#2 5番目の番(つがい)
唇を押しつけられ、上唇と下唇の間に隙間ができると、そこからノクティウス様の魔力が流れてきた。彼の魔力が私の魔力と混ざり合いながら体内を巡り、私は彼の魔力で満たされていくのを感じていた。それは温かくて、心地がよく、とても甘美なものだった。
これが、ルミウス様が言っていた加護なのかしら?
「んっ…。もう!ノクティウス様、私を窒息させるおつもりですか!?」
「すまない…。あなたが、俺とともに歩むのを受け入れてくれたことが嬉しくて、つい…。」
ノクティウス様は謝ったそばから、また唇を重ねてきた。彼から加護を付与されていて、ふと気づいたの。今のやり取りが、ノクティウス様と私がはじめて交わした会話になったんじゃないかって。一緒に国を出てくれるかと尋ねたら、こうして口を塞がれたのだし。荒野で会ったときは、暴走竜の吐いたブレスの毒により、お互いに会話できる状態じゃなかった。『早すぎる』って言っていたのは、ひとりごとだもの。
「はぁ…。もう、勝手にやってろ。手合わせの準備はこちらで進めておくからな。」
その声から、ルミウス様があきれ返っているのがわかったわ。ノクティウス様が唇を離す気がないと察したのだろう…。
ノクティウス様は、ルミウス様が部屋を出て行ったあとも唇を離してくれず、息がもたなくなった私はやっとの思いで彼の唇から逃げた。
「ノクティウス様は、私が、あなた様の番であることを拒んでいると感じたのですか??私が、竜人と人間が結んだ、古くからの約束を破ると思ったのですね。」
「約束と言えば聞こえはいいが、実際は強制的なものだからな。受け入れられないとしても、その思いは理解できる…。」
「あなた様との結婚が嫌で、国に帰りたいわけではありません。ドラクロスにいたら、命の危険にさらされそうだからです。言っておきますけど、私、ノクティウス様の番であることは受け入れているんですからね。」
「そうか…。受け入れてくれるのか。」
そう言って彼は、顔を綻ばせた。
「それに、獣人と比べたら、強制的であっても約束を交わしただけ竜人の方が理性的だと思いますわ。獣人のやつら…方々は、番を見つけたら力ずくで連れ去ってしまいますから。あ…。今回、私も拐われたんでした。」
「…すまなかった。あなたを連れて来たのは、俺の側近なんだ。どうせ、有無を言わせず連れて来られたのだろう?」
「ええ、私を馬車??に押し込むと、すぐに出発したのです。質問する時間もくれませんでした。」
ノクティウス様は頭を押さえて、大きなため息をついた。
「あいつには俺から言い聞かせておくから、許してやってくれ。…いや。やはり、別にあいつのことなど許さなくともいい。言って直るとも思えないからな…。」
「注意したところで、改善は望めないのですね。きっと、私以外の番の方々のときも、なんの説明もなく有無を言わさず拐ったのでしょうね。」
何気なく口にした私の言葉に、ノクティウス様は困惑した様子だった。
(あ…。私も、なにも説明してなかったわ。)
「賭けをお受けくださったら答えると言っておきながら、陛下に説明しそびれてしまいましたわ。陛下は、城の"誰か"が、私にノクティウス様の番たちについて口を滑らせたとお考えのようでしたが、"誰か"から聞いたわけではありません。私は、この城にいる全員から情報を得たのです。」
意味がわからないようで、ノクティウス様が難しい顔をしている。
「自分で言うのもなんですが、私の探知能力は優れてるんですよ。城内にいる人の現在地が把握できて、会話も聞くことができます。私の強みは、人並外れた視覚と聴覚、魔力感知。それから、動物と意思疎通できることです。」
自分の能力について打ち明けたけど、動物と意思疎通できる力がドラゴンにも通じることは、まだ伏せていようと思う。
「あなたは、自分の能力を使って情報を集めていたんだな。…俺と兄の会話も聞いていたのか??」
私が頷くと、ノクティウス様は陛下との会話を思い出そうと目をつぶっている。もしかして、私に知られたくない話でもあったのかしら。
コンコン。
気まずい雰囲気を救ってくれたのは、私を誘拐した例の側近だった。
「陛下から、番様の持ち物をお返しするよう言われたので、お持ちしたっすよ。」
「ああ、私のミュゲル!!」
剣を受け取ると、鞘から出し、傷がついていないかブレードを確認する。
「あぁ、よかった。傷はついていないわ。」
剣を鞘に収め、ミュゲルに頬ずりしている私を、ノクティウス様がなんとも言えない表情で見ている。剣に頬ずりする変な女だと思われてしまったかしら?
