ルーベン曰く
セイルは庭園で、ぼんやりと冬の空を仰いでいた。
政務に行き詰まったときに無意識にしてしまう癖だが、今日ばかりは違う。心を占めているのは、エマの「過去」だった。
――かつて、親しく想う方がいた。
その言葉が、胸の奥で燻り続けている。
その男はどんな人物だろうか。
親しくとは、一体どこまで。
……どれほど彼女に触れたのか。
想像が膨らみ、抑えきれない熱が胸を焦がす。
セイルはその嫉妬を冷ますように、頬を刺す冬の風に身をさらした。
ふと視線の先で、老年の庭師がせっせと畑を手入れしているのが見える。
エマが公爵家から連れてきた庭師、ルーベンだった。
誰よりもエマの幼少期について詳しそうな男がいることに、セイルはそのときやっと気が付いた。穴が開くほど視線を向けていたせいか、ルーベンははっと顔をあげ、慌てて帽子を脱いで深々と頭を下げた。
「ルーベン、といっただろうか」
声をかけると、老人は小さく肩を震わせる。
「……はい。庭師のルーベンでございます、伯爵様」
「エマの畑を手入れしてくれていると聞いている。礼を言います」
セイルの思いがけない丁寧な言葉に、ルーベンは恐縮しながらも目を細めた。
「滅相もないことでございます。お嬢様……いえ、奥様の畑の世話は、昔から私にとって大切なお役目。これからも変わらずお任せくださいませ」
ルーベンの真摯な物言いに、セイルは胸が和らぎ、つい問いを重ねる。
「エマは……子どものころはどんな人でしたか」
「奥様の子ども時代ですか」
ルーベンは一瞬遠い空を仰ぎ、懐かしそうに微笑んだ。
「何事にも丁寧なお方でした。畑仕事も料理も、幼いころから自ら進んでなさって。夏は梅を漬け、冬には野菜を煮込んで、私どもにもよく分けてくださいました」
その光景は、セイルにとって容易に想像できるものだった。
季節の移ろいを慈しみ、細やかに暮らすエマの姿。思い浮かべるだけで、胸の奥が温かく満たされる。
「なんでも卒なくこなされる奥様ですが……そういえば、昔から”絵”だけは苦手なご様子でしたな」
「絵?」
セイルは目を瞬いた。
「欲しい種や植物をよく絵に描いて教えてくださるのですが……どうにも上手く描けないと、よく困った顔をしておられました」
ルーベンは思い出に笑みを浮かべた。
セイルもまた、その姿を想像して頬を緩める。小さなエマが真剣に筆をとり、首を傾げる姿。
――やっぱり、似ている。
百合子もまた、そうだった。
彼女はよく何でもないときに手紙をくれた。
たまに絵が添えられることもあったが、苦手なのだろうということがありありと解るものだった。
『これは、……馬と、猫?』
『……私と清一さんです』
確か、そんなやり取りがあった。
エマと百合子に、またしても共通点があった。
セイルはそのことに笑みをこぼした。
エマと百合子の共通点を見つけても、もはや心は痛まなかった。
二人の類似点を見つけて心が温かくなっている自分を、それでもいいと、受け入れてくれる人ができたから。
「……エマにはかつて親しくしていた男性がいたと聞いたが、あなたは何かご存じだろうか」
ついセイルは直球で聞いてしまう。
ルーベンは少し考える素振りを見せたあと――にこりと笑い、朗らかに答えた。
「奥様が一番親しくしていた男性は、私ですね!」
「…………」
老庭師の自信満々の言葉に、セイルは呆気にとられ、しばし言葉を失った。
ルーベンは「ほっほっほ」と快活に笑い、手にした鍬を軽く掲げてまた畑へ戻っていった。
庭に、冬の冷たい風と、妙に温かな笑いが残った。




