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夕焼けの約束


 翌日。


 昼を過ぎてから、俺たちはもう一度、昨日の通りへ出た。


 船が出るのは夕方。まだ時間はある。


 ここちゃんは腕の中。むぎは胸元だ。


 アクセル、ノア、テラも一緒。


「昨日のやつ、買っていくか」


「ああ」


 テラが答える。


 昨日は見て、食べて、気に入っただけだった。


 今日は違う。


 サイファへ持って帰る分だ。



 まず向かったのは、薄い干し魚を並べていた屋台。


「これだな」


 一枚食べて、かなり気に入った。


 軽いし、保存も利く。何よりうまい。


「これ、まとめて頼む」


 包みが一つ、二つ。さらに増える。


 アクセルが横から見る。


「多いな」


「土産だからな」


「そうか」


 止める気はないらしい。



 次は殻付きの干し貝。


 昨日食べた時より、今日は並んでいる量の方が気になる。


「こっちも多めに」


 また包みが増えた。


 テラが俺を見る。


「かなり買うな」


「せっかく来たし」


「そうか」


 それだけ。


 でも、少しだけ呆れられている気はする。



 次は木の実の蜜漬け。


 昨日はその場で味を見ただけ。今日は瓶に入ったものを選ぶ。


 一つ持ち上げると、中には蜜に沈んだ木の実。


「これもいいな」


「それも買う?」


 ノアが聞く。


「ああ」


「いくつ?」


「多め」


 ノアが瓶の並びを見る。それから俺を見る。


「……そう」


「何だよ」


「別に」


 何か言いたそうだったけど、聞かないことにした。


 瓶もいくつかまとめてもらう。


 気づけば足元には、干し魚、干し貝、蜜漬け。


 かなりの量になっていた。


「まだ見るのか」


 アクセルが聞く。


「見る」


 即答した。


「そうか」



 昨日、宿で見せてもらったものもある。


 保存用の香草。


 市場を歩いていると、乾いた葉をまとめたものが目に入った。


「あ」


 足を止める。


 昨日、テラが宿の主人へ頼んで見せてくれたものと同じだ。


「これ、昨日のやつだよな?」


「ああ」


 テラが見る。


「保存用の香草だ」


 昨日聞いたのは、主に保存へ使うこと。塩へ混ぜること。単体では刺激が強いこと。


 それで十分だった。


「これも買う」


 少し考えて。


「多めに」


 アクセルが俺を見る。


「またか」


「こういうのは使えるだろ」


「ああ」


 否定はされなかった。



 さらに歩いていると、胸元でむぎが動いた。


 キュ。


「ん?」


 顔を出して、通りの横を見ている。


 昨日買ったものとは違う種が、小さな袋に分けられて並んでいた。


「違うやつだな」


 むぎを見る。


 キュ。


「買っとくか」


 俺は一種類だけ追加する。


 胸元へ戻ったむぎが、小さく動いた。



 それで買い物は終わり。


 ――のはずだった。


「……多いな」


 改めて見ると、思った以上だった。


 干し魚の包み。干し貝。蜜漬けの瓶。保存用香草。種。


 味見だけだった昨日とは、全然違う。


 まあ、持って帰るんだから、これくらいでいい。



 俺は腰の魔法袋へ手をかけた。


 人前では、いつも通りに使う。


 袋の口へ包みを近づけ、そのまま無限収納へ送る。


 外から見れば、魔法袋に入れているだけだ。


 一つ。また一つ。


 干し魚が消える。干し貝も、瓶も、香草も、順番に入れていく。


 普通に。


 いつも通りに。


 最後に、むぎ用の種も入れた。


「よし」


 これで全部。


 顔を上げると、テラが俺の腰を見ていた。


「……全部入れたのか?」


「ああ」


 テラの目が、魔法袋へ落ちる。


 少しだけ、間があった。


「……そうか」


 それだけだった。


 何も聞いてこない。


 俺も何も言わない。


 テラはそのまま通りの先へ視線を戻した。


「そろそろ港へ行くぞ」


「ああ」


 船の時間が近い。


 俺たちは市場をあとにした。



 港へ着く頃には、日は西へ大きく傾いていた。


 空は赤と橙に染まり始めている。


 海の上には夕日の光が長く伸びて、揺れる水面の上で細かく砕けていた。


 帆柱と船体の影がその光を横切る。


