03:リリ
昼すぎの街は、相変わらず人が多くてうっとうしい。
表通りには荷車が行き交って邪魔だし、店先じゃ店員が大声を張り上げている。焼きたてのパンの匂いがしたと思えば、次の角では魚の生臭さが鼻について嫌になる。
十五歳になっても私の生活は変わっていなかった。いつもの、くだらない街の日常だ。
私は歩き慣れた道をさっさと進んでいた。だからこそ――道の真ん中で突っ立っている男女が余計に邪魔だった。
女のほうは、どう見てもこの辺の人間じゃない。服からして違う。いかにも高そうな布だし、縫い目ひとつ見えない綺麗な仕立てだ。こういう場所を歩いたら、一瞬で泥が跳ねて台無しになりそうな服を着ている。私みたいな下町の人間でも分かるくらいだから、どこかの商家のお嬢様だろう。浮きまくってて、目立って仕方がない。
その女に、近所でよく見かけるナンパ男が話しかけていた。後ろ姿なのに鼻の下が伸びてるんだろう猫なで声で口説いている。十代なのに、オッサンみたいな思考で私たち年代の女は普段は近寄らないようにしている。
「だからさ、お姉さん。一人で来たの?」
「……ええ」
「こんなところで、珍しいね。観光?」
「そういうわけではないわ」
女は笑っていた。いや、笑っているというより、口元だけをちょっと上げているだけだ。なんだろう。妙に鼻につく、スカした笑い方だった。
ナンパ男、カルロがさらに一歩近づく。女は一歩も下がらない。ただ、少しだけ首を傾けた。
「あなた、先ほどから私に何を求めているの?」
「いや、別に? ちょっと話してるだけだって」
「そう」
女はにこりとした。
「では、もう十分でしょう?」
……なんだ、この女。強いじゃん。絡まれて困っているようには見えないし、助けを求めている様子もない。まあいいや。ここで立ち止まったら、私まで面倒に巻き込まれる。私は二人を無視して横を通り抜けようとした。なのに、カルロが両脇の壁に手をついて通れなくなった。
「ちょっと、そこ邪魔なんだけど」
男が振り返って言ってきた。
「あ?」
「邪魔。道を塞いでるんだけど」
「なんだよ、リリじゃん」
「一昨日、サリーのこと口説いておいて、今日はその女?」
「なんで知ってんだよ!これは、違うって」
「じゃあ何?」
「お姉さん、この子に聞くといいよ!俺用事思い出したからっ」
「は?」
「じゃあなっ、リリ、サリーには言わないでくれ!」
カルロが逃げた。何あれ、ダサすぎる。ちらっと女のほうを見たら、目が合った。
……うわ、綺麗な目。というか、自分の顔の良さを分かっててやってるタイプの目だ。
「……」
「……」
私は先を急ぎたいのに、女は私をじっと見てくる。珍しい生き物でも見つけたみたいに。
「何さ」
「ずいぶんと、率直なのね」
「……そう?」
「ええ」
女はふっと目を細めた。
「あなた、私が誰だか知らないでしょう?」
「知らないけど、……それが何?」
女の眉がほんの少し上がった。やっぱり変な人だ。普通、知らないって言われたらそれで話は終わりじゃん。この街じゃ、服を見れば金持ちかどうかなんてだいたい分かる。増してや偉いから何だっていうのだ。私には今、さっさと終わらせなきゃいけない用事があるの。偏屈ババアなグレーテルのところにおつかい中で機嫌が悪いんだから。
「それじゃ、私行くから」
「待ちなさい」
「何?」
「治安隊詰め所という場所へ案内していただきたいのだけれど」
「……は?」
「聞こえなかったかしら」
私は呆れて女を見た。
お願いする態度じゃないだろ。頼んでるっていうより、もう命令する一歩手前みたいな顔をしている。
「自分で行ってよ。私、忙しいんだけど」
「……」
私が歩き出すと、また背後から声がした。
「待ちなさい」
しつこいな。私は溜息をついて振り返った。
「何?」
「私、この辺りの土地に詳しくないの」
「私だって詳しいわけじゃない。住んでるから分かるだけ」
「そう。それなら、お願いできるかしら」
「だから、私にも用事があるって言ってるじゃん」
「では、その用事が終わってからでいいわ」
「ええ……」
思わず顔がゆがんだ。この女、全然引き下がらないじゃん。そこは、自分を優先しろじゃないの?
「……お金持ちのお嬢様の道楽?」
「そうよ」
「認めるんだ」
「否定する必要がないもの」
変だ。ふつう、こんな言い方されたら怒るもんじゃないの?
