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54.クロブサ案件

*****


 シャル兄に南青山に呼び出された、場所はジャズを聴かせるにあたっては日本で最も有名かもしれへんとこ――や。


 演奏の最中に入店するなんて論外やろおもて、せやさかい、早めに行動した。

 シャル兄は「感心だな」って褒めてくれた。


 オレがシャル兄の向かいの席につくと、オレの斜向かいには黒スーツのおっさんが座った。

 ホンマにおっさんや、茶色いスーツに洒落っ気のないメガネ、口ひげ、たくわえてやる。


 トリオの演奏が始まって、せやけど用件があるなら早いところ聞きたいもんやさかい、その旨、おっさんに告げた。

 おっさんの声もオレの声も、でもってシャル兄の声も、セッションの邪魔にならへん程度によう通った。


「海軍の、背広組のお偉いさん?」オレはサラダ――輪切りのラディッシュを口に放り込んだ、ぽりぽり。「それが事実やとして、兄貴はなんでそないな人物と知り合いなんな?」

「その質問は無意味だ。すでに知り合いなんだからな」

「せやったら――」

「ひょんなことから懇意にさせてもらっている。彼の名はクロブサという」


 クロブサ?

 きっと珍しい苗字やよな、どういう漢字書くんかなんて見当もつかへんわ。


 そのクロブサ氏が、懐からケースを出して、銀色の小さなそれの中身は名刺やったらしく、それをオレに手渡してくれた。オレはそれなりに空気くらいは読めるもんやさかい、目を落としたところですぐに返そうとした。そったら、「いいえ、お収めいただいて結構ですよ」と返ってきた。なんや大人物のような感じを覚えたもんや。クロブサ――漢字はわこたけど、クロブサでええわ、識別子なんてその名のとおり、判別さえつけばええ。


「で、えっらいえっらいクロブサさんが、オレになんの用なんですかぁ?」


 多少無礼な口利いてる自覚はあったんやけど、誰もなあんも言わへんかった。


「言えないことがあってね。それを口にしようと思う」


 クロブサ氏の言い分はなんとも矛盾してる。


 言えないことやのに口にする?

 どういうこっちゃ?


「オフレコもオフレコなんだが、我が軍の、位で言えば少尉が逃亡していてね」

「少尉? 逃亡?」それだけやとなんのこっちゃわからへんさかい、「クロブサさん、いったいどういうことやねんな?」って訊ねた。


「女性隊員を組み伏せた挙句、逃げたんだ。その後、彼と思しき人物は組み伏せることを繰り返している」

「組み伏せるって二回言いましたね。要はそれって――」

「ご想像にお任せするよ」

「ふぅん」


 しょうもないことやとおもたし、許せへんことやなとも思った。


 せやけど――。


「クロブサさんはなんのつもりでそないなこと、オレに打ち明けたんですか? オフレコやとか言うといて、なんのつもりです?」

「警察と連携して探しているわけだが、大田区界隈に逃げ込んだという情報があってね」


 オレは目ぇ丸くした。


「逃げ込んだっちゅうたかて、おいおいおい、オレにも捜査に加われとでも?」

「まさか」クロブサ氏の笑みは穏やかなもんやった。「ただ、きみの兄上からきみが優秀だと聞かされたわけだ。まあ、そうでなくとも何か土産話くらいは持ってくるつもりだったが」


 オレはシャル兄のほうを見た。

 シャル兄は優雅に赤ワインを口にした。


「しかし、そもそもだよ、イクミくん、たかが高校生に私が何か依頼しようとすると思うかね?」

「思いませんよ。いくら土産話やいうたかて、その判断が常軌を逸してるように聞こえるさかい、ツッコミ入れたったんですよ」

「なるほど、兄上がおっしゃるとおり、きみは賢い、優秀だ」

「なんや嬉しくないですね」オレはそっぽ向いたった。


「だが、それでも一つくらい言えることはあるんだよ」

「それはなんやろ、クロブサさん?」

「きみはモテるだろう? だったら大切な女性の一人や二人はいるはずだ」

「ああ、なるなる。そういう観点で言うと――」

「私は親切だろう?」


 せやからっちゅうたかて、路地裏にでも入らんかったらだいじょうぶやろう?