 商船のそばでは荷物が運び込まれ、船員の声が飛び交っていた。板が軋み、潮の匂いが風に混じる。


 もう。


 出る時間なんだな。



 ここから俺たちは中央大陸へ戻る。


 テラは、船には乗らない。


「俺は王都へ戻る」


 テラが言った。


「ああ」


 分かっていた。


 リノアまで。


 それが最初から決まっていた。


「副団長の仕事もある」


「そうだよな」


 短い。


 いつものテラだ。



 ノアがテラを見る。テラもノアへ視線を向けた。


「ノア」


「何」


「これからも、己で決めろ」


 ノアは少しだけ黙った。


 でも、迷っているようには見えなかった。


「ああ」


 それだけ。


 テラも頷く。



 船員の声が飛ぶ。


 そろそろ乗らないといけない。


 俺はテラを見る。


「じゃあな」


「ああ」


 短いな。


 本当に。


 最後まで。


 でも、このまま終わるのは何か違う気がした。


「テラ」


「何だ」


「中央大陸、来いよ」


 テラが少しだけ目を細めた。


 前に、アクセルも同じことを言っていた。


 今度は俺からだ。


 少しの間、テラは何も言わなかった。


 それから。


「……呼べ」


 短く、そう言った。


「呼んだら来るのか?」


「必要ならな」


「じゃあ呼ぶ」


「好きにしろ」


 相変わらずだ。


 でも、俺は少し笑った。



 横でアクセルがテラを見る。


「戦う時だな」


 テラもアクセルを見る。


「そうだ」


 それだけで、二人には十分らしい。


 ノアも何も言わない。


 俺も、それ以上は聞かなかった。



「乗るぞ」


 アクセルが言う。


「ああ」


 俺はここちゃんを抱き直す。むぎは胸元。


 タラップへ向かう。


 アクセルが先に乗る。ノアも続く。


 俺も、ここちゃんとむぎと一緒に船へ乗った。



 甲板から振り返る。


 テラは、まだ桟橋に立っていた。


 赤く染まり始めた空を背にして。


 一人。


 こっちを見ている。


「じゃあな!」


 俺が手を上げる。


 テラも片手を上げた。



 綱が外される。


 船体がゆっくり動き出した。


 桟橋との間に隙間ができる。


 その間を、夕日に染まった海面が揺れていた。


 少しずつ。


 少しずつ。


 船が離れていく。



 テラは動かない。


 夕焼けの中で。


 片手を上げたまま、こっちを見ている。


 アクセルも小さく手を上げた。


 ノアも静かに手を上げる。


 腕の中で、ここちゃんの耳が動いた。


 きゅる。


 胸元から。


 キュ。


「お前らもか」



 船と桟橋の距離が、さらに広がる。


 港の声が少しずつ小さくなっていった。


 テラの姿も小さくなる。


 でも。


 まだ見える。


 まだ、片手を上げている。


 俺も手を下ろせなかった。



 帆柱が一度、テラの姿を隠した。


「あ」


 船が進む。


 もう一度見えた。


 まだそこにいる。


 さっきと同じ場所で。


 片手を上げたまま。



 港が遠ざかる。


 建物も。


 桟橋も。


 少しずつ一つの景色になっていく。


 テラも、もう人影にしか見えない。


 それでも。


 まだ分かる。


 あそこにいる。



 夕日の光が水面で揺れている。


 その向こう。


 小さな人影が。


 ずっとこっちを見送っていた。



 さらに船が進む。


 今度は。


 目を凝らしても。


 どれがテラなのか、分からなくなってきた。


 まだいるはずなのに。


 港の影と重なって。


 少しずつ。


 見えなくなる。



 俺はしばらく、その場所を見ていた。


 でも。


 もう。


 テラの姿は見つからなかった。


「……行っちゃったな」


 口から出た。


「ああ」


 アクセルが答える。


 少しだけ、胸の奥が寂しい。


 でも。


 それだけじゃなかった。


 また。


 会いたいと思った。


 今度は、中央大陸で。


「……呼べ、か」


 小さく呟く。



 潮風が吹く。


 腕の中にはここちゃん。


 胸元にはむぎ。


 隣にはアクセルとノア。


 そして。


 テラだけが、もういない。


 船はそのまま、夕焼けの海へ進んでいった。

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