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ヴァンの港町


 中央大陸が見えたのは、三日目の昼だった。


 甲板の向こう。


 水平線の先に、薄く陸地が見える。


「……戻ってきたな」


 思わず口に出た。


 潮風が頬を撫でる。


 腕の中にはここちゃん。むぎは胸元。


 隣を見る。


 アクセルとノア。


 三日前までとは、一人少ない。


 ほんの一瞬だけ、夕焼けの桟橋が浮かんだ。


 でも。


 もう目の前には中央大陸がある。


「ヴァンか」


 アクセルが前を見る。


「ああ」


 船が進むにつれて、陸が少しずつ近づいてきた。


 帆柱が見える。


 その数が増える。


 停泊している船。


 桟橋。


 荷物を積んだ荷車。


 人の姿も、声も、だんだんはっきりしてくる。


 潮の匂いに、魚や干物の匂いが混じった。


 船員の声が飛ぶ。


 縄が動く音。


 木が軋む音。


 精霊大陸へ向かう時にも通った港だ。


 でも、その時はここを通って、そのまま船へ向かった。


 町そのものを見て回ったわけじゃない。


「町に寄るのか」


 アクセルが聞く。


「寄るだろ」


「そうか」


「せっかく来たんだし。少しくらい見たい」


 ノアも港の方を見ている。


「船はもう降りるだけだからな」


「ああ」


 やがて船が桟橋へ着いた。


 板が渡される。


 荷物を運ぶ人たちに混じって、俺たちも船を降りた。


 ここちゃんが腕の中で耳を動かす。


 きゅる。


 むぎも胸元から顔を出した。


 キュ。


「魚くさい」


 アクセルが言う。


「港だからな」


 相変わらず、そのままだ。


 少し笑いながら通りへ出る。


 港の近くには、荷物を積んだ荷車が何台も止まっていた。


 樽を転がす人。


 魚を運ぶ人。


 干物を並べて声を上げる店。


 船から降ろされた荷物を数えている商人。


 人の流れを避けながら歩いていると、何度も肩がぶつかりそうになる。


「結構いるな」


「ああ」


 アクセルは人混みでもいつも通りだ。


 ノアも特に気にした様子はない。


 俺だけが、あちこち目に入るものを追っていた。


 魚。


 干物。


 木の実。


 知らない瓶。


 何に使うのか分からない乾物。


 リノアでもずいぶん見たのに、場所が変われば並んでいるものも違う。


 そのまま歩いて。


 ふと、足が止まった。


「ん?」


 店先に、乾いた葉の束がいくつも吊るされていた。


 香草だ。


「またか」


 すぐ横からアクセルの声。


「またって何だよ」


「香草だ」


「見れば分かる」


「止まった」


「気になるんだから仕方ないだろ」


 近くに寄る。


 ここちゃんを片腕で抱き直して、一束を見る。


 葉は細い。


 リノアで見た保存用の香草とは違う。


 指先で軽く触れてから、鼻を近づけた。


「……結構強いな」


 少し青いような香り。


 でも。


 幻の香草とも違う。


「料理に使えるかな」


「また食うのか」


「香草をそのまま食うわけじゃないからな」


 アクセルが黙る。


「何だよ」


「前にも食っていた」


「……あれは確認だ」


「そうか」


 納得してるのかしてないのか分からない。


 ノアが隣から香草を見る。


「前のものとは違うな」


「ああ。匂いも全然違う」


 別の束にも目を移す。


 こっちはさっきより香りが弱い。


 見た目も少し違う。


「こういうの、見始めると止まらないんだよな」


「お探しのものでも?」


 すぐ後ろから声がした。


「ん?」


 振り向く。


 人の流れの向こうに、深い青の髪が見えた。


 こちらを見ているのは、金色の目。


 浅黒い肌の男だった。


 旅装姿で、荷車のそばに立っている。


「いや。探してるってほどじゃないけど」


 俺は手にしていた香草を見る。


「香草を見てて」


「お好きなんですか?」


「最近、色々見るようになって」


「なるほど」


 男が香草へ目を向ける。


「料理に?」


「ああ」


 少しだけ意外そうに目を細めた。


「でしたら、それは香りが少し強い方ですね」


「やっぱり?」


「ええ」


 もう一度、手元の葉の匂いを確かめる。


「詳しいな」


「商いで扱うことがありますので」


 男が荷車の方へ手を向ける。


「よろしければ、こちらにもいくつかありますよ」


「見る」


 即答していた。


 アクセルが後ろで小さく息を吐いた気がした。


「何だよ」


「何も言ってない」


