エマのお願い、セイルの悩み
マリアベルは当然のようにセイルを追い出し、悠々と貴賓室を陣取っていた。
エマの傍にぴたりと座り、まるで宝物でも眺めるように満面の笑みを浮かべている。背後には護衛の騎士たちが数名、きっちり控え、王太子妃を守りながらその様子を眺めていた。
「わざわざリーリエまでお越しくださらなくても……私の方から王宮へ伺いましたのに」
エマが申し訳なさそうに口を開くと、マリアベルは豪快に笑って肩を揺らした。
「いいのよ! ここしばらく視察続きで働き詰めだったんだもの。一日くらい妹に会いに出掛けたって、誰も文句なんて言わないわ」
そう言いながら、彼女は嬉しそうにエマの髪を撫でる。
「はぁ……それにしても、エマが結婚してから寂しくって仕方ないのよ。あの――エマお手製のぬか漬けが食べられないなんて! あの絶妙な香りと塩加減……王宮の料理人に作らせてみても、どうしても違うの。あの味じゃなきゃダメなのよ!」
幼い頃から台所に立ち、前世の好物を拵えていたエマ。その素朴で滋味深い味わいに最初に夢中になったのが、他ならぬマリアベルだった。
公爵家の長女にして王太子妃である彼女が、妹の漬け物をせがんで夢中になる――エマにとっては、まるで「おばあちゃん子の孫」を餌付けしているようで、どこか微笑ましい気分にさせられるものだった。
「ねぇ、レシピを教えてよ、エマ」
「ふふ。お姉様、レシピなんてありません」
頬を輝かせる姉に、エマはくすりと笑みを零す。
「ぬか漬けの美味しさは糠床で決まるのです。毎日しっかりかき混ぜて……あ、そうですわ。私の糠床から少し分けて差し上げましょう。きっと味がよくなります」
「え! いいの!? もうやだ……私の妹って、なんて優しいの~~~!!!」
マリアベルは歓声をあげ、勢いよくエマに頬ずりをした。その底抜けに明るい甘えっぷりに、エマは苦笑しながらも、温かな愛情を覚えるのだった。
しばし弾む笑い声が続いたのち、マリアベルはふいに背筋を正した。
瞳に真剣な光を宿し、妹を見つめる。
「そうそう……それで。手紙に書いていた“大事な話”って、何かしら?」
エマは微笑んで、そっとマリアベルの手を取った。
「……まだ誰にも内緒なのです。でも――お姉様にだけ、お願いがあるのです」
エマは柔らかに微笑んだ。
*
マリアベルとエマが話している頃。
書斎に呼びつけられたモーリスとローラは、珍しく落ち着かぬ様子の主人を見て目を瞬かせた。
「……マリアベル殿下が滞在している間、私はいかに振る舞えば良いのだろうか」
セイルは重々しい声音で問いかけ、額を押さえた。まるで領内防衛の作戦会議でもしているかのような真剣さで、低く唸る。
「エマの姉君である以上、無下にはできない。もはや好かれることは難しいだろうが……せめて認めて頂くには、どうすれば……」
ローラは深刻そうに頷いた。
モーリスは静かに目を閉じ、少し考えるふりをしてから、口を開いた。
「……耐えることです」
「…………は?」
セイルは顔を上げた。眉間の皺が深まる。
「ひたすら、耐えることです」
老執事の重々しい口ぶりに、ローラも追随するように頷いた。
「そ、それ以外に……何か、策はないのか」
「ございません」
「ありません」
揃って即答。
セイルはしばし呆然と二人を見つめ、それから椅子に沈み込んだ。
しばし沈黙ののち、ローラは慰めるように、ポツリと呟いた。
「小姑とは、そういうものです」
セイルは真っ青になり、深いため息をついた。
その姿は、数々の戦を勝ち抜いてきた将が“最も手強い敵”を前に打ちひしがれているようであった。




