清一の回想_幼少期2(清一視点)
その日、学校の帰り道で膝を擦りむいた俺は、誰もいないと思って身を屈め、傷に手を当てた。
翳した掌の下に、小さな柔らかな光がほのかに灯る。
「清一さん、具合が悪いの?」
思いもよらぬ背後からの声に、心臓が跳ねた。振り返ると、そこには百合子さんが立っていた。心配そうにこちらを覗き込むその瞳が、すべてを見透かしているようで――。
……見られた。
俺は咄嗟に駆け出した。
見られた。
見られた。
胸の奥でその言葉が何度も反響する。
幼い頃は誇らしく思えたこの力も、本当に大切な人を救えなかった日からは、無力さの象徴になってしまった。
人と違う自分。けれど、役に立たない自分。
――化け物だ。
そう思うたび、誰にも知られたくなかった。嫌われたくなかった。惨めになるのはもうたくさんだった。
よりによって、百合子さんに見られるなんて――。
夢中で川岸を走っていると、不意に彼女の叫び声が響いた。
「そっちへ行ってはいけないわ!」
振り返った瞬間、足が滑り、俺の体は濁流へと呑み込まれた。
水は容赦なく体を攫い、子供の足はあっという間に取られた。服は重く張り付き、もがくほどに沈んでいく。
――死ぬ。
その瞬間、誰かの手が俺の腕を強く引いた。
ぐいと引き上げられ、岸へ投げ出された俺は、荒い息をつきながら隣を見た。そこには、ぐったりと横たわる百合子さんの姿があった。
「百合子さん!!」
必死に呼びかけ、体を揺すり、頬を叩く。見様見真似の人工呼吸を試みても、彼女は応えない。
ようやく駆けつけた大人たちによって彼女は運ばれていったが、俺はただ震えることしかできなかった。
その夜。
早川氏の手が俺の頬を打った。
生涯ただ一度きりの、叱責だった。
百合子さんの母は、意識の戻らぬ娘を看病し続けていた。俺は震える声で「看病を代わらせてください」と頼み、眠る彼女と二人きりになった。
俺は必死に手を握り、持てる限りの力を注いだ。
どうか、助かってほしい。
この人だけは、失ってはいけない。
二度と無力な自分を見せたくない。
意識が遠のくほどに集中し、涙を流しながら心の中で何度も唱えた。
――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
どれほど時間が過ぎたのだろう。
やがて彼女の頬に血の気が戻り、まぶたがゆっくりと開いた。
「清一さんは、無事なの!?」
掠れた声でそう叫んだ彼女は、起き上がろうとして力尽き、布団に崩れ落ちた。
その姿を見て、安堵したはずなのに、胸の奥から込み上げてきたのは別の感情だった。
怖い――。
助けたいと願ったのに、こうして目を覚まし俺を見つめる彼女の瞳が、怖かった。拒絶されるのが何よりも怖い。ならば、先に拒絶してしまえばいい。そうすれば傷つかずに済むから。
「百合子さん……僕が、怖くありませんか。気持ち悪く思いませんか……」
俺の涙混じりの問いかけに、百合子さんは静かに微笑んだ。
「清一さん……綺麗よ」
その声は、かつて母が優しく名前を呼んでくれたときの響きと同じだった。
抑えきれない涙が溢れ出す。
この人は、家族も家も友人も――何も持っていない、空っぽの僕を、綺麗だと言う。
弱くて、惨めで、情けない、大嫌いな僕を。
百合子さんは僕の存在を、否定せずに受け入れてくれる、唯一の人。
その温もりに触れた瞬間、俺は決意した。
――生涯、この人のために、生きよう。




