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或る兄弟の絆  作者: KOYU
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11/23

11、チケット

 次なる目的地、謎の「オーリ」なる人物を目指す一行を乗せた保育園バスの中で、園長のどこまでも明るく澄んだ笑い声が響き渡った。


「雪兎、ガルはね、別にあなたを無視しているんじゃなくて、ただ極度の人見知りなだけなんだよ。普段は境界の監視以外には私ぐらいしか言葉を交わさないからね。だからガルとの難しい話し合いは私に任せてと言ったのよ」


 ガルに終始無言で無視され続けてすっかり意気消沈していた雪兎をケラケラと笑い飛ばしながら、園長は続ける。


「ただね、見た目はあんなでも、とっても根の優しい良い子だから、すぐにきっと仲良くなれるわよ」


 それを聞いて、雪兎は心に重くのしかかっていた氷が溶けるように、少しだけ胸をなで下ろす。そんな和やかな車内の様子を助手席の端から見つめていた優妃も、「ガルさん、これからよろしくお願いしますね」と、春風のように柔らかく微笑みかけた。ガルは相変わらず前を向いたまま一言も発しなかったが、もともと人間離れした赤黒い肌のなかに、わずかに赤みがじわりと増したように見えた。


 そんな車内の空気を穏やかに和ませる光景の裏で、雪兎はふと現実側で冷徹な心配事を思い出し、口を開いた。


「園長、これから向かうところって、当然これから人里や人通りが多いところを通っていくことになると思うんだけど……ガルのさんのその隠しようのない容姿じゃあ、一発で大騒ぎになってしまうんじゃ……」


 ただでさえ二メートルを優に超す圧倒的な巨躯で、おまけに皮膚は溶岩のように赤黒く、頭には悪魔の角まで生えた人外の異形の姿だ。普通の人間が街中で不意に目撃すれば、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、大パニックになりかねない。だが、そんな切迫した問いに、園長はどこ吹く風とばかりに平然と答えた。


「それについては一切心配いらないよ。さっきあの灯台を出る前にね、私の方で『姿隠しのおまじない』を綺麗にかけておいたから。だから、普通の人間が今のガルを見ても、ただの背の高い大柄な人間にしか見えないわ。まあ、この強力なおまじないも長時間はもたないし、あまり継続的に酷使するわけにはいかないけれどね」


 あまりにあっけらかんと、ファンタジーの魔法のような所業を語る園長に、雪兎は開いた口が塞がらず、大きく度肝を抜かれる。「自分たちには元のガルの異形の姿のままに見えるから、やっぱりどうにも不安だけど……」と、胸のなかのモヤモヤは消えない。


 その後しばらく車を走らせ、一行は長旅の小休憩のため、高速道路のパーキングエリアへと立ち寄った。雪兎と優妃が先にバスを降りたあと、ガルもまた窮屈そうに天井に頭をぶつけないよう身を縮こまわせながら、ものすごい重量感でバスの車体を大きく揺らしながら後に続いた。


 華やかなパーキングのなかに足を踏み入れる道中、周囲の人々の目が気になって仕方がない雪兎だったが、すれ違う人々の反応は驚くほど自然で、拍子抜けするほどだった。誰もが「あそこのお兄さん、背が高くて大柄な人だな」と思う程度で、恐怖におののく気配すらない。極めつけは、よちよち歩きの小さな女の子がガルの巨体の近くにトコトコと歩み寄り、その小さな手でガルの樹木の幹のように太い指をきゅっと握りしめ、「おっきいねー!」と、花が咲いたような満面の笑みで無邪気に話しかけたことだった。

 ガルは、そんな想定外の幼子の接近に激しく戸惑いながらも、ガチガチに硬直した巨体を震わせつつ、ふっと細い目をさらに細めて、不器用にその頭を優しくなでてやった。女の子の両親も「あらあら、すみませーん、うちの子が人懐っこくて」とごく日常の風景として頭を下げ、和やかに会釈しながら通り過ぎていった。


(ガルさん、大人の人間には身構えるけど、子どもとは普通に優しく接することができるんだな……)


 雪兎はその意外すぎる一面に驚嘆しつつ、園長の言っていた「おまじない」が本物だったと知って深く安堵する。しかし同時に、――園長はいったい何者なのだろうか。もしかして、彼女自身もただの人間に収まる存在ではないのでは……という新たな疑念が、胸の片隅に不気味な根を張り始めていた。


 一行はそのパーキングエリアの売店で軽く軽食を済ませ、再び目的地に向けて保育園バスを発進させた。


 それからさらに数時間をかけて車を走り続け、やがて目的地のエリアへとたどり着いた。長時間の移動による強烈な疲労で雪兎と優妃はうとうととまどろんでいたが、バスが急停車した際の強いブレーキの激しい揺れでガクッと目を覚ます。園長の「さあ、着いたよ」という気の抜けた声に促され、ふたりは重い足取りで車を降りた。


