折れない心
美緒は大きな揺れで目が覚めた。体が重く、指先に力が入らない。まぶたの裏がじんじんして、頭の奥で鈍く脈を打つような痛みが広がっている。暗い空間のどこかで、スマホを操作しているような音が聞こえた。画面を軽くなぞるような、乾いた小さな音。
「……次、曲がる」
低い声だった。どこかで聞いたことがあるような気がしたが思い出せない。美緒は体を起こそうとしたが、腕に力が入らなかった。目の前に布のようなものが触れている。視界が完全に塞がれていた。
口には粘着テープのようなものが貼られている。息がしづらい。胸の奥が、ゆっくりと上下した。鼻で呼吸するたびに、こもった空気が喉にまとわりつく。
近くで、短く息を吐く気配がした。誰かがそこにいる。でも、どれくらいの距離なのか分からない。暗さのせいなのか、意識のせいなのか、輪郭がつかめなかった。
「……着いたら連絡する」
さっきと同じ声だ。感情がまったく読めない。まるで、これが仕事のひとつでしかないような口調だった。揺れが大きくなり、体が横に流れた。肩が壁にぶつかり、鈍い痛みが走る。その揺れ方で、美緒はようやく“車の中”だと気がついた。どうやらどこかへ運ばれているようだった。
時間の感覚はない。ただ、振動だけが一定のリズムで続いていた。車が止まったような気配の後、スライドドアが開く音が聞こえた。冷たい空気がどっと押し寄せ、美緒の肌はひやりと震える。
「……降りろ」
体が引き上げられるようにして外へ出た。目隠しをされたままだが、明るさは感じる。まだ昼間のようだ。つま先が探した地面は、落ち葉を踏みしめるような感触がした。古いドアが軋む音が耳に届いた。
ーーかと思うと、湿った空気が流れてくるのを感じた。冷蔵庫のような、どこか閉じた匂いだ。
その中に押し込まれた美緒は乱暴に腕を掴まれ、口元の粘着テープを剥がされた。叫ぼうが何を言おうが、ここには自分たちしかいないという安心感が、彼らの中にあるのだろう。強者が弱者に見せつける時のような……黒い感情の渦が美緒の全身にまとわりついた。
「おまえが余計なことを知らなきゃ、こうはならなかったんだよ」
美緒の無言に苛立った男がプラスチックのゴミ箱を蹴り上げた。激しい音が美緒の耳を突き刺す。
「しらばっくれてんじゃねぇよ……。しかも、たかが路駐で、何度も通報しやがって! 」
身に覚えのないことを言われて、美緒は少し……いや、静かに…かつ、かなり腹を立てた。いや、それよりも、「お前は誰だ? 」と、聞きたい気持ちでいっぱいだった。
ふいに、腕を掴んでいた手が外れたかと思うと、すぐそばで何かが壁にぶつかったような振動が響いた。「すみません」を繰り返す言葉と、呆れたようなため息。
何事かと驚きつつも、美緒の脳裏でパズルがカチッとハマっていた。弱々しく謝る声が、ジムの入り口で客引きをしていた男だと分かったのだ。足元にタバコの吸い殻を何本も落としていて、そのだらしなさに嫌な気分になったのを覚えている。
そして思わず、口に出してしまった。
「……パーソナルジム”BeLLe”」
またもや深いため息が漏れるのが聞こえた。しくじった……と美緒はすぐに悔やんだ。彼らの顔を見ていないのだから、知らないふりをしていれば無事に帰れたかもしれないというのに。しかし美緒は後悔に押しつぶされるどころか、すっかり、開き直った。
「朝から晩まで、毎日毎日、禁止区域に車を止めてたんでしょ? そんなの通報されて当たり前。自業自得じゃない。ーーそれに聞いたよ。事業ごみを不法投棄したり、空き地を不法占拠してたって。直接、口に出してはいなかったかもしれないけど、怒ってるっていうのを聞いたよ」
「……ふかしてんじゃねーよ! 」
目隠しの向こうから、ドンと壁が鳴り、美緒が内心で軽蔑した男の荒い息が飛んだ。怖がらせて、黙らせようとしているのが透けて見えた。
「嘘じゃないよ。同じ町内会だもん。だから、あの辺は知り合いが多いの。この間も、集まりに参加したしね」
「べらべらうるせぇよ。佐伯さん、この女、しめ──」
「名前を呼ぶな! 」
鋭く割り込んだ低い声で空気が一瞬で冷えた。美緒の襟首をつかんだ手が、わずかに震えている。
「……す、すみません」
足音が近づいてきた。ゆっくりとした、迷いのない歩き方だ。床板が一度だけ低く鳴った。
「ここには、誰もいない。誰も来ない……。ーーしばらく大人しくしてろ」
読んでくださり、ありがとうございます。
美緒はついに、犯人たちの“中心”へと連れ込まれてしまいました。
しかし刑事の娘だからなのか、彼女は肝が据わっています。
私だったら、ビビりまくって泣いてますねw
美緒のメンタル、作者より強い説が濃厚です。




