戻って来た光
山道のカーブを抜けた瞬間、美緒は息を呑んだ。前方の細い道いっぱいに、白いワゴン車が斜めに停まっている。行き先を完全に塞いでいた。
その前に、男が3人。ジャージ姿の若い2人は見覚えがなかったが、黒髪をワックスで固めたスカジャン男は桐谷だとすぐ分かった。桐谷は片手にスマホ、もう片方はポケットに突っ込んだまま。まるで散歩の途中で立ち止まっただけ、という軽い姿勢でこちらを見ている。
「……嘘だろ」
ハンドルを握る三浦の声が震えた。三浦が車を止めると、桐谷はゆっくりと顔を上げ、フロントガラス越しに2人を見た。笑っているのか、無表情なのか判別できない薄い目つき。
次の瞬間、桐谷はドアに手をかけた。軽いノックのような音が響く。
「開けて。三浦くん」
その声は、怒鳴り声でも脅しでもない。ただの“いつもの桐谷”の声だった。
「探したよ」
ドアが乱暴に開かれ、外の冷たい空気が流れ込む。桐谷は三浦を指さした。
「なあ三浦。石田のばあさんの金、持ってんだろ。返せよ」
軽い声だった。怒鳴りもしない。ただ“当然のことを言っている”という調子。三浦の喉がひゅっと鳴る。
「ち、違う……俺は……」
言葉が続かない。桐谷の視線が、美緒へと滑る。
「じゃあ、こっちの子に聞いてみようかな」
美緒が言葉を発する前に、桐谷の手が伸びた。ワンピースの袖をつかまれ、ぐっと彼のほうへ引き寄せられる。
「三浦とグルなんだろ? 金、どこやった? 」
美緒の身体がバランスを崩し、車の外へ半分引きずり出される。三浦が慌てて手を伸ばすが、男2人の腕に阻まれた。
そのときだった。
山道の奥から、ゆっくり、ためらいもなく、黒いワンボックスカーが、木々の影から姿を現した。ヘッドライトが2人を照らし、桐谷の手が自然と美緒の肩を押さえつける。
車は目の前で止まり、静寂を切り裂くようにスライドドアがゆっくりと開き始めた。金属が擦れる、乾いた音。逃げ道が閉じていく音。美緒の背筋に、冷たいものが走る。
微笑をたたえながら、佐伯が片足を地面に降ろした。だがその瞬間ーー。山の静けさを切り裂くように、遠くからサイレンが響いた。1度ではない。2度、3度と重なるように近づいてくる。
「……チッ」
佐伯は低く舌打ちすると、足を引っ込め、スライドドアを乱暴に閉めた。黒いワンボックスカーがエンジンを唸らせ、砂利を跳ね上げながらバックで方向転換する。
「佐伯さん、待っーー! 」
車は振り返りもせず山道の奥へ消えていった。取り残された桐谷は、美緒の腕をさらに強く掴む。
「くっそ……。おい女、こっちにーー」
言い終わる前に、美緒の身体がふっと沈んだ。桐谷の視界がぐらりと揺れる。次の瞬間、美緒の肩が桐谷の胸元に入り込み、彼の身体が宙に浮いた。
「──っ! 」
背負投げ。
地面に叩きつけられた衝撃が、乾いた音となって山道に響く。桐谷の息が一瞬止まり、身体が動かなくなる。美緒はすぐに距離を取り、構えを解かないまま振り返った。
「三浦さん、走って! 」
三浦は呆然としたまま、美緒の声に押されるように足を動かした。サイレンの音が一気に近づき、山道のカーブを赤い光が照らした。シルバーのセダンが砂利を巻き上げて停まる。運転席のドアが勢いよく開き、黒いコートを着た男が飛び出してきた。
「……美緒! 」
父だった。霞ヶ丘警察署の捜査一課の刑事・白石直樹。美緒の胸が一気に熱くなる。足が勝手に動き、父のほうへ駆け寄った。直樹は美緒を抱き寄せ、震えを確かめるように背中に手を回した。
「美緒、よく頑張った」
「うん、大丈夫。刑事の娘だもん」
「そうだったな」
「それに、将来はお父さんみたいな刑事になるんだから。こういうの慣れないとね」
「おいおい……」
「……お母さんのペンダントに、また助けられたね」
「わざと、さらわれたんじゃないよな? 」
「そんなわけ……。どうだろ? 」
無邪気に笑う美緒だが、幼い頃から何らかの事件に巻き込まれやすかった。心配した母親はスマートタグのペンダント渡すほどだ。美緒は母の形見でもあり、大事なおまもりであるそれを、そっと触れた。
桐谷は抵抗することなく、手錠をかけられていた。先ほどの勢いはなく、意気消沈したように項垂れている。その向こうで、白いワゴン車に乗り込んで逃げようとしていた2人の若い男は警察官に囲まれていた。あっという間の逮捕劇だった。
ふと、美緒は違和感を覚えた。自分を助けてくれた三浦がどこにもいない。
「……三浦さん? 」
呼んだ声は、赤い光が揺れる闇夜に吸い込まれていった。彼は確かに、ここにいたはずなのに。その姿は、跡形もなく消えていたーー。
緊張の続く展開でしたが、美緒が無事に救出されて、ようやく少しだけ息がつける章になりました。背負投げを決めた美緒自身も、ほんのわずかにスッとしたと思います。