 そこに広がっていたのは、夜空を毒々しく焦がすようなネオンの光が乱反射し、ギラギラと眩いばかりにきらめく、華やかで、どこか退廃的で淫靡な夜の繁華街だった。パーキングから乗り継いだバスを降り、街の圧倒的な喧騒のなかを気圧されながら歩いていく。初めて足を踏み入れるこの異質な空間に気後れしながら進んでいくと、やがて園長がピタリと足を止め、「こっちだよ」と、ゴミ溜めのような入り組んだ暗い路地裏へと導いた。


 狭く、まるで迷路のように入り組んだ路地の奥にあるのは、街の喧騒から隔絶されたようにひっそりと佇む古びた雑居ビルの裏扉だった。周囲に店舗の看板の類いは一切なく、ただ分厚い鉄の扉の横に小さな無機質なインターホンが取り付けられているだけだ。

 その冷たい扉の前に立つと、園長は振り返り、ガルに「それじゃあ、お願いできるかい?」と頼み込んだ。ガルは一言も発さずに静かに頷き、園長の小柄な体をひょいと両手で軽々と持ち上げ、インターホンのボタンの高さまで優しく持ち上げた。園長がその小さな指先でボタンをピッと押す。


 しばらくの不気味な沈黙のあと、スピーカーから特に応答の声などは聞こえなかったが、耳障りな電子音とともに「ガチャリ」と重い解錠の音が響き渡った。園長とガルが扉を押し開けて中へ滑り込み、雪兎と優妃もここで置いていかれまいと、慌ててその背中を追って飛び込んだ。全員が完全に中に入りきると、背後で「バタン」と重厚な鉄の扉が冷たく閉まり、再び自動でガチャンと強固に施錠される音が暗い廊下に響いた。


 一歩足を踏み入れた内部は、外観の古びた雑居ビルという印象とは似ても似つかない、足が沈み込むほどに美しく豪華な真紅の絨毯がどこまでも敷き詰められた長い廊下だった。壁伝いに道なりに進み、最奥にある一室の重厚な扉の前にたどり着く。

 ガチャリと扉をノックなしでこじ開けて中へ足を踏み入れると、そこには天井まで届きそうなほど分厚い棚に所狭しと並ぶ数々の怪しげな骨董品と、悪趣味なまでにギラギラと目を引く金色の装飾品の山が目に飛び込んできた。どこか下品で、成金趣味を絵に描いたような濃密な富の匂いが、その空間全体に漂っていた。


 部屋の最奥には、これまたこれでもかと過剰な装飾が施された玉座のような豪華な机と椅子があり、そこにふんぞり返るように足を組んで一人の男が座っていた。

 男の髪は隙間なくピシッと見事にオールバックへ整えられており、なぜかその前髪の生え際の中央から一本だけ、アンテナのようにピンと跳ねた不気味なアホ毛が飛び出している。男は、入ってきた園長の顔を見るなり、あからさまに嫌そうに顔をしかめ、吐き捨てるような悪態をついた。


「おうおう、何の用だ、クソババアじゃねえか! まだ息してやがったのかよ、何のっけからしきりにうちに用事なんだよ」


 初対面から容赦のない暴言にもかかわらず、園長はまるで近所の気のいい知人にでも話しかけるように涼しい顔で、むしろどこか懐かしむような響きですら言い返す。


「昔話に花を咲かせるのも悪くはないけれどね、あいにく今日の私は少し急いでいてね。あんたにちょっと大事な相談があるんだ。今ね、悪魔の世界の奥底に連れ去られたある男の子をなんとか助け出したいんだが、向こうは今、全面的な厳戒態勢がしかれていて、とても普通の手段じゃ近づけそうにないのさ。あんたなら、裏の世界に通じる何か知られざる抜け道を知っているんじゃないかと思ってね、オーリ」


 名前を呼ばれたオーリは、鼻でふんと大きくせせら笑うと、玉座にもたれかかったまま、これ以上ないほどふんぞり返って言い放った。


「ふん、世迷い言を! 情報ってのはな、チャリティのボランティアじゃねえんだよ、知りたきゃまずは一億払うんだな!」


 法の目をかいくぐるような法外な金額を平然とふっかける、生粋の守銭奴の態度に、園長はやれやれといった大げさな仕草で小さく首を振った。そして、わざとらしく数秒の間を置いてから、ガラリとか弱いしおらしい声色を作り出した。


