幻の香草
精霊王都を出て。
しばらく森沿いの道を歩いていた。
昨日までのことが嘘みたいに。
森は静かで。
鳥の声も。
虫の音も聞こえている。
頭の重さは、まだ少し残っていた。
でも。
歩いている分には問題ない。
ここちゃんは腕の中。
むぎは胸元だ。
テラが少し前を歩く。
アクセルとノアも一緒だ。
風が。
森の方から抜けてきた。
「……ん?」
足が止まる。
草と。
湿った土。
木の匂い。
その中に。
少しだけ違うものが混じった。
甘い。
でも。
花の甘さだけじゃない。
俺はもう一度、鼻から息を吸う。
「どうした」
アクセルが振り返る。
「いや……」
どこかで。
聞いたことがある。
森。
雨。
少し甘い香り。
「……まさか」
俺は森の方を見る。
ノアも足を止めた。
「何かあった?」
「匂い」
「匂い?」
「ああ」
もう一度。
風が来る。
同じ香りが。
ほんの少しだけ混じった。
「森と、雨と……少し甘い」
ノアの目がわずかに動いた。
「……幻の香草」
「俺もそれ思った」
アクセルが森を見る。
「近くにあるのか」
「分からん。匂いがしただけだ」
実物なんて見たこともない。
生えている場所を知っているわけでもない。
でも。
聞いていた香りには近い。
俺は前を歩いていたテラへ声をかける。
「テラ、ちょっと待ってくれ」
テラが振り返る。
「どうした」
「少しだけ、近くを見ていいか?」
「構わない。道から離れすぎるな」
「ああ。分かった」
俺は森の際へ近づく。
ここちゃんは腕の中のまま。
むぎも胸元だ。
無理に奥へ入るつもりはない。
香りがした方向を。
少しだけ探す。
「こっちか……?」
草の間。
低い葉。
小さな花。
いろんな植物が生えている。
その中で。
また。
甘い香りが混じった。
「あ」
足元。
少し奥まったところに。
紫の小さな花が見えた。
「これ……?」
しゃがむ。
ここちゃんを落とさないように抱え直して。
葉へ顔を近づける。
森の匂い。
雨のあとの土みたいな匂い。
その奥に。
少し甘い香り。
「近いな」
ノアも横から見る。
「……話に聞いた香りには近い」
「だよな」
でも。
それだけだ。
見た目なんて聞いていない。
これが本当にそうなのかは分からない。
葉を一枚。
裏返してみる。
「銀色……?」
細かな産毛が。
葉の裏で光っている。
紫の小さな花。
銀色の産毛。
俺にとっては。
どっちも初めて見る特徴だ。
「テラ、これ見てくれ」
テラが近くまで来る。
しゃがんで。
花と葉を見る。
「……幻の香草だ」
「分かるのか?」
「前に一度だけ見たことがある」
「どこに生えるかも?」
「いや。見たことがあるだけだ」
テラはもう一度、香草を見る。
「狙って見つけられるものじゃない」
「なるほどな」
(くさえもん)
《鑑定開始》
少しして。
《食用可》
そこは。
聞いていた通りらしい。
《摂取時、微弱な神経刺激作用》
(食べた時か)
ここちゃんが鼻を動かした。
きゅる。
「これは食べないぞ」
念のため。
少しだけ腕を引く。
むぎは。
胸元から顔を出しているだけだった。
キュ。
「お前もな」
アクセルが俺を見る。
「持っていくのか」
「ああ。少しだけ」
せっかく。
本当に見つけたんだ。
俺はまとまって生えている中から。
数本だけ摘む。
花と葉を潰さないようにして。
荷物へしまった。
「これでいいか?」
俺は立ち上がって。
テラを見る。
「ああ」
テラが道の先へ視線を戻す。
「行けるなら進む」
「大丈夫。頼む」
そのまま。
また道へ戻る。
ノアが俺の横を歩く。
「本当に見つけるとは思わなかった」
「俺もだよ」
「探しに来たわけでもないのに」
「こういうのが一番うれしいかもな」
欲しくて探し回って。
何も見つからないより。
歩いてたら。
風に混じってきた。
それくらいが。
幻って呼ばれるものには合ってる気もする。
アクセルが前を見たまま言う。
「満足したか」
「かなり」
「そうか」
短い。
でも。
もう止まるなとも言わない。
俺は少し前のテラを見る。
「テラ」
「何だ」
「ありがとな」
「何がだ」
「待ってくれただろ」
「数分だ」
「それでも」
テラは少しだけこっちを見る。
「気にするほどじゃない」
「そうか」
「ああ」
それで終わる。
また風が吹いた。
今度は。
さっきの甘い香りは、もうほとんど分からない。
森の匂いだけだ。
ここちゃんが腕の中で耳を動かす。
むぎも胸元で小さく身体を動かした。
きゅる。
キュ。
俺は歩きながら。
さっきしまった香草のことを思う。
本当にあった。
それだけで。
今日はちょっと得した気分だった。
前では。
テラが変わらない足取りで道を進んでいる。
俺たちも。
そのあとを歩いていった。




