17、戦場
青白い光に飛び込んだ後、激しい光の奔流と、内臓が浮き上がるような強烈な浮遊感に身体が包み込まれる。どれほどその虚空を走っただろうか。やがて光のトンネルを抜け、重力に引き戻されるように足が地面をとらえたその瞬間――。
鼓膜を破らんばかりの凄まじい爆撃音と、金属が悲鳴を上げる剣戟の嵐が雪兎の耳を突き刺した。鼻腔を焼くのは、むせ返るような血の臭いと硝煙の匂い。眼前に広がるのは、地を這い泥まみれになって殺し合う天使と悪魔の群れ、そして頭上の禍々しく赤く染まった暗雲を縦横無尽に飛び交いながら火花を散らす凄絶な空中戦。そこは、理性を置き去りにした狂気の戦場のど真ん中だった。
不意を突かれた雪兎たち一行は、転移直後の混乱にわずかに足を止める。
「オーリのやつ、完全にドロップポイントを誤りましたね」
舞い散る灰を払いながら、ルミエールが冷ややかな声で呟いた。だが、背後を振り返る暇などない。園長は戦況を一瞥すると、迷いのない足取りで前方を指し示した。
「こうなっては仕方がないね。私たちが目指す『終焉の境界門』があるのは、あそこに見える城の上層さね。正面突破で突き進むよ」
指し示された先には、硝煙の向こうにそびえ立つ、威容を誇る巨大な城塞が黒い影を落としていた。
予期せぬ戦場への投下に、心臓の鼓動が早鐘のように鳴り響く。しかし、雪兎はすぐに自らの頬を叩いて恐怖をねじ伏せ、固い決意の炎を瞳に宿した。行くべき道が定まった今、迷う理由などない。雪兎は戦場の喧騒を切り裂くように、大きく叫んだ。
「一気に、あの城まで駆け込むぞ!」
その怒号を合図に、園長、ルミエール、ガルは迷いなく力強くうなずき、阿修羅の如き勢いで敵陣の只中へと猛然と突撃を開始した。
進路を塞ぐように、狂乱した天使や悪魔の兵士たちが牙をむいて襲いかかる。だが、今の彼らにとってそれはただの障害物でしかなかった。雪兎は数か月に及ぶ苛烈な特訓の成果を肌で感じていた。かつてなら恐怖で足がすくんだであろう凄惨な光景の中を、二振りの剣を流れるように振るい、敵の攻撃をいなし、受け流し、時には弾き飛ばしながら駆けていく。「俺は、この戦場でも生き残れる――!」確かな手応えが、全身の血を沸き立たせていた。
しかし、その隣を行く他の三人の戦闘力は、もはや次元が違っていた。
園長は指を一振りするごとに眩い光の盾を幾重にも展開して敵の攻撃を完全に無効化し、溢れ出る光の波動で一帯の敵を薙ぎ払っていく。ルミエールは静謐な菩薩の如き冷徹さで弓を絞り、猛スピードで迫る敵の急所――戦闘不能に陥る部位だけを正確無比に射抜いて無力化していく。その手口はもはや神業の領域だった。そしてガルは、左の脇に例の一般男性を抱えたまま、右手の『重力震の籠手』を嵌めた拳一撃で、群がる敵をまとめて地面に叩き伏せていく。
圧倒的な仲間たちの背中を目の当たりにし、雪兎の胸の内に頼もしさと同時に、己の未熟さに対する悔しさが澱のように溜まっていく。
(太奈都を連れ戻すために来たっていうのに……俺は、このままじゃ足手まといのままだ……!)
歯噛みしながらも足を止めず、雪兎は泥と血飛沫のなかを駆け抜けた。
幾重もの防衛線を突破し、ようやく城の正面玄関である巨大な石造りの門へとたどり着いた一行。だが、その守りは固い。門の前には、人間の背丈の何倍もある巨体の石造りの門番が二体、仁王立ちしていた。
侵入者を察知した門番たちが、地鳴りのような唸り声をあげながら、持つ者を押し潰さんとばかりに巨大な大斧をゆっくりと、しかし確実に振りかぶる。
瞬間――ルミエールが弦を弾き、無数の光の矢が片方の門番の足元へと奔流のように叩き込まれた。同時に、ガルは抱えていた男性をそっと安全な脇に下ろすと、もう一方の石像の足へと大地を抉るほどの重力震を乗せた拳を叩きつけた。
バランスを崩した二体の巨体が、崩れ落ちるように前のめりへと倒れ込んでくる。その重力と勢いを利用し、園長が両手を掲げて巨大な光の衝撃波を正面から放った。
轟音。文字通り粉々に砕け散り、霧散していく巨石の破片。あまりにも鮮烈で、隙のない連携だった。
底知れない仲間たちの強さに圧倒され、雪兎は自分の無力感を噛み締めながら、小さく呟いた。
「このままじゃ……俺は……」
「ぼやいている暇はないよ。門は上の階層を目指すさね」
園長の冷静な一言にハッと気を取り直し、一行は城の内部へと滑り込むように突入した。
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城内へ足を踏み入れると、そこは迷宮のようになっていた。上へと続く階段を探し、駆け上がる道中も、次々と刺客が牙を剥く。
巨大な扉を押し開けて踏み込んだ最初の広間。そこには、背中に漆黒の翼を生やした「隼の悪魔」が不敵な笑みを浮かべて待ち構えていた。
「誰だ貴様らは! ここから先は一歩も通さん!」
叫ぶやいなや、隼の悪魔は天井の高い空間へと跳ね上がり、人間の動体視力を完全に置き去りにする超高速の軌跡を描いて部屋中を飛び回り、鋭い爪で一行の死角を切り裂いていく。
「くそっ、なんて速さだ……! 動きが目で追えない……!」
冷や汗を流し、剣を構えて対応しようとする雪兎。だが、その焦りを他所に、ルミエールはふっと深く息を吐き、静かに目を閉じた。
次の瞬間、まるで未来を予見していたかのように、彼女は目を開き、一点に向けて弓を放つ。
ビュンッ!
