商人の目
寝具が整った次の朝。
拠点の空気は、どこか軽かった。
夜、軋む音はなかった。
揺れもない。
寝具が整うと、拠点まで整った気がする。
庭でここちゃんが跳ねる。
きゅる。
むぎが物置の上で丸くなる。
キュ。
カインが門の外を見ていた。
「今日は市場を見てきます」
穏やかな声だ。
俺は軽く肩を回す。
「商材探しか」
「ええ。街を知るのも仕事です」
アクセルが短く言う。
「食うのか」
カインはわずかに笑う。
「少しは」
俺の口元も、つられて少し上がる。
「じゃあ、行くか」
⸻
市場通りは、いろんな匂いに満ちていた。
炭の煙。
塩気。
干した川魚の香ばしさ。
焼いた肉の濃い匂い。
串に刺さった川魚が、炭の上でじゅうと鳴る。
塩だけ。
潔い。
俺は一本買い、歩きながらかじる。
ぱり、と皮が割れる。
塩が立つ。
思わず目が細くなる。
「悪くない」
屋台の親父が鼻を鳴らす。
「山向こうの岩塩だ。今週の市はこれで出す」
「市?」
俺は顔を上げる。
「月例市だよ。外町の商人も来る。人が増える」
「そうなんだ」
それだけ言って、俺はもう一口かじる。
横から声が飛ぶ。
「神輿買い物かー?」
買い食いしていた冒険者だ。
俺は魚をくわえたまま答える。
「違う」
アクセルは視線も向けない。
カインは軽く会釈する。
冒険者は笑って去った。
ここちゃんが炭の匂いに鼻をひくつかせる。
きゅ。
俺はしゃがんで頭を撫でる。
「これはだめだ」
⸻
干物屋の前で、カインが足を止める。
吊るされた川魚。
乾燥具合にばらつきがある。
カインは一本を手に取り、指で軽く押す。
「水分が抜けきっていませんね」
店主が目を細める。
「分かるのか」
「少し」
俺は横で匂いを嗅ぐ。
鼻先を近づけ、少し首を傾げる。
「香りが弱い」
「油が残っています」
「だからか」
魚を見つめながら、口の端が上がる。
面白い。
アクセルはいつの間にか二本目を買っていた。
「食える」
それで十分だ。
⸻
少し奥まった通りに、薬屋がある。
乾燥葉が瓶に詰められ、棚に並んでいる。
苦みのある匂い。
粉の香り。
俺は足を止める。
瓶を手に取り、指で葉を擦る。
香りが立つ。
その瞬間、目がわずかに熱を持つ。
「……前に王都で見たやつに近いな」
カインが視線を向ける。
「王都?」
「湿布用って売られてたハーブがあったんだ。試しに料理に使った」
一瞬の間。
アクセルが低く言う。
「またか」
嫌そうではない。
呆れ半分だ。
俺は肩を揺らして笑う。
「食えただろ」
「食えた」
即答。
ノアが静かに言う。
「問題はなかった」
カインが瓶の葉を指先で転がす。
「薬として扱われていますが、香りは悪くありません。効能ではなく、状態と匂いを見るなら、十分素材になります」
俺は瓶を鼻先に近づけ、もう一度香りを確かめる。
口元がわずかに緩む。
「……強いな」
「乾燥が丁寧です」
俺は小瓶を買う。
軽い音がする。
市場のざわめきが遠くで揺れる。
炭の煙。
塩の匂い。
川魚の香ばしさ。
その中で、乾燥葉の香りだけが、はっきり立つ。
俺はぼそっと言う。
だが、声は少し弾んでいた。
「混ぜてみるか」
カインの口元が、わずかに上がる。
「試す場はあります」
「市か」
「ええ」
まだ提案ではない。
ただの事実だ。
アクセルが串をかじりながら言う。
「食えるなら何でもいい」
ノアが短く補足する。
「量は慎重に」
ここちゃんが足元を跳ねる。
きゅる。
むぎがポケットから顔を出す。
キュ。
市場の喧騒の中で、俺たちは歩き出す。
今日は商材探し。
だが。
俺の歩幅は、少しだけ速かった。
⸻