 ――って、オレは訊いた。


「そのとおりだ。くだんの男の名はオオシマというんだが」

「ほうほぅ、オオシマさんね」

「ああ、オオシマだ、奴さんの犯行はじつに大胆だが、実際のところは慎重――というか几帳面な性格らしい」

「そのへんはまあええんですけど、軍人やってのが厄介やなぁ。どうせめっちゃ力強いんでしょう?」

「ゆえに、追っているんだ」クロブサ氏は小さく肩をすくめてみせた。「目撃証言――のような報せが得られた蒲田近辺は物々しくなる。しかし誰も怖がらせたくはないんだよ。わからないかな、イクミくん、きみには」


 納得がいく話ではあるな。

 せやけどこれ以上聞かされたところでどうしようもない、うっちゃっとくべきやろう。


「これは周辺地域に住まうすべてのヒトに申し上げたいことなんだが、とにかく注意してもらいたいんだよ。何か起きてからでは遅いからね」

「そうおっしゃるくらいなら、事を公開されてはいかがでしょう?」

「大事にも公にもしたくないんだよ」

「せやいうたかて――」

「何事も穏便に済ませるのが大人なんだ」


 ようわからん理屈のように思えたんやけど、なんとなく理解できるような気もした。


 となると――。


「犯人は一人なんですね?」

「ああ。すべての痕跡が単独犯であることを示している」

「助かりましたよ、教えてもろて、ちょい気に食わん部分もありますけど」オレは慇懃に礼を言うた。「とりあえず、身の回りには気を配ることにします。あいにくニンゲン一人のキャパなんて知れてるさかい、オレはまずは知り合いさえ守れれば御の字なんですよ」


 周辺住民――中でも男だが、彼らがきみのような心づもりでいてくれればいいんだよ。

 ――言うと、クロブサ氏は「だったら事を速やかに公表しろという話に舞い戻ってしまうんだが」――明らかに苦笑した。


 なおもトリオの演奏が流れてる。



*****


 その日の夕方、空模様が優れへん放課後ぉ。

 アキラっちをはじめ、さっちんとみゆきちとを我が家に招いたんや。


 四人してクッションフロアに座ってて、ババ抜きで一抜けしたオレは二番に三番の胸をいじくり回すように命令した。

 そんなこんなで、今、さっちんがアキラっちのバインバインを後ろから揉みしだいてる。


 目も口元もぎゅっと閉じて辱めに耐えるアキラっちのなんて健気なことやろうか。

 ふへへへへとか妖しげに笑みつつ行為を続けるさっちんはエロいの一言。

 非常にええ場面やさかい、容赦なく写メったった。

 当然、アキラっちは顔真っ赤にして怒りやった。


 そのうちリミットの三十秒が経過して、アキラっちは解放された。

 恨めしそうにオレんこと見てきやる。

 そない怒んなやよ、アキラっち。

 お約束の罰ゲームやろう?


「おしまいや」オレは放り投げるように言うた。

「ま、待てよ。あたしを負け犬のままにするつもりか?」とかアキラっち。

「たぶん、ババ抜きやったら、アキラっちは一生負け続けんぞ?」

「ばばばっ、馬鹿言え。今のはたまたまに決まってる!」

「ぶっちゃけ、勝てる気すんのか? 俺ら三人に」

「そそっ、それは……」


 オレはわろて、「ほなやめとけや」――。

 アキラっちは「ぐぬぬぬぬっ」とか唸りつつ、せやけど諦めてくれた。


 オレは腰上げて、端によけてあった折り畳み式の黒いちゃぶ台を部屋の真ん中に置いた、それを四人で囲むような格好になる。


 アキラっちの制服はパンツスタイルやけど、さっちんとみゆきちのスカートはかなり短い。


 オレが腰落ち着けたところで「冷蔵庫はからっぽ?」ってさっちんが訊いてきたさかい「いろいろ入ってる」って答えたところ、さっちんは立ち上がった。裾から黒い下着が容赦なく見えた。ほとんどデフォで見えるんやさかい、こっちのほうがなんや申し訳なくなってくる。できればもうちょい自衛してもらいたいなぁ。


