表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
55/118

清一の回想_幼少期2(清一視点)

 その日、学校の帰り道で膝を擦りむいた俺は、誰もいないと思って身を屈め、傷に手を当てた。

 翳した掌の下に、小さな柔らかな光がほのかに灯る。


「清一さん、具合が悪いの?」


 思いもよらぬ背後からの声に、心臓が跳ねた。振り返ると、そこには百合子さんが立っていた。心配そうにこちらを覗き込むその瞳が、すべてを見透かしているようで――。


 ……見られた。


 俺は咄嗟に駆け出した。


 見られた。

 見られた。


 胸の奥でその言葉が何度も反響する。

 幼い頃は誇らしく思えたこの力も、本当に大切な人を救えなかった日からは、無力さの象徴になってしまった。

 人と違う自分。けれど、役に立たない自分。

 ――化け物だ。

 そう思うたび、誰にも知られたくなかった。嫌われたくなかった。惨めになるのはもうたくさんだった。


 よりによって、百合子さんに見られるなんて――。


 夢中で川岸を走っていると、不意に彼女の叫び声が響いた。


「そっちへ行ってはいけないわ!」


 振り返った瞬間、足が滑り、俺の体は濁流へと呑み込まれた。

 水は容赦なく体を攫い、子供の足はあっという間に取られた。服は重く張り付き、もがくほどに沈んでいく。


 ――死ぬ。


 その瞬間、誰かの手が俺の腕を強く引いた。

 ぐいと引き上げられ、岸へ投げ出された俺は、荒い息をつきながら隣を見た。そこには、ぐったりと横たわる百合子さんの姿があった。


「百合子さん!!」


 必死に呼びかけ、体を揺すり、頬を叩く。見様見真似の人工呼吸を試みても、彼女は応えない。

 ようやく駆けつけた大人たちによって彼女は運ばれていったが、俺はただ震えることしかできなかった。


 その夜。

 早川氏の手が俺の頬を打った。

 生涯ただ一度きりの、叱責だった。


 百合子さんの母は、意識の戻らぬ娘を看病し続けていた。俺は震える声で「看病を代わらせてください」と頼み、眠る彼女と二人きりになった。


 俺は必死に手を握り、持てる限りの力を注いだ。

 どうか、助かってほしい。

 この人だけは、失ってはいけない。

 二度と無力な自分を見せたくない。


 意識が遠のくほどに集中し、涙を流しながら心の中で何度も唱えた。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 どれほど時間が過ぎたのだろう。

 やがて彼女の頬に血の気が戻り、まぶたがゆっくりと開いた。


「清一さんは、無事なの!?」


 掠れた声でそう叫んだ彼女は、起き上がろうとして力尽き、布団に崩れ落ちた。

 その姿を見て、安堵したはずなのに、胸の奥から込み上げてきたのは別の感情だった。


 怖い――。


 助けたいと願ったのに、こうして目を覚まし俺を見つめる彼女の瞳が、怖かった。拒絶されるのが何よりも怖い。ならば、先に拒絶してしまえばいい。そうすれば傷つかずに済むから。


「百合子さん……僕が、怖くありませんか。気持ち悪く思いませんか……」


 俺の涙混じりの問いかけに、百合子さんは静かに微笑んだ。


「清一さん……綺麗よ」


 その声は、かつて母が優しく名前を呼んでくれたときの響きと同じだった。


 抑えきれない涙が溢れ出す。


 この人は、家族も家も友人も――何も持っていない、空っぽの僕を、綺麗だと言う。

 弱くて、惨めで、情けない、大嫌いな僕を。

 百合子さんは僕の存在を、否定せずに受け入れてくれる、唯一の人。


 その温もりに触れた瞬間、俺は決意した。


 ――生涯、この人のために、生きよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