「絶対何か思っただろ」


「長くなりそうだとは思った」


「まだ始まったばっかりだろ」


 男が小さく笑った。


 荷車へ近づく。


 上には布が掛けられていて、その下にいくつか包みや乾燥させた葉が並んでいた。


 さっきのものとは、また違う。


「これも?」


「香草です」


 一束を示される。


 近づけて香りを嗅ぐ。


「こっちは弱いな」


「先ほどのものよりは穏やかですね」


「へえ」


 もう一つを見る。


「これは?」


「そちらも香草です」


「同じように見えるけど、結構違うんだな」


「種類が違えば、香りも変わりますから」


「なるほど」


 また別の束へ手を伸ばしかけたところで、通りを荷車が横切った。


 人の声と車輪の音が間へ入る。


 俺たちは少し道を空けた。


 男は自分の荷車の反対側へ回る。


 その時。


 アクセルの耳が、ぴくりと動いた。


 俺もつられて見る。


 人が多い。


 車輪も鳴っている。


 足音だっていくらでもする。


 なのに。


 男がこちらへ戻ってきた時、アクセルがぽつりと言った。


「……足音が軽いな」


 男が止まる。


「そうですか?」


「ああ」


 アクセルはそれだけ。


 男も自分の足元を一度見た。


「旅が長いものですから」


「そうか」


 話はそれで終わった。


 俺にはよく分からない。


 旅慣れてると足音まで変わるんだろうか。


 まあ。


 アクセルがそれ以上何も言わないなら、俺が気にすることでもない。


 男の視線が、腕の中へ向いた。


「白いうさぎですか」


「ああ。ここちゃん」


 きゅる。


 ここちゃんが鼻を動かす。


「ずっと抱いて旅を?」


「歩く時は大体こんな感じだな」


「随分慣れていますね」


「家族だからな」


 胸元でむぎが動く。


 キュ。


「あ」


 男の目がそちらへ移る。


「もう一匹いたんですね」


「むぎ」


 小さな顔だけ出しているむぎを見る。


「こっちも家族」


「なるほど」


 男は少しだけ笑った。


「賑やかな旅ですね」


「まあな」


 否定はできない。


 むしろ二匹がいない旅なんて、もう考えられない。


 男は二匹を眺めただけで、触ろうとはしなかった。


 それから、俺の手元の香草へ目を戻す。


「そちら、気になるようでしたら少量でもお売りできますよ」


「いや、今日は見るだけにしとく」


「そうですか」


「昨日までに色々買いすぎた」


「なるほど」


 腰の魔法袋が妙に重く感じた。


 実際には重くないけど。


「そういえば、名前聞いてなかったな」


「失礼しました」


 男が軽く頭を下げる。


「カインと申します。旅をしながら商いをしています」


「俺はレイン」


「レインさんですね」


「ああ」


 横を見る。


「こっちはアクセルとノア」


「よろしくお願いします」


「アクセルだ」


「ノア」


 二人とも短い。


 まあ、いつも通りだ。


「カインは、ずっとこうやって旅してるのか?」


「ええ。町から町へ移りながら」


「大変そうだな」


「慣れれば、それほどでもありませんよ」


 荷車を見る。


 香草だけじゃない。


 包みも瓶もある。


「色々扱ってるんだな」


「旅先で手に入るものを、その時々で」


「へえ」


 また聞きたいことが出そうになる。


 でも。


 通りを見ると、人の流れはまだ途切れない。


 船を降りてから、まだ宿すら取っていなかった。


「……先に宿だな」


「そうだな」


 アクセルが即答した。


 なぜかちょっと嬉しそうに見える。


「そんなに香草見てたか?」


「ああ」


「まだそんな経ってないだろ」


「レイン」


 ノアがこっちを見る。


「宿」


「分かったよ」


 カインが笑う。


「では、私はこれで」


「ああ」


「香草、面白かった」


「それは何よりです」


 カインが軽く会釈する。


「ご縁がありましたら、また」


「またな」


 荷車を引いて、人の流れへ入っていく。


 深青の髪が、行き交う人の間に見えたり隠れたりする。


 やがて、その姿も見えなくなった。


 俺は少しだけ、その方向を見る。


 香草に詳しい旅商人。


 カイン、か。


「レイン」


「ああ、宿な」


 アクセルとノアの方へ向き直る。


 ここちゃんは腕の中。


 むぎは胸元。


「行くか」


「ああ」


 潮の匂いと人の声の中を、俺たちは歩き出した。

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