港の宿
夕暮れの港は、昼よりも柔らかい喧騒に包まれていた。
潮の匂い。
炭火の煙。
魚を焼く音。
宿の扉を押すと、煮込みの湯気が立ちのぼる。
ここちゃんが腕の中で鼻をひくつかせた。
きゅる。
むぎが胸ポケットの奥で、もぞりと動く。
部屋を取り、荷を置き、俺たちは一階の食堂へ降りた。
木の卓に皿が並ぶ。
魚の煮付け。
固めのパン。
俺が魚に手を伸ばしたとき。
「昼の港でお見かけしましたね」
穏やかな声。
顔を上げる。
深青色の髪。
紫がかった瞳。
カインだった。
俺は少し笑う。
「また会ったな」
「港の商人が使う宿は、だいたい似ていますから」
自然な距離感。
ノアが静かに口を開く。
「香草も扱うのか」
カインは頷く。
「乾燥葉や保存用が主です。中央は保存文化が強い」
俺は少し身を乗り出す。
「組み合わせで香りを変えたりは?」
カインの目が、わずかに細くなる。
「あります。ただ、強い葉を重ねればいいわけではありません」
「だよな」
思わず即答する。
カインが続ける。
「油に合わせるか、水気に合わせるかでも変わります。肉に合うものもあれば、臭みを抑えるだけのものもある」
そこでようやく、俺は笑った。
「やっぱり面白いな」
言葉が少し早くなる。
「同じ保存用でも、混ぜ方で変わるだろ。刻むか、そのまま入れるかでも違うし」
「ええ」
カインは穏やかに頷く。
「乾燥の度合いでも変わります」
カインがわずかに目を細める。
「お好きなんですね」
「こういう組み合わせ考えるの、好きなんだ」
言ってから、自分で少し笑う。
ノアが横目で見る。
「……始まったな」
アクセルが皿を見たまま言う。
「いつものだ」
呆れたような声なのに、少しだけ緩い。
俺は眉をひそめる。
「なんだよ」
「話が長くなる」
カインが小さく笑った。
卓の空気が、少しだけ和らぐ。
カインは卓に小さな包みを置いた。
「これは中央の乾燥葉です。強くはないが、油と合わせると香りが立つ」
断定しない。
誇張もしない。
ただ、商人の説明だ。
だが、分かって話している。
俺は包みを手に取る。
乾いた葉の匂いがふわりと広がる。
リノアで買った保存用の香草とは違う。
質も、香りも。
混ざらない。
別物だ。
「面白いな」
指先で葉を擦る。
微かに青い匂いが立つ。
「これ、魚にもいけるか」
「いけます。ただ、量を間違えると香りが飛びます」
「いいな、それ」
思わず笑う。
アクセルが皿を見たまま言う。
「うまくなるのか」
「なると思う」
俺は少し早く答えた。
ノアが小さく息を吐く。
「早いな」
カインが口元を緩める。
「たぶん」
俺は吹き出す。
「そこは濁すのかよ」
「商人ですから」
穏やかな返しなのに、妙に可笑しい。
ここちゃんが膝の上で丸くなる。
むぎが胸ポケットの中で、もぞもぞと動く。
ノアがゆっくり言う。
「……悪くない夜だ」
港の灯りが揺れる。
騒がしいのに、温かい。
ただの食事のはずなのに、妙に話が弾んだ。
こういう夜は、嫌いじゃない。
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