射撃を放つ。
「しつこいですね……!」
ベリアルが苛立ちを露わにして砲身を向ける。その瞬間、ルミエールは意図的にベリアルと同じ高さの建物の屋上へと躍り出た。お互いに距離を取った状態での、一対一の対峙。
「おやおや、ようやく観念しましたか」
「……いいえ、ここからが勝負よ」
鋭く研ぎ澄まされた気魄を纏い、ルミエールは無数の矢を同時に番え、ありったけの力を込めて解き放った。矢の雨がベリアルへと殺到する。ベリアルは嘲笑うように障壁を展開し、即座にカウンターの砲弾を撃ち出した。
――ズドンッ!! と、圧倒的な質量を持つ巨砲の弾丸が、ルミエールめがけて容赦なく迫る。
弾丸が目前まで迫ったその瞬間、ルミエールは全身の残された力を振り絞り、思いっきり高く跳躍した。死線をくぐり抜ける奇跡的な身のこなしで砲弾の直撃を逸らしつつ、空中から残されたすべての力を結実させた跳弾の妙技を放つ。
――パリーーンッ!!
乾いた美しい音を立てて、これまで絶対に破られなかったベリアルのエネルギー障壁が、ついに砕け散った。
「なっ……発生源の盲点を見抜かれたというのですか……!?」
驚愕に目を見開くベリアル。だが、彼女が反撃の矢を放つよりも早く、ベリアルは不気味に歪んだ笑みを浮かべた。
「ですが……充填には確かに時間がかかりますが、私の砲筒の『装填数』は――二発です!!」
砲筒から放たれた強烈な砲撃。
空中で身を捻ったルミエールだったが、回避しきれず、その砲弾は彼女の右腕を直撃し、肩下から一瞬で消し飛ばした。
ベリアルが勝利を確信し、不気味に笑い出したその瞬間――ルミエールの闘志の炎は、まだ消えていなかった。
(負けるか……負けてたまるか……っ!!)
「はあああっ…!!」
咄嗟に左手に持っていた弓を投げ捨て、残された左手で矢筒から一本の矢を引き抜く。勢いそのままにベリアルへと距離を詰め、その右目に深く矢を突き立てた。
「が、ああああっ……!!」
ベリアルの絶叫が戦場に轟き、そのままドサリと地に倒れ伏す。
ルミエールもまた勢いのまま壁に打ち付けられ、その場に崩れ落ちた。
あまりにも多すぎる出血の中で、彼女の意識は急速に薄れていく。もはや指一本動かすこともできない。
「ルミナ様……命を全うできず、申し訳ございません……雪兎……」
ルミエールの意識は、そのまま深い静寂の闇へと消えていった。




