配る理由と、沈み込む理由
ギルドを出ると、陽が少し傾いていた。
昼の喧騒が、夕方の色に変わり始めている。
石畳はまだ温かい。
靴裏からじんわり熱が伝わる。
パン屋から甘い匂い。
遠くで鍛冶の槌音。
カン、カン、と規則正しい。
……ああ。
この音だ。
胸の奥が、わずかに緩む。
干し貝の袋が、歩くたびにかさりと鳴る。
角を曲がった瞬間、声が飛んだ。
「何だその袋!」
例の神輿好き冒険者だ。
相変わらず声がでかい。
「土産だ」
俺が袋を軽く持ち上げると、周囲がじわっと寄ってくる。
誰も遠慮しない。
「さて、配るぞ」
その一言で、完全に囲まれた。
アクセルが低く言う。
「また囲まれている」
「今回は自分からだ」
袋を開ける。
殻付きの干し貝。
乾いた殻が、光を受けて白く光る。
「これ、何だ?」
「干し貝だ。中央じゃあんまり見ないらしい」
勧めてくれたテラの顔が浮かぶ。
「どう食うんだ?」
「炙るといいらしいぞ」
俺が言うと、そばの屋台の親父が笑った。
「貸してみろ」
慣れた手つきで網の上に並べる。
殻がぱち、と鳴る。
香ばしい匂いが立ちのぼる。
潮の香り。
乾いた旨味。
酒を呼ぶ匂いだ。
「……うま」
「酒が飲みたくなるな」
「これ見た目より軽いな!」
「保存きくのか?」
質問が飛ぶ。
笑いが広がる。
肩が触れる距離。
名前を呼ばれる距離。
子どもがぴょんと前に出る。
「うさぎも戻ったな!」
「うさぎー!」
きゅる。
ここちゃんが耳をぴんと立てる。
腕から降りて、堂々と前に出る。
逃げない。
撫でられても平然としている。
むしろ、少し得意げだ。
小さな手が白い毛を撫でる。
「やっぱ可愛いな」
誰かが言う。
俺は少しだけ顎を上げる。
誇らしい。
むぎが胸ポケットから顔を出す。
キュ。
「ハムもいるぞ!」
「こっちも元気だな!」
覚えている。
みんな、ちゃんと覚えている。
不在の時間はそれなりにあった。
でも、この街は変わっていない。
カインは少し後ろに立ち、様子を見ていた。
視線は穏やかだが、距離は保っている。
俺が差し出した一つを受け取り、軽く炙る。
ぱち、と小さな音。
一口かじり、静かに頷いた。
「これは確かに、話題になりますね」
商人の目だ。
だが、声は柔らかい。
カインは隣にいた鍛冶屋の親父へ視線を向ける。
「サイファでは珍しいでしょう?」
親父が笑う。
「ここらじゃ見ねぇな!」
別の冒険者が肩を叩く。
「もっと持ってこい!」
「気が向いたらな」
軽く返す。
袋が、どんどん軽くなる。
持ってきたものが、ちゃんと届く。
受け取られて、笑いに変わる。
胸の奥がじわっと温まる。
悪くない。
いや。
かなり、いい。
⸻
袋が空になる頃には、夕暮れが落ちていた。
屋根が赤く染まる。
石畳の温度が、ゆっくり下がっていく。
拠点の門を開ける。
きし、と木が鳴る。
草の匂い。
土の匂い。
庭の空気は、街より少しだけ柔らかい。
ここちゃんがぴょんと地面に降りる。
草を踏む音。
むぎが胸ポケットから降り、物置へ向かう。
キュ、と小さな声。
さっきまでの喧騒が嘘みたいだ。
カインが庭を見回す。
夕陽が横顔を染める。
「……落ち着く場所ですね」
カインを拠点に誘った。
幸い、部屋は空いている。
アクセルは無言で自分の部屋へ向かう。
扉が開く。
どさ。
布が沈む音。
俺はカインを案内しながら、廊下から覗く。
寝台に転がっている。
両腕を広げ、完全に沈み込んでいる。
「……これだ」
目を閉じたまま。
心底満足そうだ。
俺は笑う。
「拠点に帰れてよかったな」
軽く言う。
アクセルは薄く目を開ける。
「森は森だ」
少し間。
天井を見る。
「だが、ここも悪くない」
素直だ。
ノアが部屋から出てくる。
ここちゃんを抱いている。
腕の中で、白がふわりと揺れる。
「静かだ」
小さく言う。
ここちゃんが寝台の端に乗る。
きゅる。
沈む。
安定する。
むぎが部屋の隅で丸くなる。
キュ。
俺は自分の部屋へ入る。
寝台に腰を下ろす。
沈みすぎず、硬すぎない。
天井を見上げる。
風が窓を揺らす。
庭の草が擦れる音。
街のざわめきは、もう遠い。
アクセルが小さく呟く。
「帰ったな」
今度は誰も否定しない。
俺はゆっくり息を吐く。
「ああ」
ちゃんと。
自分たちの場所に。
戻ってきた。
沈み込むのは、寝台だけでいい。
心は、しっかり根を張っている。
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