 さっちんがいろんな飲み物を両手で抱いて戻ってきた。

 五本も六本も持ってやる、「好きなの飲むといいよ」――いや、それはオレのセリフなんやけど。


 オレは早速、身体に悪いに違いないエナジードリンクをぐびぐび。


「ひゃー、そんなの飲むとムラムラするでしょーっ」とかさっちん。

「きゃーっ、早く逃げなきゃだよぅ」とか言うみゆきちはぺちゃんと膝崩したまま。


 アキラっちはというと、「ふ、ふんだっ、この性欲の化物め」とか罵ってくれたんや。


 ま、ええわ、何がええんやかわからへんけど。


 とりあえず、本題に移ろうやないか。


 かくかくしかじか。

 ――って、オレはつい先日知り得た情報を三人に展開した。


「そりゃ危なっかしいね」と、さっちん。「変態軍人とか、気色悪いじゃん?」

「そうだねぇ」とは、みゆきち。「ヤられちゃわないようにしないと、キャハッ」


 さっちんもみゆきちも、いまいち真剣さに欠ける、危機感が足りへんとも言える。


「そ、その話がほんとうだとするなら、どう考えたってヤバいじゃんか」相も変わらずどもりやるアキラっち。「しかも近所にいるっていうんだろ?」

「まあそうらしいんやけどさ、少なくとも、今んとこはなあんもしてへんのんちゃうかな、って」

「なんでそんなことが言えるんだ?」

「頻発してたら、いくらなんでもマスコミが嗅ぎつけるやろ?」

「あっ、確かにそうだな」ってアキラっちは続けて。「おまえがしょうもない嘘つくわけないし、だったらそれはほんとうなんだろうけど、って言ったって、どこでそんな情報、仕入れたんだよ?」


 オレはどないしよかなぁって幾分考えてから、まあええかおもて、これまたかくかくしかじか、話したった。


「今風に言うと、それって海軍の大将じゃない」さっちんは「どへっ」て両手を上げるとびっくりしたようにのけぞって。「聞いたよ? 最近。一佐二佐三佐とかってやめるんでしょ? まあ、大佐中佐少佐のほうがカッコいいんだけど。そのへんは良しとしようか」


