触れた指先に宿るもの
薄暗い廊下に足音が二つ、静かに響く。
セイルとエマは、会食の場を抜け出し、寝室へと向かっていた。侍女や使用人は距離を取り、二人きりの空間がそこにあった。
ぽたり、とエマのドレスの裾から雫が落ちた。
「申し訳ありません、エマ様。あのような真似をして……ご気分を害されたのでは」
セイルは歩みを止めて振り返り、深々と頭を下げた。
けれど、エマはかすかに笑った。ほんの少し肩の力を抜いたように、張りつめていた表情が和らいでいた。
「……いえ、実のところ、セイル様のおかげで私も助かりました」
セイルが驚いて顔を上げると、彼女は恥じらいを浮かべながらも、どこか安心したように言葉を続けた。
「私、あのような調子の方はどうにも苦手なのです……でも、強く突っぱねるのも、大人げないかしらと迷っていたところでした」
その声は、どこか年齢を超えた落ち着きと、少女のような柔らかさを同時に宿していた。
「……そうでしたか。それなら……よかった」
セイルは小さく息を吐いた。胸に溜めていた靄が晴れていくような、安堵の感情が静かに広がる。
ふと、エマが足元を見下ろした。
「あ……靴まで濡れてしまって……」
セイルは反射的に彼女の足元に視線を落とすと、すぐに言った。
「どうぞそのままに。私が拭きます」
「い、いけません! セイル様にそんな――」
けれど、すでにセイルは片膝をつき、自身のハンカチを取り出していた。
そして静かに、ドレスの裾からエマの足首を引き寄せた。触れた手の温度に、エマはどきりとする。セイルは濡れた足元をそっと拭いはじめた。
「……貴女をあの場から、引き離さずにはいられませんでした」
そう言った彼の声は、あくまで穏やかで静かだった。
エマは言葉を失ったまま、ただセイルの髪に月光が差し込むのを見つめていた。触れられるぬくもりが、全身に伝わっていくようだった。
セイルは拭き終えると、立ち上がり、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……これでは、ますます冷えてしまいますね。温かいお茶を用意させましょう」
「……ありがとうございます、セイル様」
エマはほんの一瞬だけ、セイルの袖口をそっと掴んだ。無意識の仕草のように見えたが、その小さな手の中には、不安や恐れが滲んでいた。




