匂い勝負
朝。
月例市。
サイファの通りは、いつもの倍の人で埋まっていた。
荷車が軋む。
布を張る音があちこちで響く。
魚を焼く煙が空へ上がり、果実酒の甘い香りが風に混ざる。
笛の音。
笑い声。
呼び込みの声。
街が、少しだけ浮き立っている。
曲がり角。
風が抜ける場所。
そこに、レインたちの屋台がある。
炭を起こす。
火が安定するまで、少しだけ時間がかかる。
レインは串を握ったまま、小さく息を吐いた。
戦闘じゃない。
依頼でもない。
ただの屋台だ。
なのに、妙に緊張する。
「……やるか」
小さな声。
カインが隣でうなずく。
「ええ」
アクセルが腕を組む。
「焼け」
「急かすな」
肉を炭に置く。
じゅう、と音が立つ。
脂が落ち、火が揺れる。
葉と辛味を混ぜた油を塗る。
香りが立ち上がる。
青さと肉の甘さが混ざり、風に乗る。
《拡散良好》
(だから言うな)
最初に足を止めたのは子どもだった。
「なんのにおい?」
「肉だ」
「どんな?」
アクセルが答える。
「うまい肉だ」
「雑だな!」
周囲が笑う。
親が一本買う。
カインが手際よく代金を受け取り、釣りを返す。
子どもがかじる。
一瞬止まる。
「からい!」
レインの心臓が跳ねる。
だが。
「でもうまい!」
もう一口。
親も食べる。
「……これ、後引くな」
胸の奥が、すっと軽くなる。
緊張がほどける。
火を強める。
串を回す。
油を塗る。
手が慣れていく。
ノアが静かに言う。
「三本ずつ回せ」
「了解」
人が増える。
匂いが曲がり角に流れる。
次の客。
また次。
そのとき、低い声が割って入った。
「ほう」
ドランだ。
樽ジョッキを片手に、屋台を覗き込む。
隣でミアがぱっと顔を上げる。
「こんにちは!」
笑顔が早い。
「噂になっていますよ」
「早くないか」
レインが言う。
ミアは少し得意げに胸を張る。
「受付ですので」
ノアが小さく言う。
「拡散点」
「聞こえております」
ミアがにやりと笑う。
ドランが串を一本取る。
「くれ」
「はい」
カインが代金を受け取る。
ドランはジョッキをあおり、串をかじる。
噛む。
飲み込む。
喉が鳴る。
「……酒が進むな」
「だろ」
「だろ、ではないでしょう」
ミアが串を受け取る。
「いただきます」
ふー、と息を吹きかける。
慎重にかじる。
「あっ……あつ……」
小さく跳ねる。
だがすぐに目が明るくなる。
「おいしいです。辛味が後から来ますね」
「入れてるからな」
「計算ですか?」
「なんとなく」
ミアがくすっと笑う。
「絶対違いますね」
アクセルが言う。
「食える」
「説得力があります」
周囲がまた笑う。
串は減る。
小瓶の底が見える。
カインが小声で言う。
「残り、あと少しです」
レインはうなずく。
最後の数本を丁寧に焼く。
油を塗る。
返す。
渡す。
客が去る。
「完売です」
カインが静かに告げる。
炭が、ぱち、と弾ける。
屋台の前が、少し静かになる。
通りの喧騒は続いている。
だが、この場所の時間は一区切りだ。
レインは串を置き、息を吐く。
腕が少し重い。
だが、胸は軽い。
ドランが戻ってくる。
「片付けるのが早いな」
「売り切れた」
「ほう」
少しだけ屋台を見回す。
「こういうのはな」
ぽつり。
「街の空気を軽くする」
「肉だぞ」
「肉でもだ」
ドランは鼻を鳴らす。
「今日は顔が緩んでる」
確かに。
通りには笑いが多い。
串を持ったまま話す客。
辛いと騒ぐ子ども。
酒をあおる冒険者。
ミアが柔らかく言う。
「来月もやるのか、と聞かれました」
「勝手に広げるな」
「聞かれただけです」
にこり。
ドランがジョッキを掲げる。
「来月も出せ」
周囲がこちらを見る。
レインは少し考える。
炭の残り火を見る。
今日の匂い。
笑い声。
あちち、と跳ねたミア。
満足げなドラン。
全部、同じ通りの中だ。
「……気が向いたらな」
ドランが笑う。
「向くさ」
ミアが続ける。
「お待ちしております」
“また”という言葉が、自然に重なる。
来月。
その次も。
サイファで、こんな日が続くかもしれない。
レインは屋台の布をたたむ。
依頼でもない。
戦いでもない。
ただ焼いただけ。
それなのに。
胸の奥が、静かに満ちている。
カインが隣に立つ。
「楽しかったですね」
レインは小さく笑う。
「……ああ」
それだけで十分だ。
ここちゃんが足元を跳ねる。
きゅる。
むぎが小さく鳴く。
キュ。
通りの向こうで声が飛ぶ。
「また来月な!」
レインは振り返らずに手を上げた。
風が抜ける。
炭の匂いが、少しだけ残った。
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