 そうしてもらえると――オレはそない言うて、ぺこって頭ぁ下げたんや。


「でもさ、それってほんとうなの? イクミくんふうに言うと、ホンマなん?」

「疑う余地はないっておもたよ。めっちゃ雰囲気のあるヒトやったし、そうでなくたって兄貴が連れてきたんやし」

「だったらまあ、疑問視はできないか」さっちんは言う。「それでもさ、シャル兄はどこでそんなのと知り合ったんだろうね」


 さっちんかてシャル兄呼ぶ、ちなみにみゆきちかてや。


「兄貴は大人物やさかい、奴さんを知ったが最後、なんやかんやで頼りにされる思うんやわ」

「異議の唱えようがないね」さっちんは「はっはっは」と鷹揚にわろた。「みゆきちは? そんなんでいい?」

「私はイクミくん信者だから、イクミくんが言ってるなら疑わないよぅ」


 キャハッてわろたみゆきちと抱き合ったさっちんである。


 もはやアキラっちも難しい顔はしてへん。


「あたしたちはこうして知識を得たわけだけど、だいじょうぶなのかな、この界隈のヒトたち――女のヒトたちは」

「オレの考え、ほざいてもええ?」

「い、言ってみろよ」

「オレからすれば、とりあえず身内さえ守れればええ」

「それってさっちんとかみゆきちとか……それに、あたしはってことか?」

「悪いかね?」

「悪くない。悪くはない。でも、さ、なんだかそれじゃあさ……」


 つくづくアキラっちは優しい女のコやさかい、いろいろ迷って、挙句、困ってまうんや。


「さっちんは? まだ恋人さんとは元気か? みゆきちについても問い質したいな」


 オレの問いを受けて、さっちんとみゆきちは顔を見合わせた。


 何を偉そうに。


 くらいは言われてもおかしないおもててんけど、二人とも、「だいじょぶ」とか言うて右手の親指立ててみせやった。


「ほなら、二人のことはカレシに任せるとして――」

「安心しなよ、イクミくん」さっちんが言う。「いざとなったら彼のことをデコイにして逃げるから」


 なんとも酷い言い草やけど、それくらいの大胆さがあったほうが嬉しい。

 犠牲になるんはいつやかて男でええんや。


「でもさ、そもそもなんだけどさ」さっちんが続ける。「ぜんぶぜんぶ、嘘だっていう可能性はないのかな?」

「オレの兄貴が一枚噛んでるっちゅうことで、ご納得いただけませんかぁ?」

「よし、わかった。納得してやろう」

「恐れ入ります」


 心配だなぁ、あたしは心配だぞ。

 ――とか、アキラっちは言い。


「言いたいことはわかるけど、かわいい女のコのことはテメーで守れって話やよ。それって原初からのコトワリやったはずや」

「難しいこと言うなよ。そうだとは思うけど、ニンゲン、どうしたって自分のことがかわいいもんだろ?」

「そうやない男もいるってことやよ、確実に、な」


 さあ、送ったるぞ、二人とも。


 オレがそない言うて立ち上がるとさっちんは「任せるからね」と腰上げて、みゆきちに至っては「お願いしまーす」とか笑いやった。



*****


 夕方、その日もガッコからの帰り。

 JR蒲田駅よりか京急の雑色駅のが近い。


 アキラっちと並んで歩いてる。


「なんだよ。なあんもねーじゃんかよ」放り投げるような口調やけど、少々不服そうに、つまんなさそうに。「イクミ、ホントかよ、海軍のお偉いさんはほんとうに警告出してくれたのかよ」