「――オーリ、あんたが昔、あの血で血を洗う天悪大戦の最中に死にかけて、見捨てられそうになっていたとき、この私に拾われて一命をとりとめたのは一体誰だったかい? そのあと悪魔軍の徹底的な裏切りにつかまって、あわや公開処刑されかけたところを、私の全財産と命がけの交渉で引っ張り出してやったのは……まさか、あのとき命を救ってやった恩をすっかり忘れて、ここまで人間の温もりすら利益に換える強欲な大人になってしまうなんてねえ……これじゃあ、あの暗闇のなかで流した私の尊い涙が、まったく報われないよ、まったく……」


 園長はポケットの奥からわざわざ真っ白なハンカチーフを取り出すと、大げさに目元を覆い、シクシクとか弱い声で泣きまねを始めた。(……これ、本気で泣いてるのか? それとも演技なのか……?)と、後ろでそのシュールなやり取りを固唾を呑んで見守っていた雪兎は、あまりの展開に少し呆気に取られてしまう。


 完全に図星を突かれたのか、オーリはさっきまでの威勢が嘘のように顔面を青ざめさせ、急に激しく慌てふためき、豪華な椅子からずり落ちそうになりながら声を上擦らせた。


「だ、だだからって昔のことを持ち出すんじゃねえよ! こっちだってな、必死に商売としてやってるんだよ、だいたいタダでこんな一級の重要情報を渡せるわけねえだろ!」


 必死に焦りを隠しきれないオーリの情けない様子をひとしきり観察すると、園長はスッとハンカチをポケットにしまい込み、一瞬でさっきまでの涙が嘘のような冷徹な真顔に戻った。


「そうかい。じゃあ、話は決まりだ、しょうがないね。ガル、悪いけれど少しだけ、あの男にうちのシメ方を教えてあげてくれるかい?」


 園長が不敵に促すと、ガルは無言のまま、背筋が凍るような凄まじい殺気を一気に解き放ち、ミシミシと悲鳴を上げる絨毯の床を踏み鳴らしながら、オーリへと一歩、また一歩と無言のプレッシャーをかけて詰め寄っていく。

アイロンをかけたような無機質な巨体が目の前に迫る圧倒的な恐怖感に、オーリは額から脂汗をダラダラと滝のように流し、全身をガタガタと文字通り震わせながらも、恐怖でひきつった顔で「お、脅しになんて、この俺が屈するわけねえぞ……!」と、情けない悲鳴に近い叫び声を上げた。

 ガルがあと一歩というところまで冷酷に距離を詰めた瞬間、いよいよオーリが本当に恐怖で泡を吹いて気絶しかけたその極限のタイミングで、園長はわざとらしく大きく、わざとらしいため息をついた。


「はあ……。しょうがないねえ、これじゃ話にならない。他の頼れるツテをあたってみるか」


 その冷たい一言を合図に、ガルはピタリと殺気を完全に収め、何食わぬ顔で園長の方へと忠実に引き返していく。一行がまるで最初から用事などなかったかのように踵を返し、冷酷に出口へ向かって歩き出したその背中に向かって、オーリはついに精神の限界を迎えたように絶叫した。


「わかった! 降参だ、もう負けを認めるよ!」


 完全に敗北を叩きつけられたようにガックリとうなだれ、オーリはすっかり掠れた敗者の声を絞り出す。


「……あんたに数え切れないほどの恩があるのは、この俺が一番よく分かってるさ。……少しばかり、足元を見てふっかけてしまって、悪かったよ」


 すっかり観念した様子のオーリの前に、一行は再び冷ややかに歩み寄る。しかし、気を取り直して語り始めたオーリの口から飛び出したのは、これまでの苦労を完全にゼロにするような、期待を木端微塵に打ち砕く残酷な現実だった。


「現状の治安から包み隠さず言うとだな……この世界から悪魔の世界へ通じる合法の抜け道なんてものはない。今、悪魔の世界が何のために血眼になって厳戒態勢を敷いていると思ってる? 本来なら、神聖な天使の世界からこっそり裏口を渡り抜けられるルートなら、かつてはいくつか知っていたさ。だが、今や天使の世界側も悪魔のただならぬ動きをいち早く察知して、全面的な迎撃のために自国の国境を完全に鎖国させてしまっているのさ。つまり、人間の世界からのルートも、かつての天使の世界からのルートも、両方とも完全に封鎖されている。だから、そもそも物理的な抜け道自体がこの世に存在しない、八方塞がりの状況なんだよ」


