途切れた線の続き
美緒のお気に入りだったがま口バッグは、道の駅のごみ箱の脇に落ちていた。
位置情報アプリの地図上で、スマートフォンの点がそこに止まっているのを見つけたとき、美緒は「これで警察が佐伯を逮捕できる」と思った。バッグごと持ち去ったはずだから、スマホの位置がそのまま佐伯の居場所になる——そう信じていた。
けれど、佐伯の姿どころか、黒のワンボックスカーすら見つからなかったらしい。美緒の中に、ぽつんと穴が開いたような感覚が残った。その穴の底で、別の影がゆっくりと広がる。
「……三浦さん、どこ行ったんだろ」
あの夜、山道で自分をかばってくれた三浦は、父が駆けつけたときも、確かにすぐそばにいた。それなのに、気づけば姿が消えていた。逃げる理由なんてないはずだというのに……。むしろ、あの場に残って事情を話すほうが自然だ。石田のおばあちゃんの死因は心筋梗塞だったのだから。
美緒はあの瞬間の三浦の顔を思い出した。桐谷に腕を掴まれた自分を見たときの、あの必死な目。そして、美緒の父が到着したときに見せた、どこか安堵したような表情。そのどれもが、“いなくなった”という事実と結びつかない。
気持ちがざわつく。何かを見落としている気がするのに、その“何か”が掴めない……。足元で小さな気配が動いた。美緒が視線を落とすと、愛犬ロミがくーんと鼻を鳴らしながら寄ってきた。首をかしげ、美緒の膝に前足をそっと乗せてくる。いつもおやつをねだるときの仕草なのに、今日はどこか違って見えた。
「……ロミ?」
ロミはもう一度、甘えたように鳴いて美緒の手を鼻先でつついた。まるで美緒を心配しているかのようだった。
「大丈夫だよ。ちょっと考えごとしてただけ」
そう言いながらロミの頭を撫でると、柔らかい毛並みの温かさが指先に伝わった。ロミは安心したように尻尾を振り、美緒の足元に丸く座り込んだ。思わず美緒をほころばせたがーー、脳裏の片隅に静かに沈む暗さだけは消えなかった。
「お、ロミ~。美緒おねえちゃんにヨシヨシしてもらって良かったでちゅね~」
「……お父さん、その喋り方恥ずかしいよ?」
「ん~? まぁいいじゃないか。ーーお~ヨチヨチ。ロミはかわいいでちゅね~」
ロミは嬉しそうに尻尾を振り、父の顔をぺろぺろ舐めていた。父はそれがたまらないらしく、頬を緩ませながら何度も撫でている。美緒はその光景を横目で見て、ため息をひとつ落とした。
「……ほんと、外ではやめてよね」
「ロミがかわいいのが悪いんだぞ」
父はまったく悪びれず、ロミの耳の後ろをかきながら満足そうに笑った。ロミはロミで、もっと撫でてほしいと言わんばかりに、ソファーに座る父の膝へ前足をかけ、そのまま乗り込んでいく。美緒は呆れつつも、少しだけ肩の力が抜けた。
「さてと……美緒、気分転換しようか。ショッピングなんかどうだ? 」
「仕事はいいの? 」
「今日は、非番なんだ」
父の言葉に押されるように、美緒は久しぶりにショッピングモールに訪れた。人混みのざわめきが、少しだけ日常を思い出させてくれる。
「ちょっと待ってろ、美緒。アイス買ってくる」
「私、スパイシーバニラね! 」
「わかった、まかせとけ」
父は軽く手を振ると、 最近人気のアイスクリームカフェのほうへ歩いていった。美緒はベンチに腰を下ろし、深く息をついた。 人の流れがゆっくりと揺れている。 ショッピングモール特有のざわめきが、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。
——そのときだった。
視界の端で、グレーのスーツを着た男が歩いていくのが見えた。一見するとエリートサラリーマンのような装い。けれど、金髪と左耳の大きな銀のピアスだけは変わっていない。そのアンバランスさが、逆に目を引いた。
貼りついたような微笑も、あの夜と同じ……。佐伯が、そこにいた。
美緒の身体が自然に動いた。腕を伸ばし、佐伯の手首を掴む。反射のように、肩を入れる。佐伯の身体が浮き、床に叩きつけられた。
「……美緒? 」
驚いた父親の手から、アイスのカップが滑り落ちた。 床に当たって、鈍い音を立てる。周囲の人々がざわつき、空気がわずかに揺れた。父親から刑事に切り替わった白石直樹が声を張り上げる。
「動くな、佐伯!」
佐伯は路上でうめき声をあげながらも、逃走を試みたが、あっけなく刑事・白石にねじ伏せられた。
「お前には逮捕状が出てるんだ。神妙にお縄を頂戴しろ」
「ちくしょう、離せ!!」
ショッピングモールの敷地を出た先の道路には、黒いワンボックスカーがまた路肩に停まっていた。
エンジンは切られ、誰も乗っていない。ただそこに……“あの夜の続き”だけが置き去りにされているようだった。
本編はここで幕を下ろします。
美緒の中に残ったざわつきや、まだ語られていない想いは、
エピローグでそっと触れる予定です。
お付き合いくださり、ありがとうございました。