放たれた矢は空間を切り裂き、超高速で飛翔していた隼の悪魔の両翼を、そのまま背後の分厚い石柱へと深く、頑丈に縫い付けた。
「ぐっ……あぁっ、なにっ……!?」
翼と腕が一体化したその悪魔は、鳥の短い足では自らの翼に突き刺さった矢に手が届かず、石柱の高い位置から宙吊りにされたまま、ばたばたと滑稽にももがくことしかできなかった。
「ぐ、くそーっ! ここから降ろせーっ!」
必死に暴れ続ける悪魔を尻目に、ルミエールは振り返りもせず淡々と言い放つ。
「先を急ぎましょう」
冷静すぎる仲間の背中を見送りながら、雪兎は一人で空回りしていた自分に猛烈な悔しさを覚え、唇を噛み締めた。その後方では、隼の悪魔の「だから降ろしてってばーっ!」という切ない絶叫が、虚しく部屋に反響していた。
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さらに城の奥へと進み、次の重い扉を開けると、そこには次なる関門が待ち受けていた。
待ち構えていたのは、巨体の「牛の悪魔」だった。その頭には、鋭く研ぎ澄まされた二本の角が凶器のように突き出している。
「モーーッ! こんなところまで入り込みやがって……! だが、貴様らの命運もここまでだ!」
牛の悪魔は地響きを立てながら頭を下げ、その一角をこちらに向けたまま、暴走列車の如きすさまじい勢いで突進してきた。
「っ危ない!」
咄嗟に左右へと飛び退く一行。牛の悪魔の突進はそのままの勢いで頑丈な石の柱へと激突し、爆音とともに柱を木端微塵に粉砕した。あんなものの正面から突撃を受けたら、一たまりもなく肉塊と化すだろう。背筋が凍るような威圧感に、雪兎は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
しかし、牛の悪魔は勢いを緩めず、Uターンするように今度は壁際に追い詰められていた園長めがけて猛然と突進していく。
「園長!」
雪兎が絶叫し、助けに向かおうと足を踏み出すも、物理的な距離があまりに遠く間に合わない。――そう絶望しかけた瞬間。
「なんだい?」
すぐ隣の空間から、ふわりと園長の声が聞こえた。驚いて慌てて視線を横に向ける雪兎。そこに映った光景に、彼の脳内は完全にフリーズした。なんと、壁際に追い詰められているはずの園長と、自分の目の前に立っている園長の「二人」が同時に存在している。
唖然とする雪兎を尻目に、分身した園長の片方があっけらかんと微笑んだ。
「あれはただの残像さね。……それと、『加速付与!』」
園長が指先をピンと弾いた瞬間、突進していた牛の悪魔の速度が、常軌を逸したレベルへと跳ね上がった。自分の身体に何が起きたかすら理解できぬまま、牛の悪魔はブレーキを踏む間もなく、自らが生み出した猛烈な加速のまま城の壁へと激突した。
ガシャアアァン!!
外壁の石造りを盛大に突き破り、牛の悪魔はそのまま空中へと飛び出していく。
「モオオオオオオオオ………………」
遥か下の奈落へと落下していく断末魔の鳴き声が、遠ざかりながら消えていった。
またしても、自分は何もできなかった。それどころか、あらかじめ全てを計算していた園長を一人で勝手に心配し、焦っていた自分が恥ずかしくてたまらない。不甲斐なさと情けなさに、雪兎の胸の内でイライラとした感情が煮え繰り返る。
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さらに階段を上り、次なる重い扉をこじ開けたとき、そこに待ち構えていたのは、ひときわ肥大化した「豚の悪魔」だった。
「ブヒヒ……! ここまで辿り着くとはいい度胸だブヒ! だが、お前らの旅はここで終わりだブヒヒヒヒ!」
そいつは、自分の身体ほどもある巨大な金棒を肩に担ぎ、下品な笑い声をネバつかせていた。
「ブヒヒ、ブヒヒヒヒヒヒヒッ!」
胸の内で燃え盛っていた苛立ちの導火線に、その執拗で不快な笑い声が容赦なく火をつけた。積もり積もった焦燥と不甲斐なさの糸が、プツリと音を立てて完全にブチ切れる。
「……うるせえんだよ、ブヒブヒとよぉっ!!」
怒号とともに、雪兎の身体から爆発的な闘気が噴き出した。肉体の限界を超えた神速の飛び蹴りが、豚の悪魔の醜悪な顔面へと一閃する。
ドゴォッ!!