とりあえず、私物を届けてもらったお礼を伝えようと、ジャスティンへ視線を向けた。
「ミュゲルと荷物を届けてくれて、ありがとう。誘拐犯さん。」
「あははっ。今度の番様は気が強そうっすね。」
「ジャスティン!!」
説明もなく連れて来られた不満から、嫌味を言ってやったら、ジャスティンは吹き出した。私の嫌味をまったく気にしてない様子を見て、先程のノクティウス様の言葉を理解したわ。
(これは確かに、注意しても直らなそうね。)
ノクティウス様は、私に、以前の番の話を聞かせたくないようで、ジャスティンの話を遮るように大きな声を出した。先程、ルミウス様がこれまでの番と私を比べたときも、いい顔をしてなかったわね。
『私が、これまでの番たちに嫉妬すると思って気を遣ってるのかしら??』
私のひとりごとは、ジャスティンに聞こえていた。
「番様は、殿下にご自分以外にも番がいたことをご存知なのですね。」
「ええ、私は5番目の番なのよね?5度も運命の相手に巡り逢えるなんて、それは陛下も羨ましがるはずですわ。」
「そうなんすよ。殿下は5人目の番様に出逢えているっていうのに、陛下の方はいつになったら番様と出逢えることやら。」
「双子って境遇も似るのかと思ったけど、そこは全然違うのね。ノクティウス様の出逢いの数を、陛下へ分けてあげられたらいいわよね。」
「番様、冗談でもそんなこと言ったらダメっす!殿下は、ご自分の番に対してとんでもなく強い執着心を持ってるんすからね。番との出逢いを分けるのを想像しただけで、嫉妬に駆られ、陛下へなにするかわかんないっすよ!」
「ジャスティンッ!!」
ノクティウス様は眉間にしわを寄せて、ジャスティンの話を止めようとした。
「想像するだけで我を忘れちゃうなら、こうしてジャスティンと話してるのもダメなの??でも…。さすがにご自分の側近に対しては、嫉妬しないわよね?」
「あっはっはっ。するっすよ。殿下は、嫉妬深いんでね。番様が、ご自分以外の誰かと親しくするのがおもしろくないんす。異性同性関係なく、番様の1番になりたいんすよ。」
「私の1番になりたい?私は5番目なのに…??」
ちょっとした意地悪のつもりで、私が5番目であることを気にしているふりをしてみたら、ノクティウス様の顔が青ざめて、こわばってしまった。
「ごめんなさい!ノクティウス様が、これまでの番の方々のことをずいぶんと気にしているようでしたので、ちょっとからかってしまいました。ですが、ご心配には及びませんわ。私は、過去にこだわりませんから。だって、過ぎたことは変えようがありませんもの。」
「5代目様は男らしいっすね。でも今の発言は、殿下の望む答えじゃないんすよね。嫉妬深い殿下は、番様にも嫉妬してもらいたいんすよ。」
「ジャスティン…。」
ノクティウス様は、うなだれながら、弱々しくジャスティンの名を口にした。ノクティウス様ったら、さっきからジャスティンの名前しか呼んでないわね。
「嫉妬されたいだなんて…。恋愛って難しいのですね。私には婚約者もいないですし、色恋に疎いので知りませんでしたわ。」
「うわぁ。すごいっすね、番様。殿下の"こんな顔"はじめて見ましたよ。」
("こんな顔"って??)