 お偉いさんっちゅうか、海軍のトップなんやけどな。


「せやから、くだんのおっさんが嘘抜かす理由なんてないやろ?」

「まあそうなんだけどさ」アキラっちはどことなく暗い顔しやって。「あたし、思ったんだよ」

「何をや?」

「実際は事がたくさん起こってて、なのに一般的な電波にはのせられないでいるんじゃないか、って」


 アキラっち、ときどき鋭いこと言うてくれるな。


「たとえばや、具体的には何が言いたいんさ?」

「簡単だ。報道したいのに、その海将か? 奴さんから強い強いストップがかかってるんだ」

「そうなんかなぁ」

「いや、難しい話はよくわかんないんだけど……」

「いやたぶん、おまえは正しい」

「だったら――」

「それがわかってても、カッコたる報せがないんやよ。それが得られてたら、ソッコーで捕まってるやろ?」


 まあそうだよな。

 アキラっちは納得がいったようにそない答えて。


「むしゃくしゃするんだ、正直」

「ってぇと?」

「おっ、女をだ、せせっ、性の食い物にしてるんだ。女からすれば許せないんだ」


 そりゃそのとおりやわな。


 そのときやった。


 背中に――ちょい離れた背後やけど、妙に気持ち悪い気配に晒された。


 咄嗟に振り向く。


 いきなり襲ってくるとか、そないなことはなかったんやけど。


 まとってる紫色のオーラが、奴さんが只者やないってことをひしひしと感じさせてくれた。


 若い男や。

 オオシマ少尉やっけか。


 ガタイはそないデカくない。

 せやけどゴツいんや、分厚い身体、アホみたいに筋肉質、そう簡単にはくだせへんやろう。


 なにせ、危なっかしいし、オレかて腕力には自信あるほうやけど、敵わん気がしてならへん。


 ヤバいな。

 ホンマ、ちょい勝てへんぞ。


「わわっ、わかったぞ、さすがにあたしでもわかったぞ! アイツが連続強姦魔なんだな?!」


 オレはアキラっちの左肩を右手で掴んで、速やかに後ろに下がってもろた。


「ななっ、なんだよ、イクミ。あたしはべつにビビッてなんか――」

「強がる場面やないようや。すぐに逃げろ。今すぐに、や」

「そ、そんなにヤバいのか?」言いやると、アキラっちは泣きだしそうな声出しやった。


 そないなふうにウダウダやってるうちに、奴さんは駆け足――突っ込んできて。


 ただのショルダータックルや。

 せやけどオレは派手にぶっ飛ばされてしもた。


 奴さんの魔の手と言っていい右手がアキラっちに迫る。


 それはさせるか、それだけはさせるか。


 奴さんの足にしがみついて、「逃げろ、アキラ!!」って吠えるように言うた。


 がんがん上から頭蹴られた、強い力、あっという間に気ぃ失いそうになる。

 せやけど、ここが踏ん張りどころや。

 寝てまうわけにはいかへんねや。


 なんとか顔上げたところであらためて、「逃げてくれ! アキラっち!!」って叫んだ。


 頭のてっぺんからの流血で、目の前が真っ赤に染まる。


 せやけど次の瞬間、視界に映ったニンゲンを見て、オレはあっという間に安堵した。


 兄貴や、恐るべきかつ誇るべき、オレの自慢のシャル兄や。


 アキラっちはシャル兄の後ろの隠れやった。


 グレーのスーツ姿のシャル兄は、両手に黒い革手袋をはめやる。


「ちょうど良かったよ、ああ、ちょうど良かった。まさに重畳だ」


 筋肉ダルマの、きっとオオシマさんであろう男が、低い体勢でシャル兄に突っかかった。


 オオシマさんが低空タックルで組みつこうとした刹那、「ゴッッッ!!」っちゅう鈍い音が暗い大田区全域に響き渡った。


 シャル兄がオオシマさんの顎にメチャクチャ強烈な膝を下からズゴン食らわしたんや。


 オオシマさんは膝から崩れ落ちた。

 それでも意識を保って兄貴に突っかかろうとする点はさすがとしか言いようがない。


 せやけど兄貴は鬼やから。

 鬼のように強くて、容赦ないさかいな。


 シャル兄はオオシマさんの脳天にガンガンガンガン左右の肘を落としやる。

 当然、オオシマさんはそのうち気ぃ失いやった、無理もない話でしかないわな。


 兄貴は「最強」なんやさかい。


 気ぃ失う段にあって、アキラっちの声が聞こえた、それはもう、特段、強く。


 イクミぃ!

 イクミぃっ!!


 安心して、オレは目ぇ、閉じたんや。



*****


 オレは目ぇ覚ました。

 いろいろさまざま頭ん中を整理したうえで、「何日寝てたんやろうか?」とか考えた。


 そったら、まるでそないなオレの考えを見透かしたような言葉、シャル兄の声で「だいじょうぶだ。たった一日だよ」――。


 オレの覚醒を察知したらしいアキラっちがオレの視野におさまった。

 ぼやけ加減でも悲しんでなんぼやおもたんやけど意外や意外、笑顔なんや。

 それもこれも「シャル兄がまったくもって問題ないって言ってくれたからな」っちゅうことらしい。


「どうなったんや? 結局」首筋に違和感あるし――ちゅうか、全身に痛みが響きやる。

「べつに、問題ない」シャル兄はオレのすぐそばにおる。「だが、まさかこうなるとは思ってなかった。悪かったな」


 悪かったな?

