帰る前の夜
丘の手前で野営を決めた。
焚き火が立ち、夜がゆっくり降りる。
乾いた草が風に揺れ、火の熱が頬をあたためる。
アクセルが地面に腰を下ろし、手のひらで土を押した。
「……やっぱり硬い」
俺は鍋をかき混ぜながら笑う。
「森がいいって言ってたの、誰だよ」
火がぱち、と爆ぜる。
アクセルは無言のまま、ふんと小さく鼻を鳴らした。
ノアの口元がわずかに緩む。
カインは焚き火の向こうで静かに座っている。
俺は小袋を取り出した。
サイファで試しに作ったスパイスの混合。
乾燥させた葉と、砕いた実と、少量の塩。
配合はまだ安定していない。
ほんのひとつまみ。
鍋に落とす。
湯気が立ちのぼる。
土と草の香りに、少しだけ鋭さが混ざった。
アクセルが顔を上げる。
「それ、前のやつか」
「まだ調整中だ」
慎重に混ぜる。
香りを確かめる。
強い。
少し入れすぎたかもしれない。
椀に注ぐ。
ノアが一口飲む。
静かに喉が鳴る。
「……温まる」
視線が火に落ちる。
カインがゆっくり口をつけた。
「香りが残りますね」
押しつけがましくない感想。
アクセルが飲み干す。
一瞬だけ顔をしかめる。
「少し多い」
正直だ。
俺は肩をすくめる。
「次は減らす」
そのとき。
《塩分比率、再計算可能》
(黙れ)
《改善案提示、可能》
(いらん)
《味覚安定化補助、起動待機》
(自分でやる)
一拍。
《補助停止》
俺は苦笑する。
「何だ?」
アクセルが眉を寄せる。
「試作の反省だ」
嘘ではない。
ここちゃんが膝の上に跳び乗る。
前足を揃え、くるりと向きを変える。
俺が小さく割ったドライフルーツを差し出すと、鼻をひくつかせてから、もぐもぐと食べ始めた。
むぎは胸ポケットの奥で、精霊大陸で買った種を小さくかじっている。
かり、かり、と細い音がする。
火の匂いとスープの香りが混ざる。
完全じゃない。
だが、悪くない。
失敗でもない。
喉を通る温度が、ゆっくり身体に落ちていく。
サイファまで、あと一日。
荷の中には、港で買った干し貝がある。
色の濃い蜜漬けの瓶もある。
ミアに渡したら、たぶん最初は瓶を光に透かして、それからすぐ開けたがる。
干し貝は炙ればいい。
アクセルはたぶん文句を言いながら食う。
ノアは一口目で静かに違いを拾う。
香草の束は、まだ試せる。
今日の配合は少し強かった。
だが、次は減らせる。
帰れば、また鍋がある。
台所がある。
試せる場所がある。
椅子があって、卓があって、火をかけても怒られない。
未完成のまま持ち帰れる場所がある。
そう思うと、胸の奥が少しだけ緩んだ。
アクセルが空を見上げる。
「明日だな」
「ああ」
短く返す。
夜風は冷たい。
だが、焚き火のそばは温かい。
ここちゃんは膝の上で満足そうに丸くなる。
胸ポケットの中では、むぎがまだ小さく種を噛んでいた。
火が揺れる。
星が広がる。
未完成でもいい。
今は、この味でいい。
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