疑問に思い、ノクティウス様の顔を覗き込むと、彼は満面の笑みを浮かべていた。先程、一緒に国を出てくれるかを確認したときと同じくらいの笑顔だわ。喜びを隠しきれないのを見られたくないようで、恥ずかしそうに口元を手で隠した。
「番様に、婚約者も恋愛経験もないってことがそんなに嬉しいんすか??」
「お前、いい加減黙れ。というか、出て行け。」
「はいはい、出て行くっすよ。では番様、準備ができましたら訓練場の方へお越しください。訓練場へは、そこの番バカな殿下が案内してくれますから。」
「ジャスティン!!」
ジャスティンは逃げるように部屋を出て行った。私は、返された私物の中から騎士団の制服を手に取り、着替えようと、ドレスの留め具に手をかけたのだけれど、自分ではなかなか外せなかった。そこで、髪を横にまとめると、ノクティウス様へ声をかけた。
「あのぅ、背中の留め具を外してもらってもいいですか?」
留め具を外す彼の指が背中に触れ、わずかに震えているのが伝わってきた。
「外したぞ。」
「ありがとうございます。ノクティウス様さえ構わないのであれば、このまま目の前で着替えてもよろしいでしょうか??私は気にならないので。」
「…いや、俺は部屋から出ていよう。」
ノクティウス様は、口元を押さえたまま部屋を出て行った。
『色恋に疎いというのは、嘘なのでは…。』
そんなひとりごとをつぶやきながら。
耳のいい者同士だと、ひとりごとがひとりごとにならないのね。
訓練場の通路を抜けると、大歓声が待っていた。
「訓練場というか、闘技場ですわね。」
「本当に、戦うのか?」
「先程、ミュゲルに魔力を纏わせたのをご覧になりましたよね??付与してくださった加護と、あれを見てもまだ不安ですか?」
手合わせの提案に、ルミウス様はあっさり賛同してくれたけど、ノクティウス様は私の身を案じ、やめさせたがっていた。これだけ加護を付与してもらったら、大ケガする心配はないのに。
あまりにも心配するから、訓練場に向かう前に、ノクティウス様に防御壁を張ってもらい、その中で私の力を確認してもらったの。それでもノクティウス様は、今も不安そうな眼差を私に向けている。
訓練場には、ルミウス様を含め多くの見物人が集まっているから、私が見世物にされるのが心配なのだろう。
確かに私も、これだけの人が集まるのは予想外だったわ。でも、私にとってはいい意味での予想外よ。証人は多いほど、ルミウス様もあとには引けないはずだから。
ただ、問題は…。
「ノクティウス様に加護をいただいたおかげで、お相手の攻撃なんてまったく怖くありませんわ。ありがとうございます。」
わざと大きな声で、加護をいただいたお礼を口に出す。本気を出す気が見られない、対戦相手のダグラーを煽るように。
「なぜ、わざわざ挑発なんてするんだ…。」
「手を抜かれて勝っても意味ありませんもの。ノクティウス様、お相手様に本気でやるようにと、ちょっと言って来てください。」
「あなたは、番に願われたら叶えてやりたくなる俺たちの習性を知らないのだな…。」
「あら、いいこと聞きましたわ。では、ノクティウス様。私のことを名前で呼んでください。ずっと、『あなた』と呼んでますけど、私、名乗りましたよね!?」
番の願いを叶えたくなると言うので、名前で呼ぶようお願いしたら、ノクティウス様が右手で顔を覆ってしまった。
「ノクティウス様??」
「…ルナ、ティア嬢。」
名前を区切られてしまったけれど、顔を覆っている指の隙間から目が合ったノクティウス様からいっぱいいっぱいなのが伝わってきて、これが今の精一杯なんだと察したの。
「この国最強のノクティウス様が、たかだか名前を呼ぶことに苦戦してるなんて、おもしろいですわね。」
「まったく、あなた…。ルナ…、ティアは人の気も知らないで…。」
名前を呼ぶだけでこんなに動揺しちゃうなんて。ノクティウス様は本当に、私なんかにも翻弄されてしまうのね。私が、番だから。
「残念ですが、向こうのやる気に火をつけることはできなかったようです。まさか、ノクティウス様の番にケガをさせたら咎められるから本気を出せなかったなどと、負けたときの言い訳にするつもりかしら?」
「その辺にしておくんだ、…ルナティア。」
「ですが、強さを誇りとするこの国の騎士団長ともあろうお方が負けたとなれば、陛下はお許しになられるでしょうか?それが、たとえ手を抜いた状態だったとしても。」
「挑発は、そのくらいでいいだろう??」
「でも、ノクティウス様。私は人生をかけているのですから、向こうにも団長の座をかけるくらいの気持ちで臨んでもらいたかったですわ。」
対峙している対戦相手のダグラーに、私たちの会話が聞こえているとわかった上で挑発的な言葉を選んだ。竜人は、耳がいいから。
ちなみに私の耳にも、ルミウス様の、『随分と煽るじゃないか。』という声が聞こえているわ。
そう。これだけ煽ったのに、ダグラーを本気にさせられなかった。
「もういいわ。これ以上煽っても、意味はなさそうだから。ではノクティウス様、行ってまいります。」
訓練場の中心で対峙したダグラーから、敵意を向けられる。まぁ、さすがにあれだけ煽ればね。でも、魔力の流れに乱れは感じられない。それは、力を出し惜しみしている証拠だった。
私は、愛剣ミュゲルに魔力を込めた。初撃から、手加減なしの全力よ。
(私は、弱いと決めつけられ、舐められるのが一番腹立つのよ!)
