固定
森の空気が、凍りついた。
俺の周囲。
ほんの数歩の範囲だけ。
葉が、揺れたまま止まる。
落ちかけた露が、空中で静止する。
灰緑の霧が、目の前で固まる。
触れる寸前。
わずか数寸。
そこで、止まっている。
音が、薄い。
風も、届かない。
呼吸の音だけが、やけに大きい。
俺は、瞬きをした。
瞬きはできる。
体も動く。
ゆっくりと。
周囲を見る。
アクセルが踏み込もうとしている。
だが、足が止まる。
テラの弓が震える。
矢は放たれない。
ノアが手を伸ばしている。
だが、届かない。
何かに、阻まれている。
灰緑の先端は、俺の肩に触れる直前で止まっている。
時間が止まった。
――違う。
俺は息を整える。
胸ポケット。
むぎがいる。
キュ。
小さく鳴いた。
動けている。
俺と、むぎだけ。
俺は、ゆっくりと手を伸ばす。
灰緑の先端に触れる。
冷たい。
だが、抵抗はない。
固い。
空気が、硬い。
まるで透明な壁がそこにあるようだ。
(何だ、これ)
《解析開始》
くさえもんの声が、静かに響く。
《無属性魔法の拡張を確認》
(は?)
《空間干渉固定状態。周囲半径約三歩》
俺は霧を見る。
動かない。
押しても、揺れない。
《対象のみ動作可能。限定的空間分離》
(待て、意味が分からん)
《暫定名称:空間固定》
(勝手に名前つけるな)
《事実の整理は必要です》
灰緑が、ひび割れる。
俺の触れている部分から。
ゆっくりと。
崩れ落ちる。
粉のように。
音もなく。
砕ける。
森に、音が戻る。
風が吹く。
葉が揺れる。
アクセルが一気に踏み込む。
剣が空を切る。
だが、斬る対象はもうない。
灰緑は、霧散している。
沈黙。
テラが周囲を警戒する。
「……今のは」
ノアが息を呑む。
「空間が……固定された」
アクセルが俺を見る。
「お前、何をした」
俺は首を振る。
「分からん」
本当に分からない。
胸が、まだ速い。
むぎが、胸ポケットの中で丸まる。
キュ。
落ち着いた声。
ここちゃんが、きゅる、と鳴く。
森は、元の静けさを取り戻している。
だが、さっきとは違う。
靄は、砕けた。
だが。
ノアが低く言う。
「学習している」
その言葉に、空気が再び張る。
「今度は、直接触れに来た」
俺は森の奥を見る。
さっきよりも、濃い。
気配がある。
《警告:再形成の可能性高》
(知ってる)
俺は拳を握る。
無意識だった。
だが、確かにやった。
守った。
空間が、止まった。
森は、もう様子見ではない。
靄は、こちらを理解し始めている。
本当の接触は、これからだ。
⸻




