断罪を待つ人
「私にはかつて、妻がいました」
セイルはぽつりと切り出した。その声音には、どこか遠い過去を見つめるような翳りが宿っていた。
「彼女は、幼くして親を亡くした私を、救い、導いてくれた人でした」
彼はゆっくりと目を閉じる。まぶたの裏に、在りし日の面影を探すように。
「私はその人に見合う男になれるよう、体を鍛え、学び、研鑽を重ねました。若い日の私にとって、彼女が全てでした」
言葉は淡々としているのに、そこに刻まれた重みが伝わってくる。短い沈黙が落ちた。
「……ある事情により、私たちは離ればなれになりました」
静かに継がれる声。
「途方もない時間をかけて、彼女を探しました。けれど何の手がかりも掴めないまま、ただ時間だけがすぎていきました。そうしてある日、私は悟りました。二度と、会えないのだと」
セイルの指先が小さく震えた。
「……彼女が今、生きているのか死んでしまったのかさえ、私には解りません」
その声は深い井戸の底から響いてくるようで、エマの胸を締め付けた。
「生きる希望を失いました。死にたいと思いました。けれど死ぬことも許されなかった。……私は亡霊のように生きていました」
ふと視線が交わる。セイルはわずかに微笑んでいた。
「そのときにお会いしたのが、貴女でした」
穏やかな笑みは一瞬だけ。
「公爵家の庭園で、“生きたい”と強く願う貴女の姿は、私の救いでした。貴女が放つ命の輝きを、そのときの私は最も欲していました。貴女は私との結婚を望んでくれました。私も、貴女の輝きが欲しかった……しかし」
声は急に重く沈む。
「……それは誤りでした」
セイルはひと呼吸置き、決意を宿した眼差しで続ける。
「……今から私は、貴女に残酷なことを言います」
「どうぞ、続けてください」
エマは落ち着いた声音で応じた。その姿に背を押されるように、セイルは告白を重ねていく。
「私の私室に、彼女の絵画があることを、貴女はもうお気づきかと思います」
エマは黙って頷いた。
「その絵を毎夜眺めながら、私は思うのです。貴女は彼女に似ている、と」
居心地悪そうに小さく息を吐く。
「見た目のことではありません。貴女たちの雰囲気や仕草を、私は心のなかで重ねて、似ていると嬉しくなり、好ましく感じていました。私は貴女の中に、かの妻を見て、貴女の中にいるかの妻を慈しんでいたのです」
重苦しい沈黙が流れた。
「何度も自分に言い聞かせました。混同してはいけないと。しかし、何度打ち消してみても、貴女をまた、彼女の身代わりにしている自分に気が付くのです。……私は、貴女を通して、彼女を求めているだけなのかもしれません」
その瞳はエマを見られず、深い罪悪の影を帯びていた。
「……私は、卑怯な男です。貴女と過ごしていると、私は慰められ、安らぎ、幸福を感じるのです。そんなことを貴女に求める自分が、私は心底嫌いなのです」
その声には、わずかな震えが滲んでいた。
「貴女を愛することは、私にとって……罪なのです」
セイルは静かに目を閉じる。それと同時に、彼の頬に、ひと筋の涙が伝った。
「解っています。私は今、身勝手なことを話しています。めちゃくちゃで、突拍子もない……でも、貴女を愛さずにはいられない。そのことが、私にはひどく、恐ろしい……」
一息に吐き出された言葉のあと、セイルはしばし沈黙し、かすかに声を整えた。
「こんなことを貴女に話すべきかどうか、悩みました。けれど、隠しておくことも出来ませんでした。貴女の前で誠実な夫の顔をしている自分に、もはや限界を感じました」
それは自嘲を含んだ声だった。
「私を軽蔑していただいて構いません。全て受け入れます。私はもう、貴女に嘘をつきたくないのです。これ以上は、何も望みません」
セイルはそのまま沈黙する。彼は俯いたまま、動かなかった。
それはまるで、これから下される罰を静かに待つ罪人のようだった。