私の魔力量に気づいたダグラーが、慌てて迎撃態勢に入ったけれど、もう手遅れよ。私が放った渾身の一撃をダグラーはかろうじて躱した。体勢を崩したところを突き、私は彼の首筋に切っ先を押しつけ、あっという間に勝負はついた。
「相手が人間だと見くびった結果が、これよ。これが戦場なら、あなたの慢心のせいで多くの仲間の命が危険に晒されたでしょうね。これを機に、今一度、上に立つものとしての己の心構えを顧みなさい。」
ダグラーは腰を抜かして動けず、私の偉そうな物言いにも、下唇を噛んだまま、言い返してこなかった。
(つい癖で、うちの脳筋団長へするみたいにお説教してしまったわ…。)
私の魔力が込められた斬撃は、訓練場の地面を這い、ギャラリー席を割り、さらに城の方まで続いている。
(この亀裂、城までは到達してないわよね…??うん。人に被害はないようだし、まぁいっか。)
「あはははっ。」
私の斬撃の爪痕を見て、ノクティウス様が声を上げて笑っている。その笑い声に、手合わせの結果にざわついていた見物人らは、いっせいにどよめきはじめた。
この国の人たちにとって、私の斬撃の爪痕より、ノクティウス様が笑っていることの方が衝撃的なようだった。
『あいつがあんなふう笑うのは、子どもの頃以来だな。』
ルミウス様まで、弟が笑っている姿を見て驚いているようだった。
(ノクティウス様は、あまり笑わない方なのかしら?)
私が放った攻撃でできた亀裂を目で追い、顔を青白くさせているダグラーを、ノクティウス様は蔑むように見下ろした。
「これを食らっていたら、致命傷を負っていただろうな。なぁ、ダグラー?」
「総長、面目次第もございません。」
「その謝罪は、いったいなにに対しての謝罪なんだ?」
騎士団の総長であるノクティウス様は、ダグラーの曖昧な謝罪を一蹴した。それは、私に接するときとは別人のように威圧感のある声だった。
「よもやこの敗北を、『油断が招いた結果』などと言い訳を言ってくれるなよ。彼女の力量を目の当たりにした今、そのような言い訳ができるはずもないがな。言っておくが、俺の授けた加護は防御に特化し、攻撃には関与していない。お前が実力を出していたところで、彼女の勝利に変わりはないのだ。お前が腰を抜かして、立てないのが何よりの証拠であろう?」
私は斬撃に、魔力に加え殺意も込めていたの。ダグラーが、私を取るに足りない相手だと見下しているのを感じたから。
"脆弱な人間、しかも女なんかと手合わせするなんて、時間の無駄だ"と。
ダグラーは今になって、この斬撃を食らっていたら命に関わるケガを負っていたかもしれないと、恐れおののいているのだろう。
殺意が強くなってしまったのは、城の者たちから、散々"弱い"と言われたせいでもあるのよね。つまり、昨日から溜まり続けたうっぷんをダグラーで晴らしたの。
「お前の処遇は、陛下に委ねる。俺は、彼女と国を出るからな。」
「"あなた"の次は、"彼女"ですか??私の名前、そんなに呼びにくいのでしょうか?」
首を傾げながら見つめると、ノクティウス様はバツが悪そうに目をそらした。
「待て、ノクティウス。騎士団長の処遇を私に押し付ける気か?騎士団や、大公領の運営はどうするつもりなんだ!?」
陛下が座席から立ち上がり、大声を上げた。
「賭けを持ちかけられた際、それらの懸念は想像できたでしょう?それを踏まえ、賭けに乗ったのは陛下ではないですか。」
「まさか、竜帝ともあろうお方が約束を違えるなんてマネはなさいませんよね??」
この賭けは、陛下が認めたものであることを見物人たちに周知してもらうため、私は腹から声を出した。
「国を出るにしても、せめて引き継ぎをしてからにしてくれ。」
(うん。ルミウス様の、そのお言葉はごもっともだと思う。)
だけど私には、引き継ぎをのんびり待っている時間はないの。
この国で命を落とした番たちは、みんな若くして亡くなっている。中には、この国へ来て数時間で亡くなった人もいて、最長でもたったの3年。私にも関わることだから、彼女たちの死因や寿命の違いを調べたいけれど、今は時間に余裕がない。とにかく現時点での最優先は、命の危険があるこの国から一刻も早く出ることなのよ。この国にいたら、私だってどうなるかわからないもの。
私は、"自分だけは違う"なんて楽観視はしないから。
それから私は、この手合わせで証明したかったことが達成できたかどうかを確認するため、空を見上げた。




