幸せの背景
広場を包む音楽と歓声の渦の中、セイルはただ、彼女を見ていた。
――まるで、妖精が舞っているようだ。
軽やかにステップを刻み、笑顔を弾ませるエマ。
揺れる髪は灯りに照らされ、汗に濡れた頬は花のように紅潮していた。その姿は、生命そのものの輝きを放っていて、セイルの心を容赦なく掴んで離さなかった。
曲が終わり、拍手が響く。
視線を上げたエマと、自然に目が合った。セイルは息を呑み、長く見つめていた己の愚かさに気づいて慌てて目を逸らす。だが、彼女は恥じらいながらも微笑みを返してくれた。
胸を突かれたような思いで、セイルは彼女へ歩み寄る。
夫婦として自然な流れ――そう自分に言い訳をしながら、セイルは彼女にダンスを申し込んだ。
差し出した手に、エマの指先がそっと触れる。
細く、白く、あまりに繊細な指。
乱暴にしてしまえば壊れてしまうのではと、セイルは息を詰め、できるかぎり優しくその手を包み込んだ。
「……私に至らないところがあれば、どうか仰ってください。こんな体ですけれど……なるべく、貴方の負担にはなりたくないのです」
静かに放たれたエマの言葉に、セイルは目を見開く。殊勝な態度の奥に、そんな不安を抱えていたとは。思いもよらぬ告白に、セイルは心臓が締め付けられる。
「……貴女があまりにも、美しいから」
気づけば口をついて出ていた。
言ってから、セイルは愕然とする。
何を言っているのか。
口にした言葉はもう戻らない。エマもまた、戸惑いに頬を赤らめて俯いてしまった。互いに言葉を失い、ただ、音楽の流れに身を委ねるしかなかった。
やがて、曲が終わる。大きな拍手に包まれる中で、エマは顔を上げ、小さな声で告げた。
「収穫祭の最後の花火を……ご一緒していただけませんか?」
その一言に、胸が高鳴る。
ただ、嬉しかった。理屈など要らなかった。セイルはためらわず彼女の手を取る。
「……私でよければ、ぜひ」
エマは、温かな笑顔を返してくれる。
その瞬間、心が満たされていくのを感じた。
――幸せだ。
エマと関わるたび、自分の中の愚かな感情はすべて浄化されていく。
このまま彼女に甘えて、浸ってしまいたい。
彼女だけを見て生きていけたなら、どれほど甘美だろう。
そんな身勝手な感情が否応なく流れ込んでくる。
けれど、それは彼にとっての罪だった。
こんなことを自分はいつまで続けるつもりだ。エマに対して不誠実なことをしている自覚がある。卑怯な自分が彼女を弄んでいる姿は、醜く、虫唾が走る。
しかしそれでいて、彼女を手放すことができないでいる自分。みじめで、本当に、情けない。
セイルは胸元に忍ばせた小箱に思いを馳せる。
美しく装飾されたその中には、彼女のために誂えた髪飾りが入っていた。
これを渡してしまったら、それは卑怯な行いだろうか。 渡さないでいたら、彼女は寂しく思うだろうか。
何も考えずに、渡して、愛を告げてしまえば、どれほど満たされるだろう。
彼女を優しい嘘で騙して手に入れてしまえば。卑怯な自分として、開き直って生きてしまえば……
その甘美な想像に、己の狡猾さを思い知らされ、セイルは深い溜息をついた。
そんなことは許されない。
私は、決してエマを愛してはいけない。
セイルにとって、それだけが唯一の正解だった。




