収穫祭の幕開け
秋の澄んだ空気が、陽の光を柔らかく透かしていた。
この日を待ちわびていた人々の熱気が、伯爵邸の庭に溢れている。屋台の紅い布がはためき、色とりどりの果実や甘い菓子の香りが風に混ざって漂った。笑い声、笛の音、子供たちのはしゃぎ声――邸内全体が、まるで一つの祝福を謳っているかのようだった。
「まぁ、なんて賑やかなの!」
エマはローラとルーナを伴って祭の会場を歩いていた。
このところ、エマの心の奥には、ほんのかすかな影が落ちていた。この一ヶ月というもの、収穫祭の準備に追われてセイルと顔を合わせる機会はほとんどなくなっていたのだ。すれ違いのまま過ごした日々が、胸の奥に小さな寂しさを積もらせていた。
そんな思いを振り払うように、エマは微笑んだ。
「ほら、あそこを見て」
彼女の視線の先に、人だかりができていた。
そこに並んでいるのは
――練り切り。
エマとルーナが考案した、新しい菓子だった。白い餡に色とりどりの果汁を練り込み、花や鳥、果実を模した繊細な細工菓子が並ぶ。
「わぁ!」「すごい……!」 「きれい!」
領民たちは目を輝かせ、次々に手を伸ばしていく。
「奥様、大成功です!」
ルーナは嬉しさを隠せず、エマの腕にしがみついた。 ローラも静かに微笑み、三人は互いに目を合わせて頷き合う。努力が形になった喜びが胸に広がっていった。
「あ、奥様だわ!」
「奥様!いつもありがとうございます!」
通りがかる人々が、口々にエマへ声をかける。領主セイルが伝えたのだという。ここ最近の好景気は、奥方エマの功績によるものだと。
「奥様のお陰で、今年の冬は温かく過ごせます」
「どうか、これからもこのリーリエ領を導いてください!」
その言葉一つひとつが、エマの胸を温めた。
――あぁ、みんななんて優しい人たちなのだろう。
私は、この地で生きていていいのだと、心からそう思える。
やがて、エマはふと足を止めた。
そこには、鮮やかに飾られた屋台があった。棚いっぱいに並んでいるのは、豊穣の果実を模した装飾品。金細工に宝石をあしらった指輪、首飾り、髪飾り、そしてブローチ。光を受けてきらめくそれらは、祭の象徴でもあった。
エマは思わず、一つのブローチに手を伸ばした。
透き通るようなエメラルドグリーンの宝石が埋め込まれた、落ち着きのある紳士用の品。
「素敵ね……」
手に取ると、不思議と胸が高鳴った。
「奥様の瞳の色と同じですね」
隣でローラがそっと言った。
「旦那様もきっと喜ばれます」
「……!」
エマの頬に赤みが差す。
「ま、まだ……差し上げると決めたわけでは……」
ごにょごにょと言葉を濁す彼女を、ローラとルーナは目を細めて見守っていた。
――奥様は、本当に可愛らしい方。二人の胸にそんな思いが自然に浮かぶ。
エマは視線をブローチに戻した。緑の宝石は翡翠のように透明で、陽を受けたそれは、彼女自身の瞳と同じ色に煌めいていた。
セイル様は、受け取ってくださるかしら……
心臓の鼓動は、早鐘のように速くなっていく。
エマはブローチをそっと撫で、小さく微笑んだ。




