そのときは
喀血病。
血を吐くことでそう呼ばれる病。発熱と咳、そしてやがて呼吸を奪い、死へと至らせる。
セイルには、その症状に覚えがあった。
──“結核”。
彼がかつていた世界においても、それは不治の病として知られていた。
治療は主に、清らかな大気と、安静、栄養のある食事のみ。
効果のある薬は存在しなかった。
それに気付いたとき、セイルは思わず壁を叩きつけた。拳に鈍い痛みが走る。
無力な自分。無知な自分。
何もできず、ただ見ているだけの自分。
悔しくて、腹立たしくて――。
こうしている間にも、エマは苦しんでいる。
“治癒の力”“聖騎士”などと持ち上げられて……笑わせる。
大切な人ひとり救えないくせに、何が聖騎士か。
セイルは自分への怒りを抑えきれなかった。胸の奥に刃を突き立てられたような痛みを感じながら、それでも己を責めることしかできない。
エマが倒れた知らせは瞬く間に領内へ広まった。
リーリエ領は沈黙に包まれ、人々の顔には不安が影を落とす。
領民たちは次々と邸へ押しかけ、祈りと共に見舞いの品を届けた。治療に当たる医師や薬師たちへ寄付を惜しまず、誰もがエマの回復を願っていた。
──エマ、貴女はあっという間に人々の心を掴み、これほどまでに愛されている。
私ひとりでは、ここまで民の心をリーリエに寄り添わせることはできなかっただろう。
貴女が来てくれたから、私は救われた。
悲しみの渦からようやく抜け出すことができた。
ようやく、二人で生きていけるはずだった。
……もし、もしもこのまま貴女を失ったなら。
考えたくない。だが、どうしても浮かんでしまう。
そのとき私には、もう何も残らない。
きっと、生きてはいけない。
エマがいない世界を、どうして生きていくことができるだろう。
セイルは部屋の隅に忘れられていた短剣を手に取った。
一度は死を選ぼうとした。
そのとき止めてくれたのは、百合子さんだった。
そして不思議な巡り合わせの果てに、エマと出会った。
身勝手な解釈かもしれない。
だが、エマに会わせるために、あのとき百合子さんが私を引き留めてくれたのではないか――そう思えてならなかった。
『清一さんも、お願い、生きて』
実態の無い百合子が、セイルの耳元に張り付いて繰り返し囁く。
死を選ぼうとしたあの日、幾度も繰り返されたそれに、今の彼が心を動かすことはなかった。百合子の声は、ただの現象となっていた。
もしも、エマに何かあったら。
百合子さんにも、エマにも、置いていかれてしまったら。
そのときは。
セイルは静かに短剣を握りしめた。




