ヴィクトルの独白
レイモンド侯爵家は今、後継者争いの渦中にあった。
本来ならば、家督は長男であるヴィクトル・レイモンドが継ぐはずだった。美貌と才覚を兼ね備え、政財界でも注目される彼は、将来の侯爵家当主として申し分ない存在だった。
だが、その確固たる立場に亀裂が入り始めたのは、ほんの一年前。
次男――バース・レイモンドが、ある一人の女と結婚したのだ。
優秀な、まさに“切れ者”と呼ぶにふさわしい女性だった。
彼女は見事に外交を掌握し、バースの後押しをして貿易拡大を実現させ、王室の重鎮たちとの繋がりを深めていった。今では、後継者に相応しいのは次男ではないか――そんな声さえ、周囲から聞こえてくる。
ヴィクトルは、焦っていた。
――このままでは、全てを奪われる。
侯爵の座も、発言力も、そして自分の未来も。
「……バースよりも、もっと“上”の女を手に入れなければならない」
貴族の後継争いにおいて、“妻”とはただの伴侶ではない。外交の顔であり、領地運営の頭脳であり、時に王室との橋渡しになる最強の“戦力”だ。
「俺の顔に惹かれるような浮ついた女では意味がない。芯があり、気品があり、美しく……俺にふさわしい女でなければ」
理想を満たす女。自らの価値を高める器。自分を“勝者”にする妻。
俺を満足させる女であれば、例え既婚者であっても構わない。必要ならば、あらゆる手を使って手に入れる。例え既に別の男のものだとしても、奪い取るだけの力も、魅力も、自分にはある。
――そうして目をつけたのが、リーリエ伯爵夫人、エマ・リーリエだった。
かつて社交界には姿を見せたことのなかった、グランフォード公爵家の末娘。“病弱”というレッテルの陰に隠れ、その存在を世間が知らずにいた――まさに“隠された宝石”。
初対面で、ヴィクトルは一目で気づいた。
――これは、使える。
落ち着いた物腰。的確な判断力。そして、あの若さであれほどの外交感覚。美しい容姿。まさに俺の理想の女。これまで誰の目にも留まらなかったのが不思議なくらいだ。
ヴィクトルは机の上に置かれた一枚の新聞を手に取った。それは庶民向けの、やや扇情的な内容で知られるゴシップ紙。
紙面の一面には、大きな文字が躍っていた。
《リーリエ伯爵、電撃年の差婚! その実体は愛のない契約結婚か?》
「ふっ……くだらない記事だ」
そう言いながらも、ヴィクトルは口元に笑みを浮かべる。
世間の噂など所詮は戯言。だが、それでも――
「火のないところに、煙は立たない、ってな」
記事には、セイル・リーリエ伯爵にまつわる旧来の噂も添えられていた。
――『伯爵は、かつて描いた絵画の“女性”に恋をしている』。
事実かどうかはどうでもいい。でもそれが“的を射た想像”である限り、世間は面白がり、そして疑念は人の心を蝕む。
「……ま、もし本当だったなら。随分と情けない話じゃないか」
ふふ、とヴィクトルは喉の奥で笑った。
その目に浮かぶのは、冷ややかな光と、狩人のような鋭さだった。
この女は、まだ誰のものでもない。
少なくとも、“心”はまだ、誰にも染められていないはずだ。
「さあ、楽しくなってきたな」
男は、嵐の予感を胸に、静かにグラスを傾けた。




