希望
──雪は、清一さんによく似ていた。
艶やかな黒髪も、澄んだ瞳も、すらりとした背丈も。
少し低めの声すらも、彼を思い起こさせる。
雪に最後に会ったのは、あの子が海外へ旅立つ日の朝だった。
まだ肌寒さの残る頃、二十五歳になった雪は、せわしなく荷造りを進めていた。
百合子はその姿を心配そうに眺めながら、声を掛けた。
「やっぱり、心配でたまらないわ。着いたら必ず連絡を頂戴ね」
荷造りの手を止めないまま、雪は苦笑する。
「はいはい、もう聞き飽きたよ。お母さんは本当に心配性なんだから」
「でも、海外なんて……何かあったときすぐに助けに行けないじゃない」
「大丈夫よ。そのために大使館があるんだから。ほら、あっち行ってて」
つれない口ぶりに、百合子は胸を締めつけられる思いで娘を見守る。
嬉しいはずなのに、不安が募って仕方がない。
雪はため息をつき、ようやく手を止めて母に向き直った。
「私の昔からの夢だったの。お母さんだって知ってるでしょ。このために必死に勉強して、医学部まで出たんだから。今さら止めないでよ」
「……わかってるわ。雪ちゃんは本当によく頑張ったし、ずっとお母さんの誇り。……でも、やっぱり寂しいのよ……」
涙目で訴える母を前に、雪は苦笑しながらそっと抱きしめた。
「大丈夫。心配しないで。私の力で、たくさんの人を癒してくるから」
背を撫でられ、百合子は涙をこらえつつも、娘を信じようと決めた。
その日、雪は青年海外協力隊として派遣されていった。
そして、ほどなくして連絡は途絶えた。
百合子は何度も問い合わせたが、消息は生涯分からないままだった。
──今になって雪のことばかり思い出すのは、体が弱っているせいかしら、とエマは思った。
こんな病気、雪ちゃんならきっと、すぐに治してしまうのでしょう?
あの子は人一倍努力して、人のために尽くすことを望んだ優しい子。
「困っている人を助けたい」って、口癖みたいに言っていたもの。
その願いのまま、必死に勉強して、人のために尽くす医者になった。
きっとどこかで、誰かを救い続けている。
雪ちゃんは、お母さんの、自慢の娘。
ねぇ、雪ちゃん。
お父さんが見つかったのよ。
お父さんはあなたによく似ているの。
……会わせてあげたかった。
熱に浮かされながら、エマは娘の名を繰り返し呟いていた。
*
その日、リーリエの医療者たちが揃ってセイルのもとを訪れた。
重苦しい空気が執務室に漂い、セイルはただ事ではないと直感する。
「……実は領の北の外れに、認可のない薬を扱う医者がおります」
年配の一人が、言いにくそうに口を開いた。
セイルは思わず眉をひそめる。
「その女は我々も見たことのない薬ばかりを扱っており……巷では“魔女”と呼ばれております」
「魔女……?」
不吉な響きに、場が一層張り詰める。
「どうして今になって、その話をする」
セイルの問いに、年配の医者は唇を震わせ、やがて意を決したように答えた。
「……伯爵夫人は、我々のような者にも頭を下げ『領主様を助けてほしい』と何度もお願いされました……夫人は、このリーリエ領になくてはならない方です」
老いた声は震えていた。
それでも、その瞳には一人の医者としての真実が宿っている。
「魔女の薬に保証はありません。正直、これは賭けです。ですが、我々にはもう、このまま容態が悪化するのを見ているほかなく……」
言葉は途切れ、沈黙が訪れる。
セイルの胸の奥には、かすかな光が差し込んでいた。
やれることが、まだある。
それだけで、絶望の淵にいた彼には十分過ぎる希望だった。
「会いに行く。今すぐに」
力強く言い放ち、外套を羽織る。
立ち上がるその姿に、医者たちは驚きと安堵の入り混じった表情を見せた。
「……言いにくい報告だっただろう。ありがとう」
セイルの静かな言葉に、年配の医者は目を見開いた。
そして、深く息を吐き、かすかに笑みを浮かべる。
「伯爵夫人の命に比べれば……はじめから医者のプライドなど、捨てるべきだったのです」
その声は、祈りにも似ていた。