 兄貴ほど反省の言葉が似合わん男もおらへんねんけど。


 兄貴は無事。

 なによりアキラっちが無事。


 せやったら、文句のつけようがない。


「オオシマさんは捕まったんかいな?」

「俺がぶっ壊したのが奴さんだ」

「そうやろうとはおもたんやけど」

「思いの外、早く片付いたことを喜んでいる人物がいる」

「クロブサさんやろ? それくらいわかるわいさ」


 彼が今度、俺とおまえを夕食に誘いたいと言っていた、恐らく、この国で最も高価なディナーだ。

 そんな兄貴の発言に対して、オレはこてんと首を前に傾けて、「要らんわ」って言い切った。


「そう言うな。相手はこの国の海軍のトップなんだぞ?」

「せやったら訊くけどな兄貴、そいつは確かに偉い奴なんやろうけど、せやいうたかて、そないな奴とつるんでなんになるねんな?」


 まったく、痛いところを突いてくる。

 そない言うてから、兄貴は「だが、権力者とは仲良くあったところで損はないんだよ」――。


 それはわかる。

 わかるんやけど。


「兄貴はいったい、何になりたいんな?」

「希望なんてないさ。俺は俺の周囲のニンゲンだけを幸せにできればそれでいい」


 兄貴は偉い、めっちゃ真面目や。

 せやけど高尚さがすぎるから、誰とも愛し合えへん気がするんや。


 兄貴は微笑んでみせやった。


「やめろよ、我が弟。おまえみたいなクソガキに身を案じられるほど、俺は軟弱じゃあない」

「そんなん心配してへんよ。せやけど、オレは兄貴の幸せがどこにあるんかなって――」

「余計なお世話だと言っている。おまえが幸せであれば俺はそれでかまわない」


 シャル兄は腰を上げると、立ち去った。

 背中を向けて、右手を「バイバイ」と振りながら立ち去った。


「アキラっちぃ、アキラっち―っ」オレはそないなふうに彼女のことを呼んだ。


 キッチンにいたらしいアキラっちは、ぱたぱた駆けてオレんとこまで来てくれた。


 腰を屈めて、オレん顔、覗き込んできやった。


 でもって、アキラっちはオレの額に右手の甲を当てやったんや。


「おまえは平気なつもりなんだろうけど、はたから見てたらメチャクチャ顔色、悪いんだぞ?」

「おやまぁ、心配してくれてるん?」

「そそっ、そんなの当たり前に決まってるだろ!」


 オレは極力優しく微笑して――。


「今回はミスったわぁ。オレはなーんもできへんかった。兄貴におんぶにだっこやった」

「そりゃ仕方ないだろ? あの、オオシマだったか? やっぱアイツ、ハンパなかったんじゃんかよ」

「兄貴がおらへんかったら、オレはおまえんこと、守りきれへんかったんやぞ?」

「だだっ、だいじょうぶだよ。あたしならとうのとっくに逃げきってたよ」


 オレは自分の情けなさに泣きたくなった。


「女一人守れへんで、何が男なんやろうな」

「イクミ、おまえは女のこと、舐めすぎだぞ?」

「ああん?」

「あたしだって一個のニンゲンなんだ。そのときそのときの判断は自分でする。おまえに強制されることじゃないんだ」


 ダルっておもた。

 誰がダルいって、そりゃオレがや。


「おまえががんばってくれたからシャル兄が間に合ったんだし、おまえががんばったからあたしは今無事なんだ。勘違いするなよ、おまえは偉いんだぞ?」


 オレはアキラっちに礼を言うた。

 何度も何度も、礼を言うた。


 アキラっちは泣きそうな顔して、実際、涙流しながら、嬉しそうに、笑ってみせた。



*****


 シャル兄――兄貴との朝方の電話。

 オレが兄貴のアラーム代わりに鳴らしたったんや。


「聞かせろや、オオシマはどないなってんな? 聞かさへんと怒ったんぞ」

『怒られてもいっこうにかまわないが、おまえの胸の内を慮って、きちっと教えてやろう』

「ああ、頼むわ」

『オオシマは死んだ、消されたと言うのが正しいな」

「なるほー」オレは軽い調子で返した。「自衛隊の醜聞なんてなかったことになったわけや」

『それは悪いことかね、弟よ』

「そうは言わへんよ。そうであるはずがないんやさかい」


 シャル兄は「このたびは軍の報道管制の凄味を見た。我が国はしばらく安泰であるようだ」とか言いやった。


「そんなんどうやかてええんやけどさ」

『言いたいことはわかるさ。たかが日高の牧場のこせがれが何を――とかいう話だろう?』

「せやさかい、そんなん言わへんってば。そもそも今回の件については感謝してもしきれへんねんし」

『だったら黙っていろ。何かめぼしい成果が得られた折にはきちんと連絡してやる』

「めぼしい成果?」

『話題はなんであれ、おまえが望むような内容であれば幸甚だな』


 ブチっと、向こうから通話は途切れた。


 返す刀みたにしてピッポッパ、アキラっちに連絡入れた。


『迎えに来るか? 迎えに行ってやろうか?』


 迎えに行きます言うたったら、アキラっちは機嫌良さげに「頼むよ」言うた。


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