凄まじい衝撃音が広間に響き渡り、豚の悪魔は「ブヒーッ!」という情けない悲鳴を上げながら砲弾の如く吹き飛び、顔面からそのまま奥の石柱へとめり込んだ。
荒い鼻息を立てながら、鬼気迫る表情で拳を握りしめている雪兎。その異様な気迫を目の当たりにした園長、ルミエール、ガルは、思わず気まずそうに頬をポリポリと掻いた。ちなみに、広間を立ち去る際、めり込んだ豚の悪魔のお尻のあたりから、なぜか間抜けな「ブヒッ」という音が小さく漏れていた。
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雪兎の荒ぶる興奮がようやく鎮まったころ、一行はついに最上階へとたどり着いた。
目の前にあるのは、これまでよりも一段と重々しく、禍々しいオーラを放つ巨大な扉。
「あれが、『終焉の境界門』だね」
園長が静かに告げると、その傍らに置かれた古代の円卓を指し示した。
「それじゃあ、そこの円卓にある五つの席の、それぞれの後ろの柱にある引手の前に一人ずつ配置しておくれ。私の合図で、一斉にそれを引き抜くんだよ」
指示に従い、五人がそれぞれの引手の前へと散らばる。その中で、ガルの後ろに連れてこられた一般の男性が、ガクガクと身体を震わせながら青い顔で怯えているのが目に入った。胸が痛んだ雪兎は、心配そうに声をかける。
「あの……! 合図をしたら、思いっきりその引手を引っ張ってください!」
男性が涙目で必死にうなずいたのを確認し、全員の位置が定まった。
「――せーのっ!」
園長の澄んだ号令が、だだっ広い広間に響き渡る。
全員が全身の力を込め、それぞれの引手を一斉に手前へと引き抜いた。
次の瞬間――!
部屋の奥にそびえていた禍々しい巨大な扉が、世界を引き裂くような凄まじい轟音とともに左右へと開き、その隙間から、目が眩むほど純白で神々しい光が一気に溢れ出した。
「よし、行くぞ!」
雪兎の号令のもと、一行は光の渦の前に立つ。跳び込む直前、雪兎はふと振り返り、恐怖で腰を抜かしている一般男性へと頭を下げた。
「おっさん、本当に巻き込んでしまってすまなかった……! 助かったよ、ありがとう!」
その言葉を残し、雪兎は眩い光の中へと身を躍らせた。
「危険な目に合わせてしまって、本当にごめんなさい」
ルミエールも静かに一礼し、あとに続く。
「どうか、無事に元の世界へお帰りくださいね」
園長は慈愛に満ちた微笑みと共に聖別の加護をその場に残し、光へと飛び込んだ。
「…………」
ガルは無言のまま深く一礼すると、重い巨体を光の渦へと滑り込ませた。
---ふたたび、強烈な光の粒子と、すべてが溶け合うような浮遊感の中を進んでいく。その最中、雪兎ははたと気づいて青ざめた。
「しまった……! おっさんに、元の世界へ戻るための方法をちゃんと言い伝え忘れた!」
冷や汗を流しながら叫ぶ雪兎に、少し前方を漂っていた園長が優しく微笑んで答えた。
「心配いらないさね。あそこからは光のトンネルを抜ける以外に行き場はないからね。それに、ちゃんと元の街へ安全に戻れるように、しっかりと道しるべの加護もかけておいたからね」
それを聞いた雪兎は、心底ホッと胸を撫で下ろした。その安堵した表情を見届けると、園長の声音にわずかに緊張の色が混ざる。
「……だがね、雪兎。今までの悪魔たちは、せいぜい城の警備にあたっていた下級の雑魚にすぎない。これから待ち受ける本当の戦力は、おそらく天使の国の要所に潜む本物の脅威さね。気を引き締めないと、今度こそ本当に死ぬよ」
その忠告を胸の奥深くに刻み込むように、雪兎は自分の両頬を両手で音が響くほど激しく叩き、気合を入れた。
「ああ、分かっている!」
(太奈都、待ってろよ。お前を迎えに行って、絶対に連れ戻してやるからな……!)
闘志の炎を再び心に灯し、一行はさらなる次元の狭間を抜け、決戦の地――「天使の国」へと足を踏み入れていくのだった。




