港の宿
ヴァンの通りを歩いているうちに、空はすっかり夕方になっていた。
昼間より人の流れは少し落ち着いている。
潮の匂いに、炭火の煙が混じる。どこかで魚を焼いているらしく、腹の減る匂いが風に乗ってきた。
「……腹減ったな」
「ああ」
アクセルが即答する。
ここちゃんは腕の中。むぎは胸元だ。
俺たちはそのまま宿を取り、部屋へ荷物を置いた。
ここちゃんとむぎに水と食事を出して、二匹が食べ終わるのを待つ。
それからここちゃんを抱き上げ、むぎを胸元へ戻して、一階の食堂へ降りた。
煮込みの匂いが濃くなった。
「これは当たりかもな」
「まだ食ってない」
「匂いで分かる時もある」
「そうか」
アクセルは納得しているのか、いつも通りよく分からない。
席へ着く。
ここちゃんは俺の膝の上へ。
むぎは胸元にいる。
卓には魚料理と煮込み、それからパンが並んだ。
「いただきます」
魚へ手を伸ばす。
口へ運んだところで、ふっと香りが抜けた。
「ん?」
もう一口。
やっぱり入ってる。
「これ、香草使ってるな」
「分かるのか」
ノアが聞く。
「たぶん。強くないけど」
「ええ。入っていますね」
聞き覚えのある声だった。
顔を上げる。
少し離れた席に、カインがいた。
「あ」
向こうもこちらに気づいて、軽く会釈する。
「またお会いしましたね」
「本当にまた会ったな」
昼に別れたばかりだ。
「カインもここに泊まってるのか?」
「ええ。私も今夜はこちらに」
「そうなんだ」
それ以上、理由を考えるほどのことでもない。
俺は隣の空いている椅子を見る。
「よかったら一緒に食う?」
カインが少し目を丸くする。
「よろしいんですか?」
「ああ。どうせ飯食うんだろ」
「では、お邪魔します」
カインが自分の皿を持ってきて、席へ着いた。
アクセルが一度見る。
ノアも特に何も言わない。
「皆さんも旅の途中ですか?」
カインが尋ねる。
「ああ。俺たちは冒険者だ」
「冒険者でしたか」
「サイファを拠点にしてる。白兎の庭ってパーティで動いてるんだ」
「白兎の庭、ですか」
「ああ」
カインは一度頷いた。
「覚えておきます」
それだけ。
そのまま食事が再開する。
俺はもう一度、魚を食べる。
「昼に見てたやつとは違うな」
「香草ですか?」
「ああ。あれよりずっと弱い」
「そうですね」
カインも魚へ視線を落とす。
「このくらいなら、魚の味を邪魔しません」
俺の手が止まった。
「……使い方まで分かるのか?」
「ええ」
カインは普通に答えた。
「扱うなら、使い方も知っていた方がいいですから」
「へえ」
昼は。
香りの強さが分かる。
種類を見分けられる。
そのくらいだと思っていた。
でも。
どうやら、それだけじゃないらしい。
「じゃあさ」
少し身を乗り出す。
「香りが強いやつを混ぜれば、単純に香りも強くなる?」
「強くはなりますが、それで良くなるとは限りません」
「だよな」
返事がすぐ出た。
カインも少し笑う。
「油と合わせるか、水分の多い料理に使うかでも変わります」
「そこでも変わる?」
「ええ。肉に合うものもありますし、組み合わせ次第です」
「じゃあ、刻むのとそのまま入れるのでも?」
「変わります」
「細かくすれば香りが出やすい?」
「種類によりますね。細かくしすぎると強く出るものもあります」
「なるほど」
面白い。
思ったより。
かなり。
「乾燥させたやつは?」
「それも乾燥具合で変わります。香りが弱くなるものもあれば、乾燥させた方が扱いやすいものもあります」
「やっぱ違うのか」
「全部同じには扱えませんね」
「そういうの好きだわ」
思わず言った。
カインが笑う。
「レインさんは、かなりお好きなんですね」
「組み合わせ考えるのが面白いんだよ。肉でも魚でも、同じもの使えば同じになるわけじゃないし」
「分かります」
返ってくるのが早い。
「油がある料理なら――」
「香りが乗りやすいものもありますね」
「あ、それ聞きたかった」
「ただ――」
横から声がした。
「……やっぱり長くなったな」
アクセルだった。
「何が」
「昼の続きだ」
ノアが煮込みを食べながら言う。
「予想通りだな」
「お前まで」
「見れば分かる」
「まだそんな話してないだろ」
アクセルが俺の皿を見る。
「食ってない」
「……食ってるよ」
見る。
さっきから魚がほとんど減ってない。
「話してるからだろ」
「ああ」
「認めるの早いな」
カインが小さく笑っている。
「すみません。私も少し話しすぎました」
「いや、カインは悪くない」
「レインも悪くないと言う気か」
「香草が悪い」
「そうか」
アクセルが普通に受け入れた。
そこは否定してくれ。
食事を進めながら、それでも話は止まらなかった。
「そういえば」
カインが何か思い出したように言う。
「一つ、お見せしましょうか」
「何?」
「私が扱っている乾燥葉です」
カインが荷物から小さな包みを取り出した。
卓の端へ置く。
「これです」
包みを開く。
乾いた葉が少量入っていた。
「嗅いでいい?」
「どうぞ」
指で少し擦ってから、鼻へ近づける。
ふわっと香りが立った。
「……これも違うな」
リノアで買った保存用の香草とも。
昼間に見たものとも違う。
「強くはないな」
「ええ」
「これ、何に使う?」
「魚にも使えますよ」
「魚?」
目の前の皿を見る。
「こういうのにも?」
「使えます。ただ、量には気をつけます」
「多いと強すぎる?」
「逆です」
「逆?」
「量を誤ると、かえって香りが飛びます」
「へえ……」
もう一度、葉を見る。
「面白いな、それ」
「でしょう?」
カインが少し楽しそうに笑った。
「私が扱うのは、こうした乾燥葉や保存に使うものが多いですね」
「じゃあ、他にもある?」
「いくつかは」
「見たい」
「今ですか?」
「できれば」
向かいから、ため息。
「レイン」
ノアだ。
「何」
「魚」
「魚?」
皿を見る。
触ってみる。
「……冷めてるな」
「ずっと話してるからだ」
アクセルが言う。
「お前、途中で言えよ」
「言った」
「そうだった」
カインが口元を押さえて笑っている。
「すみません」
「いや。やっぱカイン悪くないから」
「食え」
アクセルが短く言った。
「はい」
俺は素直に魚へ手を伸ばした。
気づけば、煮込みから上がっていた湯気もずいぶん減っていた。




