夫婦のこたえ
エマはふいに口を開いた。
「セイル様は、私のことがお嫌いなわけではないのですね」
あまりに冷静な声音に、セイルははっと顔を上げた。思いもよらぬ返答に、驚きを隠せない。
エマは微笑みながら、そっと手にしていたブローチをセイルの胸元に留めた。月光を受けた宝石は、一瞬、星のようにきらめいた。
「よくお似合いですわ」
そう告げる彼女の満足げな顔に、セイルは戸惑いを覚える。
「え、エマ様……?」
エマはその狼狽に優しく頷き返した。
「私にもかつて、親しく想う方がおりました」
セイルの眉がわずかに寄る。エマは淡々と続けた。
「その方とはもう長らくお会いしておりません。今でもかの人を思い出すことはあります。ですが、それはそれで、悪いこととは思いません」
彼女は小さく唇を曲げ、意地悪そうに笑った。
「ふふ。良いではないですか。思いはひとつでなくとも」
その手が、冷えきったセイルの手をそっと包み込む。柔らかな温もりが、彼の指先に沁みていった。
「どんなに抑圧されても、心の中は誰にも責められません。良いのです。心はいつだって、自由なのですから」
戦乱を生き延びた彼女だからこそ言える言葉だった。
「今目の前の貴方を、私は大事にしたいのです。それもまた、確かな気持ちなのです」
その真っ直ぐな声に、セイルは目を丸くした。胸の奥の弱さを、柔らかく抱きとめられたような気がしていた。
「良いのでしょうか……」
彼が視線を落とすと、エマはきっぱりと笑顔を見せた。
「私たちが良ければ、それで良いのです、夫婦なのですから」
そしてさらに言葉を重ねる。
「貴方は先ほど、愛することは罪だとおっしゃいました。……だとすれば、私は共犯です」
包んだ手をぎゅっと強く握り、彼女は続けた。
「貴方とお会いしたときから、貴方は別の方を想っていました。私は、そんな貴方に恋をしました」
セイルの息が止まる。動揺に固まる彼へ、エマはまっすぐ告げた。
「貴方のその罪を、どうか……共に背負わせていただけませんか」
エマは彼の手を、自身の頬へそっと導いた。冷たい指先を温もりで溶かすように。
「セイル様、お慕いしております……いいえ、愛しています」
エマはもう、愛する人に、愛を告げることを躊躇わない。
セイルはしばし彼女に見惚れるも、すぐに我に返り、その手を引いてしまった。
「いえ、いけません!……こんなこと、赦されません」
「貴方を赦します」
「しかし……」
「セイル様、お願いです」
その瞬間、エマの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「……私とともに、生きてください」
震える声に、セイルはようやく悟る。彼女は勇気を出して言ってくれているのだと。
「ともに生きましょう、セイル様」
涙に濡れながら、エマは真剣な眼差しで彼を見据えた。そこにはいつもの微笑みはなく、ただ揺るぎない決意だけがあった。
「……私を、受け入れてくださるのですか」
セイルは苦しげに目を閉じる。
「こんな愚かな私を、赦してくださるんですか……」
「私には、貴方が必要なのです」
エマの力強い声が返ったとき、セイルには、もはや拒む理由はどこにもなかった。
セイルは、エマのために生きたいと思った。
「……貴女を、愛しています。貴女とともに、生きていきたい」
セイルのその言葉に、エマはようやく安堵の笑みを浮かべた。
やがてセイルは、胸元から小さな装飾箱を取り出した。蓋を開けば、梅の花と果実を象った精巧で美しい髪飾りが、そこにはあった。
言葉もなく、二人はただ微笑み合った。
セイルは、髪飾りを彼女の髪にそっと差した。
「美しいです」
今度は確かに、彼女の瞳を見据えて。
エマの胸に、ようやく心からの喜びが満ちていく。
セイルの指がエマの髪をそっと撫で、そして、彼女の頬に触れる。エマはその指先に自らの指を重ね、彼の指先にキスをした。
恥じらうエマの額に、セイルは微かなキスを落とした。再度目が合い、微笑み合う。
二人はやっと、お互いが愛し合っていることに気が付いた。
エマが静かに目を閉じる。セイルはエマの唇を優しく撫でた。そして、静かに唇を重ねた。
二人は確かめ合うように口づけを交わした。冷たい夜の中に、お互いを探して、何度も。




