マリアベル襲来
翌日から、エマは何事もなかったかのようにいつもの日常を過ごした。
セイルが何度も「理由を教えてほしい」と問いかけても、エマは困ったように微笑み、はぐらかすばかりだった。
セイルが気になっているのは、それだけではない。
その日から、エマは頻繁に領内のあちこちに出掛けるようになった。公的な施設から商店の並ぶ街路まで、まるで一つひとつを確かめるように視察をして回る。セイルも同行できるときは付き添ったが、大抵はローラやルーナを伴い、ひっそりと出掛けていた。
領内でのエマの人気は、絶大だった。
若くしてリーリエ伯爵を射止めた伯爵夫人であるだけでなく、その才覚で経済を動かし、領に利益をもたらした功績も大きい。
さらに、誰にでも分け隔てなく接する態度と、儚げな美しさが人々の心を惹きつけた。
彼女に関わった者はみな、彼女を愛さずにはいられなかった。
エマの視察は、人々の心を励ますだけでなく経済的な効果ももたらした。
視察の際にエマが身に付けた衣服や装飾品は、たちまち街で売れた。
セイルは贈り物をするとき、いつも「経済のためです」と付け加えた。そうすれば、エマは少し困った顔をしながらも受け取った。
そしてもう一つ、セイルには大きな気がかりがあった。
最近、エマの体調不良が頻発している。微熱や咳、時には痰に赤いものが混じることさえあった。セイルはあらゆる医者に診せたが、その原因は解らなかった。
そんな症状を抱えながらも、彼女はセイルの心配をよそに政務へと足を運び続けた。セイルは頭を抱えながらも、くれぐれも無理のないようにと言うほかなかった。
表向きは、何事もなく日々が流れていた、ある日のこと。
「姉が、遊びに来てくれるそうです」
エマは豪奢な装飾が描かれた手紙を手にして、セイルに告げた。
「マリアベル王太子妃殿下、ですか」
「はい」
エマの長姉、マリアベル。数年前に王太子妃となり、煌びやかな美貌と圧倒的な存在感で人々を魅了している女性だった。
「姉は長らく外国の視察に出掛けておりましたから、セイル様はあまりお会いする機会もなかったのではありませんか?」
「……いえ、結婚式でお会いしました」
セイルは少しだけ眉を寄せた。
マリアベルは、筋金入りのシスコンだった。
幼いころからエマを猫可愛がりして、常に「エマ、エマ」と後をついて回っていた。エマの結婚が決まったときは烈火のごとく暴れ、王太子妃としての立場を利用してセイルに圧力をかけた。裏でどれほど脅されたか、思い出すだけで胃が痛む。もちろん、エマ本人は何も知らない。
「とても仲の良い姉妹なのです。楽しみですわ」
エマはとびきりの笑顔を浮かべた。
セイルも穏やかに微笑み返したが、内心では戦々恐々としていた。
*
玄関ホールに響いた高らかな声。
「ごきげんよう!リーリエ伯爵」
現れたのは、絢爛なドレスに身を包んだマリアベル王太子妃。護衛の騎士をずらりと従え、まるで舞台の上から見下ろすように、堂々と立っている。
「……お久しぶりでございます、マリアベル殿下」
セイルが恭しく一礼すると、マリアベルはすかさずセイルの顔を値踏みするようにじろりと見た。
「まあ!いつになくくたびれたお顔だこと!新婚のうちからこんなことでは、妹の生活が心配でたまりませんわ!……貴方、エマを泣かせていないでしょうね?」
一気に捲し立てられ、セイルは穏やかに佇みながらも眉がぴくりと動いた。
返答に詰まるセイルの後ろから、軽やかな足音が近づく。
「お姉様っ!」
エマが駆け寄ってきた。マリアベルの表情はぱっと花が咲いたように、一変する。
「エマぁぁ~~!! ああ、なんて可憐で可愛いの! あの頃と少しも変わらない! 私の天使~~!!!」
彼女はエマを抱きしめ、力いっぱい胸に押し付ける。その勢いに、エマはよろめきながらも姉の愛情に顔を綻ばせた。
セイルは思わず一歩踏み出し、エマを支えようと手を伸ばす。だが――
「近寄らないでくださる? 妹との再会の邪魔をしないで」
ぎろり、と放たれる王太子妃の眼光。
「……」
セイルの足が止まる。差し伸べた手は、虚しく空を切り、静かに下ろされた。




