終息
今、襲ってきた灰緑は消えた。
でも。
鳥の声は戻っていない。
虫の音もない。
森が元に戻ったわけじゃない。
アクセルに支えられたまま。
俺は、もう一度周囲を見る。
ここちゃんは腕の中。
むぎは胸元だ。
テラは弓を構えたまま。
ノアも森の奥を見ている。
誰も、まだ警戒を解いていなかった。
俺も同じだ。
さっきの固定を。
もう一度出せる気はしない。
どうやったかも分かってないし。
身体にも、まだうまく力が入らない。
それでも。
二匹だけは離さない。
その時。
木々の奥。
薄い灰緑が見えた。
「……まだ」
消えたと思った場所より、さらに奥。
木と木の間に。
ほんの少しだけ。
灰緑が残っている。
アクセルの手に、また力が入った。
テラも弓を上げる。
ノアが目を細めた。
「……残ってる」
「ああ」
俺も見えてる。
薄い。
さっきまでの塊とは比べものにならないくらい。
それでも。
確かに、そこにある。
灰緑がゆっくり揺れた。
集まる。
というより。
残っているものが。
どうにか形を作ろうとしているように見えた。
細く上へ伸びる。
その左右へ。
少しだけ広がる。
「……なんだ?」
一瞬だけ。
頭と。
肩。
そんなものがあるように見えた。
人の輪郭に。
少しだけ近い。
でも。
すぐに崩れる。
また形を作りかけて。
崩れる。
人になったわけじゃない。
顔もない。
ただ。
そう見える瞬間があるだけだ。
誰も動かない。
俺も。
その灰緑を見たまま。
息を整える。
その時だった。
低い震えが走った。
「――っ」
音。
……とも、少し違う。
でも。
確かに感じた。
短く。
低く。
森の中を震えが抜けていく。
意味は分からない。
言葉でもない。
アクセルが顔を上げた。
「今の……」
「ああ」
俺だけじゃない。
ノアも。
テラも。
灰緑を見ている。
誰も、今のものに意味をつけなかった。
つけられなかった。
そして。
胸元で。
むぎが動いた。
俺は反射的に手を添える。
でも。
さっきまでとは違う。
震えていない。
服を強く掴んでもいない。
胸元から顔を出して。
灰緑の方を見ている。
「むぎ……?」
キュ。
一声。
静かな声だった。
次の瞬間。
人のような輪郭を作りかけていた灰緑の。
中心から。
色が抜け始めた。
「……」
さっきみたいに。
先端が消えるわけじゃない。
大きく崩れるわけでもない。
中心から。
少しずつ薄くなる。
灰緑だった色が抜けて。
作りかけていた輪郭も。
もう保てなくなる。
揺れが小さくなった。
さらに薄くなる。
そして。
見えなくなった。
俺は、その場所を見続ける。
何もない。
しばらく。
誰も喋らなかった。
その静けさの中で。
頬に風が触れた。
葉が擦れる。
ざわ。
ざわ、と。
木々の音が続く。
それから。
遠くで。
鳥が鳴いた。
「……」
一声。
少し間を置いて。
別の場所からも聞こえる。
さらに。
小さな虫の音が混じり始めた。
少しずつ。
森に音が戻ってくる。
ここへ来た時に聞こえていた。
普通の森の音。
ここへ来て。
少しずつ消えていったものが。
今度は。
一つずつ戻ってきていた。
ノアが周囲を見る。
しばらくして。
「……消えた」
短く言った。
テラも森の奥を確認する。
それから。
構えていた弓を下ろした。
アクセルも少し遅れて、剣を収める。
ようやく。
終わったらしい。
「立てるか」
アクセルが俺を見る。
「ああ」
支えてもらったまま。
ゆっくり足へ力を入れる。
立てる。
少なくとも。
今は。
腕の中を見る。
「ここちゃん」
きゅる。
いつもの声。
胸元へ視線を落とす。
「むぎ」
キュ。
もう震えていない。
俺はようやく。
長く息を吐いた。
終わった。
たぶん。
今度こそ。
ノアが、戻ってきた鳥の声を聞くように周囲へ視線を向ける。
「……戻った」
「森が?」
「ああ」
それ以上は言わなかった。
でも。
俺にも見える。
葉が鳴って。
鳥が鳴いて。
虫の音もする。
最初に森へ入った時と同じだ。
俺は最後に。
もう一度だけ、灰緑が消えた奥を見る。
何もない。
ただ。
さっきの低い震えだけは。
頭に残っていた。
あれが何だったのか。
今は分からない。
テラが弓を戻す。
「王都へ戻る」
「はい」
短い一言で。
全員が帰る方向へ身体を向けた。
俺はここちゃんを抱き直す。
胸元のむぎにも手を添える。
「帰ろう」
きゅる。
キュ。
森には。
鳥と虫の声が戻っていた。




