夏の終わりの、新しい風
「奥様、あまりご無理をなさらないでくださいませ」
「まぁローラ、お野菜にお水をあげているだけじゃない。これくらい平気よ」
まばゆい夏の終わり。
エマは心配して早めに引き上げようとするローラをよそに、たっぷりの水を畑に注いでいた。
あの事件の後、エマは少しずつ体力を取り戻していたものの、主治医はなかなか外出許可を出してくれなかった。ようやく季節が夏から秋へと移ろい始めたこの頃、伯爵邸の敷地内であれば自由に歩けるようになったばかりだ。
その解放感と喜びの勢いで、エマは畑にたくさんの苗を植えた。もちろん、自ら鍬を振るうことは許されず、わざわざ公爵家から見知った庭師のルーベンを呼び寄せ、自身の指示で伯爵邸の庭に立派なお野菜畑を完成させたのだった。
瑞々しい葉の間に水を注ぎながら、これから実るであろう秋野菜のことを思い描く――焼いても、煮ても、スープにしてもきっと美味しいだろう。そんな小さな幸せに浸っていると、遠くから軽やかな足音と、よく通る高い声が響いてきた。
「奥様っ、もう! またこんなところで泥だらけになっていらっしゃるなんて。探したんですから!」
現れたのは、最近新しく侍女となったルーナだった。エマと同じ年頃で、年相応の無邪気さをそのまま表情に浮かべる、笑顔のはじける少女だ。
「ルーナ、口の利き方に気をつけなさい。奥様はあなたの主人なのですよ」
ローラが厳しくたしなめるも、ルーナは「気を付けます!」と元気に返し、にこにこと笑った。その天真爛漫さに、エマはすっかり心を和ませている。まるでかわいい孫を愛でるような気持ちで、エマは彼女をそばに置いていた。
「ふふ、ルーナったら、どうしたの?」
エマが子供に話しかけるように尋ねると、ルーナは待っていましたとばかりに胸を張った。
「さっき料理長とパティシエが話していたんです! 奥さまのために新しいお菓子を考案したって……これは事件です! きっとこのあと、お茶と一緒に持っていくよう言ってくるはずです!」
「まぁ……」
エマは目を丸くし、感嘆の声を漏らした。背後でローラが小さくため息をついたのがわかる。
ルーナは眉間に皺を寄せ、真剣そのものの顔で”新しいお菓子”について考え込んでいるらしい。
そのあまりの微笑ましさに、エマは自然と口元をほころばせた。
「それは大事件だわ、ルーナ。では、そろそろお茶にしましょう。ルーナもローラも、もちろん付き合ってね」
「はい! 大好きです奥様!!」
ルーナが勢いよくエマに抱きつき、ローラが慌てて手を伸ばす。
午後の柔らかな風が、三人の笑い声をそっと包み込んでいた。