私は溜息をついた。放っておいても着いてきそう。
「じゃあ、私の用事が終わるまでついてくれば?」
「ええ」
女は私の隣に並んで歩き出した。
歩き方まで妙にしゃんと伸ばしていて気取っている。周りの奴らが道を譲るのが当たり前、みたいな顔だ。下町の汚い足元なんて気にしてもいない様子で、本人は自分が浮いている自覚すらないらしい。
私はちらっと横目で値踏みした。
「あんた、どこから来たの?」
「少し離れたところからよ」
「ふうん」
「あなたは?」
「この辺に住んでる」
「そう」
それ以上は何も聞いてこなかった。別にこっちも話すことなんてないから楽でいい。
表通りを外れると、道幅が狭くなる。欠けた石畳に足を取られないように避けながら歩く。角をひとつ曲がるだけで、街の騒がしさが一気に遠のく。
女はきょろきょろ周囲を見回していた。
ボロい店、古くさい建物、狭い道、ドブ水みたいな水路。荷物を運ぶおっさんや、物売りしてるガキ。こんな薄汚い街の風景の何が珍しいんだか、一つずつ確認するように見ている。
「この道は、表通りとつながっているの?」
「つながってる。あっちを抜ければ市場」
「ああ」
「でも、初めてなら絶対迷うよ」
「そうでしょうね」
「だから私がいるんでしょ」
「ええ。重宝しているわ」
言い方が妙に素直で、毒気が抜ける。私は心の中で、少しだけこの女を見直した。
「この街は、住みやすいかしら?」
突然、そんなことを聞いてきた。
「まあ、貧乏なところだからそうでもない。……でも、ここよりひどい場所なんていくらでもあるし。住みやすいほうじゃない?」
「あなたは、この街が好き?」
「嫌い」
「そう」
「住んでるから住んでるだけ」
女は納得したように頷いた。なんだろう。高飛車な態度なのに、不思議と嫌な感じがしない。いや、イラッとはする。するけど、こっちを下に見ている感じとは違うんだよな。私のテキトーな返事を、そのまま真っ直ぐ受け取っている。
私は予定していた家の前で立ち止まった。ドアノッカーを叩くと家の中から、聞き慣れた怒鳴り声が響いてくる。
『遅い!』
「今来たじゃん!」
『今じゃ遅いんだよ!』
「はいはい」
ドアを開けると案の定のやり取りだ。頼まれていたものを渡し、代わりに受け取るものを受け取る。横を見ると、あの女が静かに立っていた。怒鳴り声にもびくともしない。女は玄関から見える家の中を見回していた。高そうなものなんて一つもない。埃っぽい棚とすり減った床、積まれた荷物。それでも、馬鹿にするような顔はしなかった。ただ見ていただけだ。
「じゃ、行くよ」
「ええ」
用事を終えて外に出る。今度は私が前を歩いた。
表通りへ戻ると、人がさっきより増えている。人混みを押し分けながら、何となく後ろを振り返った。女はちゃんとついてきていた。迷子になったくせに、歩く姿だけは妙に堂々としている。
やがて、ご立派な石造りの建物が見えてきた。門の前には制服を着た治安隊の隊員が何人も立っている。そのうちの一人がこちらを見た。
「――せ、セレネ様!?」
女の足が止まった。隊員が血相を変えて走ってきた。
「セレネ様! 一体どちらへ行かれていたのですか!」
「少し、街を歩いただけよ」
兵士の顔、真っ青じゃん。
「ご無事で……本当によかった……!」
「大げさね」
「大げさなものですか!」
私は黙ってその様子を見ていた。なんだよ。この女、本当に偉い人だったのか。ただの金持ちどころじゃないっぽい。兵士たちが口々に騒いでいる中で、セレネは困ったように笑っていた。
「もうよいわ。心配をかけたわね」
「ですが……!」
「私は何の害も受けていないもの」
それから、セレネが私を見た。さっきまでと同じ顔だけど、今度はちょっと違って見える。
「あなたにお礼をしたいわ」
「それなら、お菓子が食べたい」
「ふふ、用意させるわ」
セレネは可笑しそうに笑って、少しだけあごを上げた。
「名乗りなさい」
「もう知ってるでしょ。リリ」
「私は、セレネ。セレネ・アストレアよ」
――アストレア。
マジか。この土地で知らない奴がいたらバカ扱いされるレベルの名前だ。領主様の名前じゃん。私は目を丸くした。
目の前の女を見る。さっきまで汚い裏道を一緒に歩いていた、妙に偉そうなお嬢様。でも今は、その名前を聞いただけで周りの兵士がガチガチに緊張して背筋を伸ばしている。
なるほどね。本当にとんでもないお嬢様だったわけだ。
「また会いましょうね」
そう言って、セレネは厳重な門の中へ消えていった。私はその背中をボケーっと眺めていた。
偉そうな女。変な女。自分で行けと言っても行かない、図々しい女。それなのに、最後は妙に気品があった。私は肩をすくめる。
「……仕事に戻らなきゃ」
どうせ住む世界が違うんだ。二度と会うこともない。この世界にスマホはないし、住所だって教えていないもの。
――この時は本気でそう思っていた。




