受け継がれていくもの
雪が診察を終えて廊下に出ると、部屋の前で本を読んでいるユーリの姿があった。
あまりに熱中しているのか、雪がいることにまるで気づいていない。
ユーリはもう年頃になりつつあるのに、いつまでたってもロマンス小説に夢中で空想を膨らませてばかりいる。
その姿はどこか昔の自分を思わせたし、読んでいるものが恋愛ものばかりなところは、母の面影を感じさせた。
いま開かれている本のタイトルは――『王宮の恋人たち ~愛の賛歌~』。
雪にはタイトルを見ただけで遠慮したくなるような一冊だった。
「こら、こんなところでいつまで読んでるの」
声をかけると、ユーリは肩をびくりと揺らした。
「ママ……おばあちゃまの診察は終わったの?」
どうやらユーリはエマの手が空くのを待っていたらしい。
「そう、ちょうどね」
「よかった! おばあちゃまと約束してるの。これからこの本の感想を言い合うんだよ」
そういいながら、ユーリは嬉しそうに顔を綻ばせた。
ユーリは、すっかり“おばあちゃん子”になってしまった。
もっとも、エマは「おばあちゃん」という年齢ではない。しかし本人が望むので、ユーリも素直にそう呼んでいた。
二人は趣味が合うらしく、しばしばロマンチックなおとぎ話に花を咲かせているらしい。
二人が打ち解けている様子は、雪にとっても微笑ましい光景だった。
「それは良いけど、もうすぐ淑女マナーのレッスンじゃなかった?」
雪の問いかけに、ユーリは気まずそうに目を逸らす。
「えーと…… そうなんだけど」
「夢なんでしょ、貴族令嬢として華やかな場に出るのが」
「うぅー……」
伯爵家に籍を置いてから、ユーリは意欲的にレッスンを始めたものの、ローラの厳しい指導に音を上げていた。いまでは逃げ腰になってしまっている。
「もっと楽しい世界だと思ったんだもん」
「地味な努力が下地になきゃ、夢なんて叶わないわよ。ママだって本を山ほど読んで勉強したんだから。ユーリもほら、頑張れ!」
そう言って雪が背中をぽんと叩くと、ユーリは唇を尖らせ、それから観念したように笑った。
「うん、そうだね! おばあちゃまみたいに、お淑やかで凛としたレディーになる!」
「あはは、その意気よ!」
二人は顔を見合わせ、朗らかに笑い合う。
やがてユーリは、エマの部屋には寄らずにレッスン室へ駆けていった。
その後ろ姿を見送りながら、雪は廊下に飾られたいくつもの肖像画を眺めた。
ユーリの愛らしい笑顔の肖像画。
雪と母の二人の肖像画。
両親だけのもの。
テオも加わった、家族の一枚も。
その中には、百合子として生きていた母が描かれたものまである。
こんな絵を大事に飾っている父に、雪は思わず苦笑した。
父は、雪が想像していた人物とは少し違った。
母は「何もかも完璧な王子様」みたいに言っていたけど、どうやらそれは、父が母の前でだけ格好つけている姿のようだった。
雪から見た父は、母がいないと何もできない人。
毎日母にくっついて、しつこいほど口説いてばかりいる。
それを母は、幸せそうに受け入れていた。
――割れ鍋に綴じ蓋
まさにそんな夫婦だった。
母の病状は安定している。今は定期検診だけ。
この世界にきた当初は、不安で泣きだしたいこともあった。でも今は、母を救うために呼ばれたのだとさえ感じる。
伯爵家の事業として始まった製薬は、ようやく軌道に乗り始めた。
まだまだ課題は山積みだけど、この世界で夢を叶えるために、私は頑張っていきたい。
人を癒すことは、簡単じゃない。
でも、それが成せたときの喜びは何ものにも代えがたい。
私はこの世界で、私らしく、生きていく。