 それを聞いた園長は、「結局、抜け道はどこもダメかい……。となると、また別の根本的な方法を探すしかないねえ」と、珍しく本気で諦めかけたように小さな肩を落とした。

 その背中を見て、雪兎の胸のなかの心臓が急速に冷えていく。だが、引き下がりかけたその絶望の瞬間、オーリはふっと鼻を鳴らし、意味深な笑みを浮かべて言葉を継いだ。


「――だがね。こっそり誰にも気づかれずに忍び込んで、こっそり助け出すのは100%不可能だと言ったが、『圧倒的な暴力と力づくで門をこじ開けて、その隙に直接救い出す』という荒技なら、理論上は一つだけ方法がある」


 オーリは乱れかけたアホ毛をなぞりながら、一瞬で商人の顔へと戻り、いやらしくニヤリと笑った。


「今、完全に鎖国している天使の国への主要な入り口に対して、悪魔の世界側がかつての伝説的な天悪大戦の終結時に使われた『終焉の境界門』を、大量の呪術エネルギーで無理やりこじ開けて正面から攻い入ろうと企んでいる。当然、天使の国側も全戦力を投入して全力で迎撃するから、国境付近はお互いの狂気的な兵が入り乱れる世紀の大乱戦になるはずだ。……その、世界が揺らぐほどの大混乱が起きている最中であれば、その凄まじい戦火に紛れて敵の懐深くへ近づける可能性は十分に高くなる。問題は、人間の世界からの道が完全に閉ざされている以上、お前たちが一度『悪魔の世界側』の陣地をかいくぐって、そこから天使の国へと逆に渡らなければならないってことだがね」


 あまりに無茶苦茶で、一歩間違えれば一巻の終わりという危険極まりない地獄の手段だった。だが、最愛の弟・太奈都を救い出せるルートが目の前にあると知った雪兎は、恐怖をねじ伏せるようにいても立ってもいられず、前のめりに声を張り上げた。


「オーリさん、その境界門の強行突破はいつ実行されるんだ!? いったいどのタイミングで行けばいい!」


 無骨に真っ直ぐ食い下がる雪兎の鬼気迫る表情を見て、オーリは少しだけ目を丸くしたあと、やれやれとあきれたように両肩をすくめて静かに答えた。


「現在の緊迫した魔界の動向から冷静に推察するに、『終焉の境界門』がこじ開けられるのはおそらく、あと数か月以内のどこかだ。……だが、お前たちに一つだけ絶対に伝えておかなきゃならない、越えられない残酷な条件がある。その『終焉の境界門』を肉体ごと通過できるのは、本質的に『純粋な悪魔か天使の血を引く者』のどちらかだけだ。もし普通の人間がそのまま通ろうとすれば、ただの異界のすさまじい重力圧力に押し出され、元の人間の世界へと無残に弾き出されるのがオチなのさ」


 絶句し、その場で立ちすくむ雪兎に、オーリはおもむろに視線を向けた。雪兎は反射的に、恐怖を忘れて服の首元からあの『天律の聖石』のネックレスを引きずり出し、オーリの目の前に突きつける。オーリはその聖石の放つ神聖な輝きを確認すると、ちらりと園長の顔を見た。園長は無言で小さく、しかし力強く頷いてみせる。

 それを確認したオーリは、最後の、そして絶対的なハードルを告げるように冷たく言い放った。


「もう一つの条件だ。そもそも『終焉の境界門』をこじ開けるには、悪魔側の『第五席分』の門の解放枠が同時に必要になる。つまり、お前らがその門をくぐって敵地へ向かうときは、お前以外に最低でもあと四人の強力な仲間を揃えておかなければならないってことだ」


 それを聞いた雪兎は、あまりの途方もなさに思わず言葉を失い、その場に力なく立ち尽くした。

 天使や悪魔の知り合いなど、自分の人生にいるわけがない。その恐ろしい門とやらを開けるために、自分以外に四人の強力な協力者を探し出さなければならない――。

 あまりの絶望感が頭をもたげかけたその時、背後から園長のどこまでも頼もしい、明るい声が空気を切り裂くように飛んできた。


「なんだ、そんなことかい。人員集めなんて、この私に任せなさい!」


 はっと振り返る雪兎の視線の先で、園長は不敵かつ、この上なく頼もしい笑みを浮かべてみせた。


 ――心強い。その園長の圧倒的な一言が、凍りかけていた雪兎の胸のなかに、新たな熱い灯をともした。

 であれば、向かうまでの数か月の間に、自分にできることはないだろうか。雪兎は強く拳を握りしめ、来るべき決戦に向けて思考を激しく巡らせ始めた。


 その一方で、一連の重苦しい世界の命運を分ける会話のすべてを、背後で黙って聞いていた優妃は、複雑に入り交じって澱んだ感情を必死に押し隠すように、そっとうつむいたまま一言も発せずに黙り込んでいた。

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